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大仁田厚 最期の三日間(前編)

 

by りっぱなしまうま

 

 名古屋から新幹線で東京入りしたのは4日の夜中だった。空は漆黒の闇、小雨のパラつくあいにくの天気に、さすがの大仁田の強運もここまでか、文字通り天を仰ぐ。しかしそれもまた大仁田の最後らしいじゃないか…

 明けて5日。試合開始午後3時、快晴とは言えないまでも、やはり雨はやんでいた。大仁田マジックの現出。しかしゴールデン ウィークも終盤、時すでに新緑のシーズンだというのに、ここ川崎球場は底冷えのする異様な寒さに包まれた。天も哭くか… FMWの一番長い日の始まりである…


 現役最期の三日間、大仁田厚はまったく違うスタイルとまったく違う時間系とまったく違うヴィジョンを持った試合を行った。それらのすべてが、まごうことなく大仁田厚そのものであるところにまた彼のスーパー スター性もある。

 緒戦ではメモリアル引退ツアーの間、全国各地で繰り返し組まれた定番カードであるストリート ファイト 6人タッグ マッチの最終型をグレート・ニタとして披露、続いてポーゴとの世界ブラスナックル選手権試合で邪道プロレスのすべてを完結、そして引退試合では爆破マッチの集大成とも言えるノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破時限爆弾デスマッチでFMWの未来 ハヤブサの最初で最期のチャレンジを受けた。

 過去・現在・未来… FMWとしての大仁田の総括に加え、その新世紀までも見据えた素晴らしい引退ロードだった。今にして思えば、ターザン後藤の退団は決して致命的な損失ではなかった。むしろ前向きに大仁田引退後のヴィジョンまでもが引退ロードの中で表現できたのは大きかった。これが後藤との引退試合だったら、過去の集大成にすぎない、単なる後ろ向きの湿っぽい引退試合になっただろう。


【’95/5/1 日本全国縦断 大仁田厚 メモリアル引退ツアー ラストファイト〜最終章〜 大阪府立臨海スポーツ センター】

 グレート・ニタ引退試合=時間無制限1本勝負 ストリート ファイト6人タッグ マッチ 

 ○ G.ニタ 新山勝利 田中正人(13分48秒 エビ固め)Mr.ポーゴ ザ・グラジエーター ●保坂秀樹

試合開始 午後6時30分 観衆3260人(超満員)

 

 グレート・ニタは昨’94年の12月1日、広島グリーン アリーナでターザン後藤のもうひとつの顔 ホー・チー・ウィンと合体、ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードマット ストリート ファイト ダブルヘル タッグ デスマッチでミスター・ポーゴ&大矢剛功の当時のW★ING同盟最強コンビを撃破以来、愛知県体育館、後楽園ホール、札幌中島体育センター、4・2週刊プロレス主催興行”夢の懸け橋”東京ドームなどにその勇姿を現したが、大阪にはついに出現しなかった。しかしニタの闘いぶりを見て自殺を思いとどまったという大阪の一少年ファンの願いによって、最初で最後の忍邪大阪出陣が決定したのである。大仁田より4日早くグレート・ニタも闇に消滅する。ニタの生涯通算成績は9戦8勝1敗であった。

 ’94年5月の引退宣言からもう1年もたってしまったんだから、月日の流れというヤツは本当に早い。大阪での試合は8月以来約半年ぶり、直前に迫った大仁田の引退、しかもグレート・ニタとしての大阪初見参とあっては、集客面でかなり難点のあるここ臨海スポーツ センターでさえ超満員、3000人以上のファンが集まるのは至極当然と言うべきか。だいたいかく言う筆者ですら北朝鮮・猪木ボンバイエ ツアーから昨日、帰ってきたばかりだというのに、今日はきちんと出勤(偉い 模範社員じゃあ!)してから、会場まで来ているんだから何をかいわんやなのだが。

 しかしあと4日で大仁田がレスラーを辞めてしまうのに、会場内に漂うこの緊張感のなさはどうだ。FMWは結局、いまだ団体としての陣容が整わないまま、大仁田のXデイを迎えてしまった。前座から休憩まではいつも通りのどうでもいい試合がダラダラ並ぶ凡戦の連続であり、この状況は引退宣言以来まったく変化していないのであった。

