芳年との出会い

 筆者が最初に月岡芳年を知ったのは、ミリオン出版のGONというサブカルチャー系の雑誌でのミニ特集だった。本当に、こういうのこそ“縁あって”と言うのだと思う。ここに掲載されていた『奥州安達がはらひとつ家の図』(1885)はデザインとしては非常に有名なもので、数々のパロディを生んだ傑作であった。例えば“ジャックス ショウ”のビラで逆さ吊りの早川義夫が描かれたものを見たことがある。
 浮世絵というと東洲斎写楽や北川歌麿、安藤広重(永谷園のお茶漬けのパッケージに入っていた『東海道五十三次』で浮世絵初体験をした人は意外に多いのではないだろうか?)しか知らなかった筆者は、このような現代的な作風を持った作家が江戸時代末期にいたことにまず驚かされたのである。
 しかし、それ以上に筆者の心に深く突き刺さったのは、芳年が2度も精神障害を患い、そして2度目にはそれが原因で、とうとう帰らぬ人となったというその生涯である。なんとパンクな人なのだろうと、俄然、筆者のシンパシーは急上昇したのである。
 さらに筆者になんとも不思議な偶然が訪れる。いつものように古書店めぐりをしていて、通常マズ入らない〜というのも空振りが多いから、基本的に散策ルートから外れているのである。この時は’97年の年末で、年に一回だけというつもりで入ったのである〜エル(深江店)に月岡芳年を特集した
芸術新潮(’94年9月号“特集 危うい浮世絵師 血まみれ芳年、参上”)があったのである。しかも値段は500円。モチロンすぐさま購入し、記事に目を通した。
 芳年に関してはかなり知識を得た現在でも、この特集号は非常に優れた内容を誇っており、今でもよく読み返す。西田正氣さんという稀代の芳年コレクターの方が監修を担当していて(実は当時、西田さんは芳年の回顧展をご準備中で、この企画はそれとシンクロしたものであった)、芳年を鑑賞する場合の重要なポイントと新発見の記事が掲載されている。芸術鑑賞というとどうしても感性批評に陥りがちで、何の事やらさっぱり分からないマスカキ原稿が多くウンザリなのだが、ここに掲載された記事は評論としてもかなり傑出したモノが多い。また同時に参考文献の資料等々も正確で、本当に利用価値の高い一冊である。

 月岡芳年は一般には“血まみれ芳年”と異名をとる無残絵の巨匠として土佐の絵金と並び称されている。筆者を最初に惹きつけたのもその点であるから否定はしない。
 実際、芳年が最初にその名を天下に知らしめたのは、兄弟子・落合芳幾との競作
『英名二十八衆句』であり、これこそ今日ある無惨絵の古典的スタンダード(この系譜は後に伊藤晴雨、前田寿安へと受け継がれてゆく)となった傑作である。芳年はこの作品集で血を描くに当たって、顔料に膠(ニカワ)を混ぜたとも言われ、その色彩の何とも言えない毒々しい感じは印刷物ではなく、是非とも現物に当たって、鑑賞いただきたいと思う。
 ここで展開される歌舞伎や浄瑠璃、あるいは実際の殺人事件に取材した28の残酷シーン(ただし、半分は兄弟弟子 芳幾の筆)のオン パレードは、剥き出しのストレートなエネルギーの奔流であるのとは裏腹に、奇妙なエロティシズムが同居する静謐な印象をも醸し出している。
 じっとこれらをながめていると人間にとって“死”こそ最大のエロスであることが、おぼろげながら見えてくる。“女を犯しながら、首を絞めて殺すと物凄い快感が得られる”というような主旨のことがよく訳知り顔で喧伝されるが、そういう感覚ってあながち根も葉もないデタラメとも言えないのかもしれない… なんて気がしてくる。市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地に乗り込んで割腹自殺した三島由紀夫が、事におよぶ前夜、この
『英名二十八衆句』をためつすがめつながめていたというそれらしい逸話もある。
 結局、歌舞伎や浄瑠璃、最大の山場は殺人シーンであり、殺人こそ当時の人々にとって最高の娯楽(!)だったのだ。全国、至るところに残る繁華街・河原町が、実は処刑場の周辺に発達したものであることが、それを如実に物語っている。
 つまり、芳年本人の中にそのような嗜好があったことは当然、否定できないが、それ以前に彼ら浮世絵師とは職業絵師であり、発注を受けて絵を書いていたという事実を見落としてはいけない。実際、無惨絵に対する需要が確実にあったというだけのことなのだ。
 だから芳年について言及する際、無残絵というファクターは非常に重要ではあるけれど、その観点だけでこの浮世絵最後の巨人を語るのは、あまりにも浅薄でまた無礼な評価と言えるのだ。

 芳年の作品で筆者が一番好きなシリーズは
『芳年武者旡類』である。ここで描かれた32枚の連作武者絵は、高度なデッサンに裏付けられ、構図やアイディアが非常にユニークで、ダイナミックな躍動感に溢れるものが多く、これが江戸末期の作者の手によるものとは到底思えないモダニズムにあふれている。

 


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