02/06/22 サントリーミュージアム 視覚の魔術師エッシャー展
最終日を明日に控えた土曜日だけにさすがに鑑賞者の多い展覧会となった。
筆者が小学生の頃、小学館の学習雑誌で“不思議な絵”として紹介された『滝』がエッシャーとの出会いであった。高校生の時、集英社のキャンペーンでもらったブック カヴァーには、『昼と夜』が印刷されていた。筆者、最愛のプログレッシヴ ロック バンド“KING CRIMSON”の海賊版には『自画像』といったエッシャーの作品が頻繁に使われていた。現在の会社に入社して最初に出かけた慰安旅行先で、たまたまやっていたのはエッシャー展だった… だから美術史的には非常に扱いにくい作家なのだが、個人的にはいろいろな感慨を抱かせる人である。
いわゆる“だまし絵”というジャンルにも、実はそれ相当の歴史があり、追いかけてみると面白いのだが、優れた推理小説が優れているがゆえに犯人がわかった時点で、あっという間にその鮮度を失わせてしまうかのごとく、そしてその文学的価値については一顧だにされないかのごとく、美術史においてもこのジャンルの扱いは不当に低いと言わざるを得ない。
しかしエッシャーの視覚芸術がそれらとやや趣を異にしているのは、やはりそこに哲学的なものの見方考え方が精妙に影を落としているからであろう。視覚芸術の素晴らしさもさることながら、ネタがばれたところでそれをまったく問題にしない深遠な思想性にその本質があるように思う。
永久、永遠 といったテーマを表現するために二次元で三次元を表現する際に生じる約束事としての嘘を完璧に自家薬籠中のものとした卓越した技術。メビウスの円環、回転体の境界、上昇と下降、爆発と収縮、反復といったさまざななモチーフの見事さ。
さらには、芸術に理解のあった父親が与えた恵まれた環境要因は見逃せない。実はこの展覧会でもっとも興味深かったのは、この説明が施された最終パートであった。彼の父は公務の関係で明治時代の日本に来ており、ユニークな建物を建築している。エッシャーの芸術的な素養は実は彼の父親から受け継いだものなのだ。また浮世絵もずいぶん持ち帰ったらしい。実はオランダは江戸時代、唯一の貿易国だった関係で日本の浮世絵の影響を非常に受け(ゴッホなどはその典型的)、ヨーロッパにおけるアールヌーヴォーの出発点となった国である。エッシャーの作品に象徴的な線の扱い方、あるいは表現方法として版画を多用したという事実は、この作家を分析する場合の一つの大きな視点になるはずだ。浮世絵の場合、彫り師、刷り師が別々に存在したが、エッシャー自身は版下から自分で制作している。非常に手間隙をかけた制作態度であり、版下制作の技術も確かである。
ただ、エッシャーの本質がどこにあるにせよ、彼への評価は『物見の塔』『上昇と下降』『滝』に対するものであり、この150点を越えるエッシャー展のほとんどを構成していたと言っていい風景画、挿絵(これはこれで珍しいものなのだろうが)といった作品はそれ自体が興味深くはあっても、やはりエッシャーという記号からはどうでもいいものでしかない。その意味で、この作品展は非常に画龍点睛を欠いた間の抜けたものにも映る。特に2部構成の前半の内容は、再見する気にならない内容であった。ここではむしろこの『上昇と下降』を一つの到達点と見据えて、そこに至る道程を展開させるべきだった。かつて京都近代美術館で催された『ピカソ
ゲルニカへの道』のような。
エッシャーはある意味では、モダン デザインの開祖であり、彼の作品はそのまま工業デザインとして商品化できるものばかりだ。彼が平面の分割について重要な示唆を得たのが、イスラム教の寺院の壁に書かれた模様であったというのはもはや有名な話であるが、これを彼は日本的な唐草模様、モノグラムと積極的に融合し、東洋的な時間観、さらには無といった境地にまで推し進めたのである。エッシャーの絵に奇妙な懐かしさが漂うのはそういうことなのかもしれない。
(6/25 記)
02/01/19 神戸私立博物館 古代ローマの輝き/ポンペイ展
