封印されたアイドル 1

岡田有希子:生きていれば、きっといい女になっていただろう…

04/04/0885年のスプリングコンサート『ハートにキッス』パンフレットより

 

 岡田有希子のことは、今でも何かの折につけて思い出す。それは会社に向かう途中の冬の寒い朝だったり、彼女が逝ってしまった春−満開の桜の下だったりした。それが起きたのは’86年4月8日、全国で入学式が行われている真っ最中だったのだ。だから当時学生だったファンは、なおさら後々まで印象深い事件としてトラウマになっているのだろう。もはや彼女の享年に等しい時が流れた。

 当時、筆者はすでに会社員だったが外回りの営業をしていて、たまたま入った電気屋に彼女の載った東芝の家電製品のパンフレットがあり、何気なくもらった。会社に帰って、彼女の事を聞かされ “ああ、ちょうど、パンフレットをもらった頃だったんだ…” と思った。

 それから、彼女がポニーキャニオンに残したシングル盤をすべて入手し、順番に聴いてみた。まだジャニーズも現在ほど絶対的な存在ではなく、沖縄アクターズ スクールもハロー プロジェクトもなかった当時、ポニーキャニオンというレコード会社こそがアイドル王国であった。その名に相応しく楽曲提供者には尾崎亜美や竹内まりや等々、アイドル歌謡の王道とも言える作家が名前を連ねている。

筆者が営業中にもらったパンフレット しかし、肝心の岡田有希子に関して言えば、実にあっさりとした “面白みのないアイドル歌謡だなぁ… ” という印象しか持てなかった。曲も歌唱も非常にソツなくまとまってはいるのだが、結局それだけでしかない。つまり個性というか、同時代デビューで言えばあの中森明菜を想起させるような情念がまったく足りないのだ。無味無臭で透明な感じがした。自分を表現する方法としてたまたま歌があったという感じで、歌しかない といった思い込みが全く感じられないのだ。彼女の場合、あえて歌ではなくとも、絵でも芝居でも、表現の方法は何でもよかったのではないか? 

 さすがに最後の3枚(’85/10/5  「Love Fair」  売上12万枚・最高位 5位 ’86/1/29  「くちびるNet Work」 売上23.1万枚・最高位1位  「花のイマージュ」 当時は発表されず)には、かなり色々なものが見え始めてくるが、結局、それは人間としての深みの問題なのかもしれない。この「Love Fair」の頃、岡田有希子はドラマ『禁じられたマリコ』(本放送は’85年11月5日からスタート)で俳優・峰岸徹と出会う。

 というわけで筆者にとっての岡田有希子と言えば「くちびるNetwork」につきたのだ。松田聖子、坂本龍一というとんでもないコラボレーションから生み出された傑作だと思う。つい最近、彼女の13回忌を期に限定盤メモリアルボックスの中に収録された最後のシングル「花のイマージュ」を聴いたのだが、これが「くちびるNetwork」を軽くブッちぎる名曲に仕上がっていて、いわば女性としての最初の頂点を迎える19歳にはどこまで成長したのだろう? と思うところが多かった。実はあの時の岡田有希子には限りない可能性が広がっていたのだ。筆者にはそれが残念で仕方がない。

 アイドルとしての岡田有希子は世に生を受け、わずか2年に満たない生涯であった… 佐藤佳代としての人生ですら18年しかない。同期には吉川晃司や荻野目洋子、南野陽子、本田美奈子、河合美智子等がいる。現役時代の彼女には実は優等生さんという印象しかなく、まして筆者は当時、 “なんてったってアイドル” キョンキョンこと小泉今日子のファンだった。たった一度だけあった握手会のチャンスも、バッティングした安田成美の方に行ってしまったのだから何をか言わんやである。今となっては何とも悔やまれる痛恨の選択ミスであった(爆)

 彼女の自殺の真相は知る由もないが、少なくとも投身自殺には死への明確な意思がある。ドラマ『禁じられたマリコ』で共演した峰岸徹との関係ではないか? という意見もある。しかし、峰岸本人はいたってあっけらかんとした気のいいおじさんといった感じの人で、きっと初めてのドラマ出演で緊張の連続だった岡田有希子を先輩として何かにつけ励ましたのだろう。峰岸はいろんな意味で、きちんとした相談事の出来た最初の大人だったのだ。というのも、当時かなり厳しい立場にあったであろう峰岸は、今でもちゃんと干されずに仕事をしているからだ。ある意味、ああいう事件に巻き込まれれば、事の真相とは別にやはり制作側としては、あえて峰岸を起用するのは腰が引ける。にもかかわらずこうして活躍できているということはやはり、何も無かったと考えるべきなのだろう。