 すでにターザン後藤・ミスター雁之助・フライングキッド市原は真FMW軍を名乗って5月1日のIWAジャパン 後楽園大会に乱入、実力行使の段階に入っており、FMW側としても新体制が見え始めてしかるべきなのだが、選手それぞれの闘志は空転してかみあってない印象だ。あえて言うなら工藤めぐみが戦闘服スタイルで戦った6人タッグにグレート・メグへの萌芽が見て取れたくらいのものだった。本当にFMWは大丈夫なんだろうか? 不安はつのるばかりである。

 そうこうするうちメイン イヴェントのリングが組み立てられてゆく。試行錯誤から始まったノーロープ有刺鉄線のスタイルも今ではすっかり定番となり、若手選手のリング組み立て作業も本当に手慣れたものである。そういった部分にある種の感慨を感じてしまうのは筆者だけであろうか… これもまた大仁田FMWの遺産の一つである。

 オリエンタル ヴァージョンに編曲された「ワイルド シング」が場内に響きわたるや、盛り下がる一方だった観客のテンションが一気に頂点に達する。ハチの巣をつついたような狂乱状態の中、メイン イヴェント グレート・ニタ引退試合のスタートである。ニタとしての試合は9戦目であるが、変身直後の愛知県体育館を生で観戦している筆者にしてみれば、その電光石火の進化には驚くほかない。大仁田にはおそるべきヒールの潜在能力があったのだった。

 そう考えれば邪道と言われ続けた大仁田の試合が、実は極めてプロレス的でオーソドックスなものだった という事実にも気づくはずだ。ベビー フェイスである大仁田がポーゴの天才的凶器攻撃をマゾヒスティックなまでに受けまくり、大ピンチに陥ってから逆転するスタイル。それは相手の力を7まで引き上げて10の力で倒すという猪木一流の風車の理論、すなわちプロレス セオリーの王道であり、爆破マッチさえふくめて大仁田の超過激プロレスとは受けの凄みにポイントが置かれたプロレスであった。皮肉にも猪木の言う”こんなプロレス”を馬場の弟子であった大仁田が実践し、本家の猪木よりも先に引退することになってしまった。大仁田は自らの選手生命をたった6年間で使い果たしてしまったのだ。

 グレート・ニタの戦いぶりには、そうした大仁田の怨念が宿っているかのようにも見える。極彩色の毒霧を吹き、ポーゴのブーツ攻撃にもニタリと笑って全くひるむ様子はない。回転しながらの狂気の舞い、技に入る際の独特のモーション、奪い取ったクサリ鎌を何のためらいもなく相手の額に、腹に突き立てるその破天荒な暴れっぷりに、涙のカリズマ大仁田厚の面影は一切感じられない。ニタはベビー フェイスの大仁田とはまったく別のレスラーと考えるべきで、そのファイト スタイルは完全なヒールである。しかも職人的ヒールであるポーゴにくらべて明らかに素人ヒールであるニタの凶器攻撃は、実際のダメージが予測できないゆえに真の危険性に満ちている。そしてヒール対ヒールの試合が結局は、どちらがより凶悪なファイトに徹するか? という酷いこと合戦になってしまう以上、ポーゴに勝ち目がないは明らかなのだ。だからこそポーゴもまたポーゴ大王になる必要があった。

 FMWスタイルの原点はスピードにあると筆者は思う。スクランブル状態の6人が体育館を移動し、走りまわり、めまぐるしく対戦相手を変えながら次々と新しい戦いの局面を生み、体育館全体が戦場と化す。このスタイルだけは、さすがにどの団体にも真似手がないFMWのオリジナルである。エニウェア フォール自体は、旗揚げ当初、会場にあまりにも観客が少なかったため採用された苦肉の策であったが、大仁田は観客数が順調に伸び始めてもこのスタイルにこだわった。

 タイガー・ジェット・シンの狂乱ファイトから観客を守るために設置されたはずの鉄柵が結局、リングと観客との間に明確な境界線を引き、自らメジャーを名乗る新日本プロレスの奢りを象徴する存在になっていく一方で、エースの大仁田自ら観客席の中に飛び込み、リング上の喜びも悲しみも苦しみも観客とともに共有する何ともドロくさいスタイルが、ファンの圧倒的支持を受けたという事実は、感動こそがプロレスの原点であることを如実に物語っているのではないだろうか? こうして弱小中の弱小であったFMWは、手作りの感動を武器に新日・全日の2大メジャーを脅かす台風の目にのしあがっていくのである。