紀元前に、今日ある多くの文化・生活・技術・科学・芸術といったもののベースとなる部分が、完成されていたというのは本当に凄い。しかもあるものは、今日よりも遥かに豊穣で文化に満ち溢れたものである。
今日、生活は快適で便利になったが、精神的な豊かさという意味で、ここに提示されたものよりも優れているとは決して言い難い。ただすでにこの時点で、やはり貧富の差といった問題は起こっているし、どうも仕事をしないで遊んでいるだけの貴族的な存在もあったようだ。
火山の爆発で一瞬にして滅んだ古代都市の2000年以上前の出来事が、まるで見てきたように記述されているのも凄い。
(2/1 記)
法善寺横町の一角に今年の4月28日にオープンした上方浮世絵館。筆者は全くリサーチできていなくて、たまたま知人に教えてもらって出かけることにしたのだが、予想以上に、建物全体の雰囲気がいい。土地スペースの関係から4階建ての天地に長い造りになっている。
メインのホールは2階で、そこまでの階段にすでに何葉かの浮世絵が展示されている。受付を2階ですませ、ここから3階までがメインのスペース、4階は別途、企画されているタイのワイルド ライス(野性稲)保護のための啓蒙スペースになっていて、野生稲をモチーフにした芸術家 田辺光彰氏の作品が展示されている。
会館全体は、余裕を持たせた贅沢な仕様になっていて、その意味ではまだまだいろいろな企画を盛り込むキャパシティがあり、今後の展開が楽しみである。1階階段室の裏側がミュージアム ショップ兼アンティーク ショップになっていて、浮世絵関連のグッズ以外にもかなり珍しい逸品が多く、その方面に興味のある人は見逃せないだろう。
さて、この上方浮世絵、そもそも筆者自身が浮世絵に東西の明確な区別があることに無知で、上方浮世絵がそれとして一つのジャンルを形成していたことは意外であった。
浮世絵の本場はやはり江戸であり、絵師・彫師・印刷会社ともすべて江戸を中心に活躍していたのだった。その意味では上方浮世絵はそれぞれの層の薄さという意味で、その成立時点から不利なようだが、実際の浮世絵に当たってみると、関西独特のテイストはあるにしても、そのクオリティには遜色がなかった。
一大特徴は、浮世絵の中心的ジャンルである枕絵(わじるし)が、一切なく、そのほとんどが役者絵・芝居絵であることだ。役者絵とは今で言うところのスター ブロマイドであり、芝居絵とは例えば『演劇ぶっく』のような舞台情報誌ということになる。
それ以外のものとしては、各々の町の美人を描いたものや、団扇を持って床机に腰掛けているような風俗画もあるが、これらはあくまでも例外の域を出ないものである。実際、ここで得た印象について、係りの人に質問してみても、同じ答えが返ってきた。また、上方浮世絵は一方で写実性が高く、江戸の浮世絵のような様式美や美的観点からの修整、等はないとのこと。この係りの人は大変気さくな方なので、上方浮世絵に関する疑問や質問、等々を投げかけてみるのもいいかもしれない。
浮世絵の保存状態はなかなか良く、一枚一枚、近寄って、じっくり鑑賞できるのがいい。紙に施されたエンボス加工や色彩のグラデュエーション、顔料それぞれの載せ具合(それぞれの顔料が干渉しあってにじんでいるのだが、それがまた緻密な計算に基づいた結果なのだ)などは実際、かなり高度な画集などでも再現できないだろうから、このように気楽に実物に当たれる常設スペースは実に貴重だ。しかも上方浮世絵をこれだけの枚数まとまって見れるのは、大ゲサに言えば世界でもここだけなのである。
(7/23記)
01/5/10 神戸ファッション美術館 ファッション ウイング第11期コレクション展
化・化・化(カ・ケ・バケ)展
会場全体は大きく二つのパートに分かれ、化身という意味における“神との同一”とそれを儀式・様式化した“演劇”の二つを象徴的、対比的にコンセプトの核として展開している。展示場の構成としてはこの二つの展示の間に、中世から今日へ至るファッション変容の歴史やそれに伴うプロモーションでの展開等々の資料が書籍や実際の衣類、VTRを交え、充実した内容で展示されている。
