あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。
ヴィーザは自分に向かい、寄せては返す波の飛沫で目を覚ました。
(……私は消滅(き)えたんじゃないのか?)
(どうしてこんな所に寝そべっているんだ?)
呷った毒薬の為か、いまだ意識が朦朧としている。
重い瞼を持ち上げると辺りは朝を迎えようとしているのか、薄明かりの空に太陽が昇ろうとしているのが遥かな海の向こうに見えた。
再び目を閉じ、自分の体の中をヴィーザは確認する。
薬の通った喉には焼け付く痛みが残り、激しい苦痛を受けたために頭の中では絶えず重厚な鐘の音が鳴り響く。
胃の辺りも同じように毒薬が留まった所為で、まるで絶えず切り刻まれているかのようにヴィーザを苛む。
だがそういった痛みを除き、他の感覚器官は正常値にあり、そして特に肉体に物理的な損傷を受けた感じもしなかった。
(周りに敵になりそうな者の気配もなさそうだし、起きても大丈夫そうかな……)
ヴィーザはそう判断すると砂に手を付き、静かに身体を起こす。
改めて目を開けると、先ほどよりもっと明るくなり周りの風景がはっきりと見えてきた。
見たことのない海岸線に小さく息を漏らす。
(……村近くの海岸ではなさそうだな)
(逆に夜だと星の位置から、ある程度場所が分かったかもしれないな……)
自分の瞳と同じ青紫から青色になっていく空を残念そうに見上げる。
そして頭痛に悩まされながらも立ち上がると、波飛沫(なみしぶき)の届かない場所へとよろよろと歩いていった。
丁度座るのによさそうな岩を見つけ、そこに腰掛けると自分の膝上へと突っ伏してしまう。
(流石に痛みのトリプルパンチは辛いな。……けど、もう少し落ち着いたらここがどこか確認して、皆のところに戻らないと)
そう考えながら、ヴィーザは何か遺失感があるのを感じ取っていた。
有るべきものがない。
だが存在することがあまりに当たり前すぎて、しかも大き過ぎた為か、失ったそれが何かヴィーザにはすぐには分からなかった。
一晩中必死で海岸沿いを歩き回り、ヴィーザの姿が無いかと探し回ったテュリとラドゥは、マージュの疲労度を考え、一度村に戻ることにした。
探し疲れてぐったりとしてしまったマージュに、テュリが「一度帰ったほうがいいわよ?」と帰宅を奨めるが、こうなったのも自分の所為だと思っている彼は、頑なに拒んだ。
「だがここで君が倒れてしまったらどうなる?ヴィーザが見つかったときはちゃんと知らせるから」
ラドゥも心配し、そう言うが一向に埒が明かない。
一人で帰そうにも帰りそうにないマージュに、それなら一度皆で戻ることにしようかと話していると、波のまにまから何者かがこちらを見ているような気配を、ラドゥが捉えた。
怪しげに思いながらそちらを見ると、すぐに海の中へ引っ込んでしまう。
気がついていない他の二人に合わせるようにしながら、ラドゥは一瞬の隙を突いて海を見た。
するとそこには蒼い髪をした人魚が居て、今度は視線がばっちりと合ってしまった。
「……!?」
自分達以外の魔族が何故ここに?
ラドは驚きに眼を丸くしながらも、焦って逃げようとする人魚に話しかけた。
「…ッ、ちょっと待ってくれ!私達は何もしないから!」
慌ててそう言うと波打ち際にラドゥは走り出した。
しかし人魚の存在を知らない二人は、急に走り出したラドゥに顔を見合わせて首を傾げている。
すっかりと夜が明けた海に向かって「何か私達に用があるんじゃないのか?」と、大きな声で叫ぶ
ラドゥ。
膝辺りまで海に浸かり、ラドゥは人魚がこちらを覗いていたと思(おぼ)しき場所へと更に話し
かける。
「言いたいことがあるんじゃないか?私達は君に危害を加えたりしないから、出てきて欲しい」
そう訴えるラドゥの声が届いたのか、ようやく離れた場所から人魚が再び顔を出した。
水棲魔族の存在に気づいたテュリとマージュが驚きの声を上げる。
「……そっちに行きたいけど、猫、猫族が……」
消え入りそうな声でそう言うと、人魚はテュリの方を警戒しながら見ている。
海から現れた人魚の第一声に、テュリが「えっ?わ、私が何?何かした?」と慌てていた。
感覚が魚に近い人魚は、やはりと言うか猫族であるテュリを大いに怖がっていた。
うっかり出て行けば狩の対象になるかもしれない…。
ラドゥが一人で人魚に近づき、警戒心を解くとやっと怯えた眼をテュリに向けることをやめた。
「なんでー?私は何もしないわよ」
