| たのきんトリオのおはなし |
田原俊彦(としちゃん)・近藤真彦(マッチ)・野村義男(よっちゃん)
この三人の頭文字「田・野・近」をとって『たのきんトリオ』という名称に
この時からジャニーズ事務所の頭文字ユニ名の歴史が始まる(笑)
しかし、この3人はグループでもユニットでもなくあくまでもソロです。
1980.4.1にイベントがあり『金八トリオ・ファンの集い』(フォンティーヌ地下で予定)は定員オーバーで中止になってます
今でもよく、ファンが集まりすぎたので中止になる。と言うワイドショーを見ますが(笑)
きっと元からちょっと狭いところで企画して、ほ〜ら!!こんなに!!ファンが集まるんですようちのタレント、的な
やり方は、まぁ、ある種ジャニーズではお約束事と言うことでしょうか。
田原俊彦は'80.6.21ポニーキャニオンから『哀愁でいとで』デビュー。オリコン初登場8位
全身『赤!!』と言うのが凄かったですねぇ〜(笑)
赤いシャツ・赤いパンツ・赤いナイキのスニーカー。
(衣装の衝撃は2曲目の『はっとしてGood!』の方が凄かったのですが (^^;;; )
信じがたいことだけど、デビュー曲が初登場ベストテン入りというのは、オリコン史上初という快挙でした。
翌週には2位に浮上(5週連続2位を記録)。最終的には約72万枚と大ヒット。
今では考えられないが、ニューミュージック&演歌全盛のこの時期のアイドル歌謡としては破格のヒット曲です。
また、翌年には近藤真彦が満を持して『スニーカーぶるーす』でデビュー。
こちらは、ジャニーさんの読みどおり初登場1位、約105万枚のセールスをあげるミリオンセラー
今から思えば、このときのマッチの雰囲気と言うか・・・。全くコピーなのが諸星君だったのではないでしょうか?
マッチをもっとガキンチョにした感じなんですけどね(笑)
この人たちはユニットではないのですが、3人での番組もあり『たのきん全力投球』や
いまや伝説となっている『笑ってポン』(こちらは北野武氏との共演です。
この番組はある意味伝説でして、放送期間の短さと、視力のような視聴率は未だにタケちゃんの口から出ることがあります
レコードデビュー後はソロコンサート。これはお約束ですよね!!
冬コン・春コン・夏コンと学校の休みの時には必ずソロコンをしておりました。
そして、3人で夏コン『たのきんサンキューコンサート』などを野球場でしております。
この3人のがファンの前に現れたのが、1979年TBS系「3年B組・金八先生1」
この金八シリーズでジャニ枠が出来、必ずといっていいほどジャニタレさんが出演
しかもちゃんと中心的な配役をいただいている。
ちなみに・・・
田原俊彦(沢村正治)と近藤真彦(星野 清)は、少しグレているツッパリ中学生の役
野村義男(梶浦裕二)は、お風呂屋(銭湯)の息子役として出演。
また、1980年にはフジテレビ系で「ただいま放課後」が始まりました。たのきんのネーミングが発表されたのもこの時期です。
金八が中学生が設定だったのに対し、こちらは高校を舞台にした学園ドラマ。
ちなみに1984/06/04の『ただいま放課後スペシャル』では錦織 一清、植草 克秀、東山 紀之が出演
また、歌を出してはそれに関連した映画をジャンジャンしておりました
大阪なんかでは、舞台挨拶にご本人が来ることもないのにもかかわらず
朝一から長蛇の列で、ナビオ阪急前には徹夜・朝一の電車で駆けつけたファンが並び
その映像が当時のNHKなどのニュースで流されるほどでした。
1981年 「スニーカーぶるーす」 「ブルージーンズメモリー」 「グッドラックLOVE」 1982年 「ハイティーン★ブギ」
ちなみにこの作品でヒロインを募集し、武田久美子が選ばれました。
まさかこの時には、彼女が将来ヌードタレントになろうとは誰が想像したでしょう。「ウィーン物語ジェミニ・YとS」 1983年 「嵐を呼ぶ男」 「エル・オー・ヴィ・愛・N・G」 「瀬戸内少年野球団・青春篇/最後の楽園」
そして、この頃から『セブンティーン』や『プチセブン』
『明星』『平凡』以外にも恐ろしい数のアイドル誌が創刊されました。
一つの社会現象として今でも忘れられないのが
この時代の女性アイドルの女王『松田聖子』の存在です。
田原俊彦と同時期デビューでしたので、この2人は歌番組、当時では普通にあった『アイドル運動会』『アイドル水泳大会』
などに共演することが多く、この2人はアイドルとして君臨していました。
当時の『ザ・ベストテン』などの歌番組への出演にあたり、新聞での出演者を表記する際に
田原俊彦・松田聖子・・・と並べた日にゃ〜。
放送局に抗議の電話がジャンジャンかかり、もちろんその新聞社へも抗議の電話が・・・。
2人の名前を並べるというのはファン的には(ほとんどがTOSHIちゃんファンです)許せなかったようです。
これはかなり痛いですね^^; しかしそれほどの人気だったのです。
本当に1980年代はアイドルバブル時代といって過言ではなかったでしょう。
たのきんトリオは、1980年代の「アイドルブーム」の先頭として立ち、ジャニーズ人気を引っ張ってきた最大の貢献者です。
そんな3人ですが、色々なことがあり(笑)
今ではTOSHIちゃんはBIG発言や事務所を辞めたことによって俗に言う『干される』がいまだに続いているような
マッチは歌やドラマよりも車ですし
あの当時、一番影が薄く、人気もイマイチだったよっちゃんが、あゆのバックだったりと
一番堅実に進んできてる。。。
余談ですが、この頃のファンと、今のジャニファンと大きく違ってたのがその応援姿ではないでしょうか?
この当時のファンは今から思えばなぜあんな格好をしていたんだろう?と思えるような
『ハッピ』姿でした、TOSHIちゃんファンはピンクやブルーといった可愛い系の色の配色です
サテン布で作った丈の長いハッピの後ろには『TOSHI』や『俊』『俊彦』と言った文字や
『I Love TOSHI』と言ったもの、『俊彦・命』(女性アイドルでは『聖子・命』などの男性ファンがいてました)
また、頭にはリボンをつけたりと・・・。
なぜか知らないが、歌にあわせて決まった振り付けもあり、その振り付けと共に
『L・O・V・E・LOVELY俊ちゃん』・・・えるおーぶい・いー、らぶりーとしちゃん!!と言います(笑)
また、マッチのスニカーブルースなどには“じーぐざぐざぐ・じぐざぐじぐざぐ・一人きり〜”の
後に『オンリーワン』などと合いの手を入れてました。
今思い返してみると新興宗教よろしく見たいなノリでしたね(^^;☆\(^_^;☆