歌舞伎や京劇、インドのカターカリといった化粧やマスクを使う特徴的な演劇における化粧の意味を非常に興味深く掘り下げ、その原型とも言える儀式のパートと対応させた構成は見事だ。
“神との同一化”のための衣装のパートが白眉で、ここだけがシャーマニックな空間と化していて怖いくらいだった。取り上げられているのは、バリ島のバロン ダンス用の衣装から善の神バロンと悪の女神ランダ、ブータンの鹿を模したクマリ信仰のバスト アップ マスク、コンゴ共和国のモッシャンヴォーイの舞踏衣装(王 埋葬用の衣装)、モロッコのジュジュカ ミュージックの衣装、以上5点で全てが非常に意匠を凝らした高いレベルの本物である。
特にモッシャンヴォーイの舞踏衣装からは恐るべき妖気が漂っている感じがした。何故ならこれは実際の埋葬に使われたものであり、この中には聖なる王の死体が入っていたはずなのだ。その王の眠りを妨げ、この衣装だけがここにあるということは、それなりのドラマがあってしかるべきであろう。
ただこの二つのパートが物凄い分、レイアウト的に間に挟まれた当ファッション美術館本来の主旨とも言えるファッション パートが脆弱になってしまったのは仕方ないか… ここでは衣類の歴史やポスター デザイン、モード、化粧品の変遷を見ていくことに拠り、ファッションと時代の共棲関係を探っている。また昨今、個性の時代とされているわりに、実はどのファッションも大同小異であり、そういった現状に苦言を呈するような提案のパートがあったりして、驚かされる。
(7/30 記)
01/3/17 京都文化博物館 最後の天才浮世絵師 月岡芳年 展
久しぶりに京都へ行く。京都文化博物館の月岡芳年展に行くためである。こうした芳年の展覧会自体は図録の数から考えても、結構、頻繁に行われているようだが、自分自身、芳年ファンになって以来、まとまった展覧会は初めてなので、非常に嬉しい。
特に『英名二十八衆句』や『魁題百撰相』などの血をテーマにした作品は、バタバタと一山いくらって感じで上がって来るような印刷ブツでは到底、再現できるものではなく、実際の浮世絵に当ってみないと、色彩的に鑑賞したことにはならないのだ。
一説に拠れば、膠(ニカワ)を混ぜたと伝えられるその赤は、時間の経過とともに血がドス黒く変色して行くように、明度は失っていてもやはり血以外の何者でもない暗い情念の表現になっている。
例えば、お女中の腰巻の赤色などが実に鮮やかな状態で、今日(概ね印刷から100年以上経過)伝えられているのを見ても、芳年が血を表現するために、単なる赤を意図したのではないことは明白である。
ということで血をテーマにした一連の作品群や一番好きなシリーズである『風俗三十二相』、あるいは大判の歌舞伎絵、役者絵、等々、堪能したのだが、270点もの作品を一堂に会したわりには、実際のところ揃いモノの一部、ほんの数枚だけが展示されている関係でどうも画龍点睛を欠くという印象は免れなかった。
例えば、前出の『英名二十八衆句』など実に14枚中3枚しか展示されておらず、しかもいわゆる傑作とされる「鮟鱇の吊るし斬り」がなかったり、全部で60枚以上あるとされる『魁題百撰相』が4枚、同様に33枚揃いの『芳年武者旡類』が2枚、100枚揃いの『月百姿』がせいぜい10枚程度しか展示されていなかったりと言った感じで、コンプリートがほとんど無かったことや初見の作品が意外に少なかったのがその原因だろう。
ま、芳年ほどの宇宙を一回の展覧会で捕らえようとする事自体、かなり無理があるのだからしょうがない。ただひとシリーズくらいはコンプリートがあっても良かったのではないかとも思う。
またすでに耳(印刷者や印刷日などを記した絵の枠の白地の部分)が無い、あるいは額装によって耳の見えない作品が多く、芳年のように耳の部分をも効果的に使う浮世絵師の作品展としては、はなはだ不適切と言わざるを得ない展示方法が取られていたのもマイナスであった。