【’95/5/4 日本全国縦断 大仁田厚 メモリアル引退ツアー ラストファイト〜最終章〜 愛知県武道館】

世界ブラスナックル選手権試合試合
時間無制限1本勝負

ノーロープ有刺鉄線バリケードマット ダブルヘル デスマッチ

チャンピオン Mr.ポーゴ

(16分36秒 体固め)

チャレンジャー ○大仁田厚

※ポーゴが初防衛に失敗、大仁田が第7代王者に返り咲く

試合開始午後3時 観衆4500人(超満員)

 

 

 

 4日の愛知県武道館から5日の川崎球場の最終戦つまり引退試合までは、2泊3日の小旅行となった。しかもゴールデン ウィーク中のことなんでエコノミー チケットの使えない 〜いつも思うがこのJRのやりくちには本とムカツクぜ〜 贅沢な旅行である。

 数日前からリザーヴしてあった近鉄特急アーバン ライナーの乗り場に着いてみると、すでに中牧&ありとみが指定席に座って待っていた。こういうプロレス観戦旅行は、趣味が同じ者同志で出かけるもんでなかなかに楽しい。大スポなんかから得たリアル タイムの情報を交換したりして、試合に向けてテンションを上げていくのだ。中牧が『週刊ファイト』の”大仁田厚引退特集号”のミスター ポーゴ インタヴューが良いと力説するんで、目を通してみると確かにこの愛知県決戦の前には必読の内容であった。特写の写真も超マヌケで、ポーゴの特製凶器がプライヴェート ルームの壁にガムテープで止めてあったりして、ひっくりけぇって笑ってしまった。

 さて、この愛知県武道館という会場も大阪臨海スポーツ センターに負けず劣らず相当行きづらい会場で、スポーツ イヴェントに興味がなければ地元の人間でさえほとんど知らんくらいマイナーな場所にある。地下鉄に乗ってバスを乗り継いでようやく着くようなところだが、周辺にもコンビニくらいでほとんど何もないし、思い切って名古屋駅からタクシーを飛ばした方がよっぽどいさぎよい。たしか完成したのはつい最近のはずで、格闘技関係でのコケラ落としは’94年3月のパンクラスだったと思う。ただそういった部分を大目にみれば、こじんまりまとまった大変美しい体育館であり、2階席からでもかなり見やすい。考えてみれば、この新しい会場で、よくもまぁ有刺鉄線や火炎の使用が認められたものだ。今回の名勝負誕生の要因として体育館側の英断も見逃せないポイントだろう。

 武道館に着くと中牧の和歌山中学時代からのプロレス仲間、ひろちゃん財閥とガ

ールフレンドのカヨ姫に会う。二人とも気合い入りまくりで特別リング サイド1列目に陣取る。我々RFN勢は邪道の集大成をじっくり見届けるため2階の2列目をキープ。なにしろ大仁田の試合は終わってからファンの混乱が凄いからね。地理的条件の悪さにも関わらず、やはり会場は大入り満員でテンションは強烈に高い。

 ザ シークvs.非道では図体のワリに根性のない非道のひ弱さが目立った。大仁田はこのキチガイ爺いとも何度も正面からわたりあったのだ。ある時は試合中にナイフで腹を刺され、ある時は顔面を炎で焼かれながらも絶対に後ろを見せなかった。結局は、この覚悟の差が団体を背負えるかどうかの分かれ目でもある。その意味でW★ING同盟の先行きはまことに暗いと言わざるをえない。

 この日の工藤は従来のベビー フェイス スタイルであったが、翌日のタイトルマッチにおけるFMW女子部改革への決意の様なもの感じさせてくれた。また鬼人組のリッキー・フジ&大矢剛功組も世界ブラスナックル タッグ選手権試合に向けて最終調整に入った観があった。


“ポーゴ! オマエのことは 一生忘れんからな!!”