 『岡田有希子はなぜ死んだか』(上之郷利昭著・新森書房)では、下世話なよもやま話に堕することなく、うなずかざるを得ない冷静かつ客観的な分析が行われている。ぜひご一読を願いたい力作だと思う。
 彼女が齢(よわい)18歳で残したエッセイ『あなただけにこの想い〜瞳はヒミツ色』(青春ベストセラーズ/ワニブックス)を読むと、将来の夢がメルヘンチックに綴られていて胸が痛む。彼女もボーイ フレンドとのデートや結婚にあこがれるちょっとオクテな女の子に過ぎなかったのだ。21世紀の昨今、中学生でもこれくらい純粋と言うかオボこい女の子は絶滅したんじゃないか? と思うくらいここに綴られている内容は幼い。
 こうした精神的に未成熟な片田舎(名古屋が片田舎かどうかについては議論の余地があるが(笑))の女の子が、両親の元を離れ、大都会に出、しかも芸能界で過ごして行くには、そこはあまりにも特殊な世界だった。佐藤佳代は文字通り幼な過ぎたのだ。
 恋人との交際を事務所に反対されたという理由で投身自殺した遠藤康子事件の余韻がまだ覚めやらぬ頃、岡田有希子の事件もまた起こった。さらに彼女たちのファンもまた同じように彼女たちの後を追ってしまった。これはアイドル投身自殺事件として昭和の事件史にひとつの爪あとを残した。

 “純粋にとてつもない可能性を秘めたメチャ クチャ可愛いアイドル候補生が’80年代の終りにいた” という事実を思い出していただければ、あるいは岡田有希子のことを知らなかったアイドル歌謡ファンの方々が彼女に少しでも興味を持っていただければ、筆者が本稿を起こした目的は既に十分果されていると言えるだろう。

本稿を記すに当たり以下の優れたホームページを参照させていただきました。ここでリンクさせていただき、感謝に代えさせていただきます。

●ステキの国のプリンセス ●あまくておいしい有・希・子!のページ

●Dreaming Girl ●おねがいユッコ! ●ユッコスマイルをもう一度!

 

『かぐや姫 飛んで初体験!?』
 ドラマ『かぐや姫 飛んで初体験!?』を見ると、あの河合美智子つまりオーロラ輝子が同世代で出演している。彼女は休日の朝のヴァラエティなどで今でもよく見かけるが、岡田有希子も生きていれば、彼女のような感じで活躍していたのだろうか? とやや複雑な気持ちで見たりする。

『禁じられたマリコ』
 本当にタイトルどおり禁じられた作品になってしまった本作。ソフト化はモチロン、再放送さえ地元の名古屋で一度行われたきりである。極度の緊張状態に置かれるとテレキネシスなどの超能力をその意思とは無関係に発揮してしまう少女が、自らの出自にまつわる謎を追って事件に巻き込まれるサスペンスである。いかにも大映テレビらしい大味な演出とスタッフ、キャストの大真面目な取り組みとは全く別の次元で予期せず巻き起こる爆笑シーンの数々は、やはり必見と言うほかない。中尾彬、広岡 瞬、三上博史、竜 雷太ら曲者俳優が大挙出演して、そのくさい演技を競い合う。

余録 『稲川淳二のこわい話 番外編』 ’97年8月5日 シネマワイズ
 ’97年の夏、大蔵映画が得意としたB級怪談映画の特集上映会があったのだが、その席で特別に稲川淳二怪談コーナーが設けられた。稲川氏は“非常にプライベートな閉じた空間ですし、一回性が高いということで、通常テレビやCDなどで披露しないお話をしましょう” と前置きすると、禁忌アイドル 岡田有希子の話を始めた。
 業界にとって岡田有希子は正に封印されたアイドルであった。最もセンセーショナルだったのは、時の写真週刊誌 “Emma” (文藝春秋)に、彼女の死体写真が掲載されたことだろう。’90年代以降、死体、特に日本人の死体写真がメディアに登場することは、よほどのことがない限りなかった。筆者の知る限り、かづきれいこのエンバーミングに関するテレビ番組、あるいはついこの間のイラク日本人外交官殺害事件も記事くらいではなかったか…
 不思議はこの “Emma” の記事を巡って起こった。この記事に掲載された岡田有希子は、うつぶせに倒れ、手足が不自然な方向に向いていて、頭部からは正に飛び出すといったイメージで粘液質のものが斜め方向に尾を引いている。カラーで掲載しなかったのが、編集者のせめてもの良識だったのだろう。しかし、この記事に関わった人々が次々に変死するという事件が起こったのである。だいたい、鳴り物入りで創刊された “Emma” 自体がこの記事の後、一年持たなかったのも象徴的だ。
 特に凄惨でしかも不思議だったのは、関係者の一人がサウナ風呂で変死したケースであった。何と石炭などを焚いて高温になったサウナ風呂の放熱部分に逆さまに突き刺さって死んでいたらしい。その死体の状態が常識的には全く説明できないことは、すぐさまお分かりになると思う。

 

 

 

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