突然怖がられたテュリは不満げに唇を尖らせていたが、ラドゥに「それは誰かさんも同じだったろう?人の事は言えないんじゃないか?」と指摘されて笑われる。
最初、ラドゥと会った時を思い出したテュリはハッとした後「ま、まぁ、苦手は誰にでもあるわよ」と誤魔化し笑いを浮かべる。
「しかし、何故こんな所に人魚が居るんですか?魔族はサヴァンの魔法で住む世界が分けられたはずじゃ?」
マージュは珍しそうに人魚を見ていたが、当然といえる疑問を口にした。
その後、波打ち際ギリギリまでやってきた人魚は、ラドゥたちが一晩中誰かを探しているのを見ていたが、中々前に出て行く決心がつかずに居たと、話し始めた。
迷っているうちにどうも帰ってしまうそぶりを見せ始めた彼らに、やっと目の前に出てくる勇気をだしたと言う事らしい。
「それで君は私達に何を教えようとしてくれてたんだ?」
「あ、あの。ひょっとしてあなた達が探してるのって、銀髪の男の人?」
人魚がそう言った途端、テュリが身を乗り出して「見たのっ?」と海に入っていきそうになった。
慌ててラドゥが腕を出してテュリを制止するが、人魚は襲われると思ったのかそのまま遠くへ泳いで行ってしまう。
「テュリ、焦る気持ちは分かるが…。彼女を驚かさないために、少し離れていたほうがいいかも知れないな」
軽く溜息を吐きながらそう言うと、テュリは不満そうにしながらも少し波打ち際から離れていった。
遠くからこちらの様子を見ている人魚にラドゥは、大丈夫だと手招きする。
テュリが距離的にすぐに手を出せないと見た人魚は、ようやくこちらへと戻ってきた。
「確かに私達が探しているのは銀髪の男だが、君はその男を見たのか?」
その問いかけに人魚ははっきりと頷いた。
「昨日の夕刻近くに人間の男達がここに来て、髪の長い男の人を海に放り込んで行ったの。ここの潮の流れは速いから、抵抗の無い体はすぐに沖へと流されていったわ」
「何でその時に引き上げてくれなかったのよー!」
多少離れていても会話が聞こえるテュリは、今度は大きな声で訴えてきた。
その声にビクビクしている人魚を見て、ラドゥは顔面を手で覆いながらまた息を吐いた。
「まぁ、彼女もその男が心配で言ってる。だから許してやってくれないか?」
そう言って人魚の様子を見ると、分かってくれたのかこくこくと小さく頷いていた。
「私も一応その男に近づいて生死を確かめたの。けど、息をしてなくて、もう死んでたし。今更助けてもと思って、そのまま流されていくのを見てたの…」
人魚はヴィーザを引き上げなかった理由を話したが、ラドゥがその内容に首を傾げる。
「だが魔族なら息をしてなくても、体があれば死んではいないだろう?」
ラドゥの言葉に人魚は意外そうに見返す。
「え?…魔族の匂いがしないから、見た目と違って人間だと思ってたの。魔族だったら悪いことしたかなぁ……」
そう言うと彼女はヴィーザが流されていった沖合い方向を、申し訳なさそうに眺めていた。
その言葉を聞き、ラドゥは毒薬によってヴィーザが魔族としての力を失ったことを確信していた。
朝日に波が煌き始めるのを、座ったままのヴィーザはぼんやりと眺めていた。
(また死に損なってしまったな。……私はそんなに死に嫌われているんだろうか)
(いっそ[印]を切ってしまおうかな。その方が楽かもしれない……)
徐々に自分へと当る太陽の光を眩しそうにしながら、肉体の苦痛からかヴィーザは自分に対して否定的な考えに陥っていた。
しかし普段のヴィーザならこういう考えに至らないこと事態、本人は気づいていなかった。
(まぁ、取り合えず湿った服を乾かすことにしようか……)
死を考えていても濡れた服の気持ち悪さの方が勝っていたのか、やっと前向きな思考が出てきた。
何時ものように呪文を唱えようとするが、薬品で焼け爛れた喉からは声が出なくなっていた。
(……暫く声は出せないみたいだな)
ハァ、と大きな溜息を漏らすとヴィーザは乾かすことを諦めて立ち上がり、自分が流れ着いた場所の確認をするため歩き始めた。
先ほどよりは痛みが大分マシになったのか、ゆっくり歩けば普通に歩けるほどにはなっていた。
(そういえば、あれからどの位経っているんだろう?あれは昨日の事なのか?それとも……)
ヴィーザは軽く眼を閉じ、身体の内に感じる月齢を読もうとしたが何故か上手く行かなかった。
首を傾げながらも眼を開け、海岸から離れると林の中へ続く道を歩いていった。