しかし、大判の歌舞伎絵、役者絵(芳年の場合、それらをテーマにした作品はもともと希少だが)が、一部屋全体を使って展覧されている様はやはり壮観で、好きな一枚である「鳥井又助」が入っていたのは嬉しかった。「田舎源氏」「安達が原一つ家の図」「松竹梅湯嶋掛軸」等々の大判錦絵の傑作から続くこのパートは本展覧会の一番の見せ場と言っていいのではなかろうか。また『新形三十六怪撰』は、同じテーマを扱ったものの多い『和漢百物語』と連続で展示する工夫があったり、『風俗三十二相』がまとまって見れたこともまた収穫であった。
芳年の作品は、右上から左下へ向かって一気にケサ斬りでもっていくダイナミックな構図や、直線を思い切って配した幾何学的な処理による画面そのものの動き、枠組みからはみ出す手足や刀、等々、従来的な日本の絵画の伝統をことごとくブチ抜いたようなアイディアとそれを裏付ける正確なデッサン(この解剖学的なまでに冷徹な描写力というのも、まったく日本的ではないと思う)、ところがその根底に流れるのは明らかに大和民族の血の恩讐、日本的な濡れた情念であり、それらが和洋折衷・緩急自在のメチャクチャな交雑を繰り返した挙句、時代と時代の狭間に出現した突然変異といった興趣を呈している。
筆者はこの幾何学的な処理による画面の小刻みな律動や激しい動きであるはずなのにモンタージュのように記録的で、静謐でしかしさらにその後の悲劇的結末を予感させるに十分な情感が好きである。
これは従来の日本の画家にはほとんど見られなかったもの(敢えて挙げるならば、広重の斜線による雨の表現くらい)であり、まさに最後の天才浮世絵師であると言える。事実上、この系譜は従来的にもまた芳年以降も登場していない。その意味で師匠の国芳や同時代の他の浮世絵師達と単純に比較されがちであるが、筆者に言わせれば問題外であり、土台モノが違うのである。であるから、浮世絵全集などが編纂される度に、なぜか無視されている芳年の不遇さが腹立たしくてしょうがないのだ。
(3/21記)
00/11/23
京都国立博物館 文化財保護法50年記念事業 特別展覧会
没後200年 若冲 Jakuchu!
若冲の残した作品をこれだけまとまって見られる機会は、おそらく今後も、もう無いだろう(それは主要な作品を宮内庁が管理しているという事情にも依るのだが)。若冲という画家がどのように誕生し、成長し、消えていったか… それらをパノラマのように一気に見せる、まさに空前絶後の大展覧会であった。
さて、若冲の作品を見てまず強烈に感じるのは、どの作品にも例外なく男色が深い影を落としていることである。これだけの規模の展覧会にもかかわらず、そのモチーフのほとんどが草花や動物、野菜なのだ。芸術というレッテルは、実はイヤラシイことを堂々と行うための方便にすぎないとさえ言え(失礼!)、芸術において女性というモチーフは最大・最高のはずだが、若冲の作品には女性はおろか人物画そのものが、圧倒的に少ないのである。人物画としては、哲学の師であったとされている“売茶翁”のものが有名だが、この作品はその名の通り、色気も何もない(笑)枯れた爺さん(でも、なかなかひょうきんな味がある)の絵である。
実際、若冲は生涯、妻を娶らず独身を貫き、人嫌いでもあったという。日本芸術史上の事件とさえ言える『動植綵画』全30幅を寄進した相国寺の大典和尚との心の男色関係は、研究家の間ではつとに有名であるが、そういったエピソードを知らなくても、この圧倒的な物量の作品群を前にした時、誰もが最初に感ずる違和感の正体は間違いなくこれである。
若冲作品の緻密さは、写真以上でも以下でもない無意味なアメリカのハイパー リアリズムなどとは比較にならない、あくまでも若冲というフィルターを通じて体現されたハイパー リアリズムであるところにその真骨頂がある。コンマ一秒以下で対象を捉え、保存する技術が進んだ現代とは違い、己が肉眼を通じてしか対象を捕らえる手段が無かった200年以上前に、ここまで緻密に描写したと言うことは、対象に対する偏執狂的な観察と驚異的な記憶力、そして圧倒的な筆力の最低三つを同時に体現している必要があるからだ。