 大阪で忍邪が消滅し大仁田厚の中に小さな変化が生じていた。グレート・ニタという架空のレスラーが大仁田のファイト スタイルに吸収され、ベビー フェイスでもなくヒールでもない、ストロング スタイルやショーマンシップさえも統合したキラー大仁田への暫定的モデル チェンジである。このモデル チェンジは引退試合のハヤブサ戦において完結するわけだが…

 ”大仁田というレスラーは相手レスラーの光を吸収し、自分だけが輝くタイプのレスラーである”という意見があるが、それは少し違う。圧倒的ベビー フェイスである大仁田は、典型的なアメリカン プロレスである善玉vs.悪玉という図式の中でこそ、はじめて自分をも相手をも光らせるレスラーなのだ。ヒールの反則攻撃にじっと耐えに耐え、その持ち味を7まで引き出し10の力で一気に逆転するスタイルは、力道山から連綿と続いてきた日本プロレスの黄金パターンである。従って大仁田と同じベクトルで勝負したテリー・ファンクは、弟子であるはずの大仁田に完全に圧倒されてしまったし、ターザン後藤はFMWの全レスラーを敵に回す叩き潰しのヒールに徹しなければ、大仁田と同じ土俵には上がれなかった。

 そういった様々な意味で、大仁田FMWにとって最大のヒールはミスター ポーゴ以外には考えられない。大仁田・ポーゴの邪道プロレス集大成は、過去の名シーン怒涛のリプレイにキラー大仁田の爆殺力さえも加え、この局面にきてなおその名勝負史に新しいページを記した。

 『スポーツ TODAY』の特集や雑誌のインタヴューでは、”オレは全勢力を使って大仁田を川崎のリングには上げない。大仁田は名古屋で終わりだ”と呪文のように繰り返していたポーゴではあったが、それは言わばヒールとしてのお仕事であり、お約束である。もちろん大仁田 アフターを考えれば、ポーゴは大仁田に塩を贈る気は毛頭ないだろう。ポーゴは自分の持つあらゆる反則攻撃で大仁田を潰しにかかり、それで大仁田が潰れてしまえば、結局そこまでだったのだろう と割り切るつもりだったはずだ。しかしまた一方で、大仁田がそれら全ての攻撃を受け切り、ポーゴが手づまりになった場合はポーゴの負け、いさぎよく大仁田にフォールされるつもりだったのだろう ということも容易に想像がつく。その意味でこれ程プロレス的な試合はないだろう。攻めるポーゴと守る大仁田、二人はその部分で暗黙の了解に達しており、その攻防の境界線はどこにあるか? を見極めるところにこそ、この試合のポイントがある。つまりそれ程までに大仁田とポーゴのプロレスは完成されているのだ。

 決勝タイムは大仁田・ポーゴの激闘史において比較的長い16分36秒。しかも大仁田のファイト スタイルにグレート・ニタが微妙に影を落とし、試合の展開はいつになく早かった。つまりいかに内容の濃い試合だったか ということである。

 手四つからポーゴが大仁田を有刺鉄線へ押しつける序盤戦は、これまで何度も繰り返されたパターン。ここからポーゴのブーツ攻撃。必死の形相で耐える大仁田。従来の様に受け一辺倒でなく、前に出て張り手を返すあたりにグレート・ニタのスタイルがかいま見える。ここから一気にD.D.O. 、ランニング ヘッド バットでポーゴを場外の有刺鉄線バリケード マットへ叩き出し自分もダイヴ。ここにはいつもの自らを省みない大仁田のプロ根性が見える。しかし素早くそれをかわしたポーゴは、ガス バーナーであぶった2枚刃鎌を投入、さらに大仁田の背中へビッグ ファイアー。これは大仁田のTシャツがしばらく燃え続ける程のすさまじい一発だった。

 さらにポーゴは有刺鉄線バットで大仁田をメッタ打ちにすると、2度目の火炎噴射を敢行。しかしこれは大仁田、本部席机の破片でガッチリ、キャッチ。このシーンも本当にもの凄く、机で火炎が見事に止まっており、ハリウッドの特撮映画のSFXで絶対無理という名場面となった。なんたって大仁田・ポーゴはこれをリアル タイムでやってるんだから。しかし、ポーゴ絶対有利は動かず得意のパイル ドライヴァーへ。これはリング上に重ねた椅子の上へ落とすポーゴ必殺ののフィニッシュ ホールドである。ここが地獄の一里塚、ポーゴの反則攻撃、最大の山場となるが大仁田はこれをクリア。