(あの毒薬の所為で感覚が変になっているのかも知れないな……)
そんな事を考えながら歩みを進めると、小さな泉に行き当たる。
ヴィーザは喉の痛みと渇きを癒そうと泉に近づき水を飲もうとするが、水鏡に映った自分の姿を見ると何やら違和感を覚えた。
そのまま水を掬うのも忘れて自分の姿をじっと見る。
そして漸く違和感の原因が分かると、ヴィーザは驚愕した。
水面に映し出されるヴィーザの瞳の色は見慣れた青紫色でなく、ましてや下級の赤い色でもない。
人と同じ夜色に変化していた。
ラドゥが重要な事を聞き終えたと見たマージュは、波間に浮かんでいる人魚に向かって、先ほどから抱いている疑問を訊いてみた。
「どうしてあなたはこの海に居るんですか?ここは大魔法によって魔族と人間が分けられた世界の筈なんですが…」
「それってどういう意味なの?世界を分ける?」と、人魚は訝しげにマージュたちを見た。
その何も知らない様子を見たラドゥは、大魔法の発動とその後の世界の話を簡単に人魚に説明
する。
「……そう言う理由だから所謂魔族と言われるものは、今、この世界には私達だけの筈なんだが」
ラドゥの説明を聞いた人魚は困ったように首を傾げながらも、自分がどうしてここにいるかを答えてくれた。
「自分でもどうしてここに居るのか良くわからないのが本当なのよ。確か私は魔女の呪いで石にされていたの」
思い出すようにしながら、人魚は自分は確かに何百年も前に石にされてしまったが、数年前に元に戻ることが出来たと言う事らしい。
時期をを考えると、丁度大魔法が発動されてから元に戻ったようだった。
しかし住みかだった場所に仲間は居らず、勿論世界が分けられてしまった住居は蛻の殻だった。
どうして自分独りだけなのか、他の仲間は何処に行ってしまったのか。
答えと仲間の姿を求めてあちこち彷徨っていたが、魔族らしき姿は海は勿論、陸にも空にも一切見ることが無かった。
そして探し疲れてしまいこの辺りの海で隠れ住んでいたが、ここに来るのは人間と動物だけ……。
次第に諦めてしまったという。
だが昨日の夜、ついに魔族の姿を見たと喜んでいたが、そのうちの一人は恐ろしい猫族。
故にすぐに声をかけることが出来なかったと、人魚は話を締めくくった。
「……と言うことは、他にも石にされたままの状態でこちらの世界へ転移した魔族が居そうだな」
「ねぇ、どうして石にされてた魔族が、世界が分かれた途端元に戻ったの?」
人魚を脅かさないように注意しながらゆっくりとラドゥたちの所へやってきたテュリは、石になっていたという魔族を興味深そうに眺めた。
「サヴァンに聞いてみないとはっきりした事は解らないが、恐らく術者の魔力が及ばなくなった為に石化が解けたと考えられるな」
「じゃ、他にも石から戻った魔族が居るかも知れないのね」
ふーんと言いながら、彼女のような境遇にあった魔族が居る可能性をテュリは指摘する。
その言葉を聞くとラドゥは眉を寄せつつ、腕組みをして暫く考える様子を見せた。
「……メデューサが支配していた地域や、侵略していた場所はここからずいぶん離れていたから、そう言った石化魔族が復活しているという話を聞かなかったのかも知れないな」
「メデューサと言うと、あの魔王に反逆していたゴーゴン一族ですか?……確かにあの地方だと石にされていて、大魔法の後にもっと魔族復活の話があったかもしれませんね」
と、マージュが自分との知識と照らし合わせて頷いた。
「まぁ、敵を石化してしまったら、そのまま砕いて息の根を止めるという戦法が多いからな。彼女のように完全な形を保ったまま何年も存在しているというのが稀かも知れないしな」
そうなると更に現存する魔族の数は少なくなってくる。
彼女のような境遇は例外と言ってもいいかも知れない、とラドゥは付け加えた。
「それにいまや魔王の権力が及ばなくなったこの世界で、魔族が復活したとしても人間に捕まったり倒されてしまっているという可能性も大いにあるな」
ラドゥは元に戻って数年も経っているにも係わらず、他の魔族に会わなかったという人魚の言葉に自分なりの考えを話す。
「どちらにしてもここを探してもヴィーザが戻ってこないことははっきりした。一体何処まで流れていってしまったのか……」
そう呟くと、ラドゥは穏やかに見える海を険しい瞳で見つめていた。
第三章〜海 FIN
〜 To be continued 〜
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