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| Einfuhrung in Die Philosophie - Karl Jaspers が言いたかった事 |
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存在の覚知・愛の開明・完全な安静の獲得を哲学の目的と意義づけ、また真の哲学とは自己が自己の現実的生活の中から直接的に生じてくる内面的反省と思索であると意義づけ、主張したヤスパースの「哲学すること」における本来の理念とは、現実的には常に挫折しながらも自己を自己として覚知することを目的とするものであろう。そしてその自己を自己として覚知するという実在的自己存在は他者と共に存在し、交わる事においてはじめて可能となりえるのだろう。すなわち、哲学の根源は驚異・懐疑・限界状況の経験の内に存するものであると考えるが、これら全ては、根本の意味における「交わり」に対する要求から存在するものだとヤスパースは考えたのであろう。
哲学することとは、他者他物の立場に立って考える努力を続け、自己にとって可能であるあらゆることを学び、自己自身の本質を知ることである。自分自身で考えることにより、はじめて真理なるものに到達し得るものなのであろう。
「人間であることは人間となることである」。主観と客観の分裂を越えた超越者を想起するという前提において、自己を自己として覚知して生きる自己。この自己が自己にあるという認識が、哲学することにおいた私たち人間の意志の内にあるとすすならば、私たち自身は存在の包括する存在、つまり存在そのものであるとも考えることができる。一般的に人間は日常的生活において果たして自己確認がなされているといえるのだろうか。我々人間は自己を人間であると故意に意義づけているだけであり、自分自身の有限的な一面を一般的なものとして見たものにすぎず、その本質的な意味においては人間となっていない、つまり完成された存在とはなっていないのであることにヤスパースはあらためて気付かしてくれる。しかし、私たちは自己の存在、自己を包括する超越者の存在を覚知するこができる。「哲学する」力を秘めているのだろう。「哲学する」という自然的思惟行為において、他者他物をとおし自己を包括する超越者を感じ、それと一体となっている自己と自己の存在世界の存在を認識する。全てを総括する「交わり」が自己の内における自己を、包括者の眼をもって見つめ直させる繋がりを育む。そんな我々が今ここに生きて、ここに在る「事実」を確めようとするのが哲学することであろう、そしてその「ここに生きて、ここに在る事実」それこそがヤスパース哲学における超越者、ただ一つで且つ不確かであるはずの存在の神性であり、包括者、すべて、なのであろう。
2000年7月
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