また200年以上前に画かれた作品が、これだけの鮮度で保存されていることもまた奇跡的なことであろう。軍鶏の鶏冠の
赤や葡萄のようにたわわに実った南天の赤、咲き乱れる牡丹の原色、家鴨のやわらかな羽毛(これがまたキレイに水をはじくんだろうナァ というリアルさ)の茶、魚尽くしの生き生きとした銀鱗、等々などなど… この作品がたった今、画き上げられ、画家のアトリエから持ち込まれたような錯覚さえ覚える鮮やかさなのである。当時最高の画材の吟味が、このような素晴らしい結果を残したわけだが、これこそ若冲の活動が究極の旦那芸といわれる由縁である。
若冲の作品はある意味、当時の人々にとっては斬新過ぎて、理解できなかったのではないか? とも思われる。というのも200年以上前にデジタルの発想で絵を描いていたからだ。モチーフをマス目の単位で分解し、自分自身の尺度に従って、そのマス目を再構築していくという手法は、まさに21世紀的なデジタルの発想であり、脅威としか言いようがない。
この作品に関しては、非常に興味深い解説がなされていたので付記しておきたいが、若冲の交友関係の中に西陣織の職人がいたということである。確かに一定のマス目に従って紋様を編み上げていく西陣織は、考えようによっては非常にデジタル的である。
白象をモチーフに極楽浄土(?)をマス目で描いた『白象群獣図』など、筆者はすぐさま同じ手法を得意としたスペインのアントニオ・ガウディ(1852−1926)を想起したのだが、何と若冲が亡くなった時点ですら、彼はまだ生まれてもいなかった。
(12/1 記)
フェルメールの素晴らしさについては、筆者の意見など正に屋上屋を架すといったものでしかなくモチロン問題外なのだが、それでもいくつかの感想を述べておきたい。これだけのものを見たらやっぱり何か言いたくなるのは人情というものだ。
フェルメール自身は非常に寡作な画家であり、全部で35点しかない。またその作品は当然すべてが国宝級のため今回、本物を5点も見られるというのは奇跡的快挙と言える。しかし美術展としての展示点数はやはり圧倒的に少なく、それを補うため“その時代”とサブタイトルをつけ、同時代の画家の作品を同時に26点展示している。逆にそれがフェルメールの凄さを際立たせる結果になっているのは何とも皮肉なことだが、実際、筆者のような凡人が見てもその違いははっきり分かる。
住んでいた都市の名からデルフト派と呼ばれた彼らの作品に共通しているのは、スーパー リアリズムとでも言うべき、緻密な描き込みである。本物と見紛うばかりのリアルな絵画はしかし、今日の写真技術の進歩を鑑みれば筆者にとってそれほど魅力を感じさせるものではない。結局、緻密であることそれ自体が自己目的化しているために、芸術としての表現領域にまで到達していないのである。結局、緻密さという点を追求することは綱渡りと言った曲芸と同じベクトルなのだ。
フェルメールの作品も緻密と言う意味では、ずば抜けてはいるが決してスーパー リアリズム一辺倒ではなく、そこに何かしら曖昧模糊とした空間が同居しているのである。この空間性は他の画家には見られないもので、これをフェルメールの最大の特徴である光をカンバスに写し取る神業と考えることは可能だ。多くの評論家、画家の絶賛した光と陰影の表現においてフェルメールは圧倒的であり、この眩いばかりの曖昧さは、フェルメールをヨーロッパ絵画史上最大の画家の地位へと押し上げる。表現が形式を超越する奇跡的瞬間を35点のもの作品に渡って実現しつづけたフェルメールは、まさに神に最も近づいた画家の一人であろう。
以上のように作品自体は、本当に一生の内でそう何回も体験できるものではない感動に満ちたものであった。しかし、展覧会の運営に関しては、大阪独特の金儲け主義が至る所に顔を出す下品で最低の0点といっていいレベルの低さだった。見やすい展覧会にするにはどうすれば良いか? そうした工夫が全く感じられない。猛省せよ!