 ならばと続くポーゴの反則攻撃は有刺鉄線火炎バットによるメッタ打ち。ダウンした大仁田へ3度目の火炎噴射を狙う。これで万事休すと見えたがここで大仁田は死力を振り絞って、有刺鉄線火炎バットを拾うと反撃、ポーゴのお株を奪う火炎噴射から有刺鉄線火炎バットへのフェイス クラッシャーでカウント 3を決めた。

 この試合、表面的なシーンだけを取り出してしまうと流血と反則しかない邪道の極致、不愉快さ200%全開のはずなのだが、そこに大仁田とポーゴの激闘史を重ね合わせてみると、実はお互いを真のプロとして認めあった二人の男の永遠の愛憎劇、その終着点であったことに気づく。天才的反則で攻めたポーゴもそれを徹底的に受けた大仁田も、またニタの影を背負って反撃した大仁田もそれを名人芸的に受けたポーゴも、自分たちが紡ぎ出す攻防の一つ一つを、その痛みの一つ一つをじっくり味わうように戦っていた。何故なら、この二人にとっては二度と味わうことのない感覚なのだから… 

 さて、この試合のポイントとなった二人の攻防の境界線であるが、筆者はポーゴのフィニッシュ ホールドである椅子の上へのパイル ドライヴァーとしたい。この技を大仁田がクリアした時点でポーゴの負け、つまり試合はエピローグを迎えたと言える。後の展開は単なる事後処理であって付録にすぎない。キラーと化した大仁田の火炎噴射はグレート・ニタが多用する毒霧の変形であり、大仁田はここから一気にラッシュに入る。しかし、フィニッシュとなった大仁田のフェイス クラッシャーにどれだけの破壊力があったかは、大した問題ではないのである。

 試合終了後、大仁田はポーゴへもVシャワーを浴びせ、この5年間の激闘の労をねぎらった。また、ポーゴも実に満足そうな表情で何度もうなづいて会場を後にした。大仁田、最後のエールに極悪大王ポーゴが目頭を押さえる。”男同志っていいなぁ…”と珍しくしおらしいことを言ったありとみであったが、確かにここにはデスマッチのためのデスマッチではない、魂の名勝負があった。大仁田・ポーゴの愛憎のデスマッチ数え唄はここに完結したのである。

 大仁田を潰す! ただそれだけを生きがいにして現役生活を送ってきたポーゴにとって、大仁田が引退した以上やるべきことは何もなくなったと言っていい。引退試合のビデオで、”俺は白紙だ。何も考えられない”と珍しく弱音を吐いていたポ

ーゴではあったが、それは嘘、偽らざる心境であろう。

 ポーゴに残された道は、大仁田のあらゆる技を受けた自らの肉体をものさしに、大仁田の後継者を育て上げることであろう。大仁田は新生FMWの路線として邪道プロレスやデスマッチを強要しなかった。それは新生FMWが大仁田のカラーに頼らずまったく新しいプロレス団体に脱皮することを意味していたが、そのため皮肉にも大仁田の邪道プロレスを受け継ぐエースはW★ING同盟の中から生まれるという結果となった。だからこそポーゴはW★ING同盟を離れて、彼らを鍛え直すポジションへと自らを置いたのである。名古屋の試合が終わった時点で、ポーゴ・金村組が世界ブラスナックル タッグ選手権から転落することは、十分に予想された結末であった。

 

 あと一つ。傷つき倒れながら、病気再発の恐怖を抱えながら、大仁田はついにここまでやって来た。しかし風雲児・大仁田の引退ロードは最後の最後まで大仁田らしかった。引退試合の相手であったターザン後藤が引退試合、2週間前にしてFMWを電撃離脱、そして対戦相手がハヤブサに最終決定したのは何と6日前の4月30日だったのだ。

 実はこの間の4月26日から4月30日まで北朝鮮 猪木ボンバイエ ツアーに参加していた筆者には、その行方を知る術もなく、とにかく気になって気になって仕方がなかった。中牧には大スポ購入の上、保存しておくように伝令を飛ばし高麗航空に乗り込んだのであった。

 

“明日、俺はハヤブサを ターザン後藤だと思っていく”

 

 

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