| 月岡芳年(つきおか よしとし)/天保10年〜明治25年(1839〜1892) |
| 作画期 嘉永前期〜明治25年(1848〜92) |
| 画系 歌川国芳門下 菊池容斎から日本画を学ぶ |
| 画号/玉楼 玉桜楼 魁斎 一魅斎 大蘇 |
| 本姓吉岡。のち月岡雪斎の名跡を継ぎ月岡姓を名乗る。幕末期、師風を学びながら独自の画風を完成させ、武者絵・役者絵・美人画・風俗画などに非凡な才能を発揮。 歌舞伎などから材を取り、“血まみれ芳年”の異名を取る凄惨な作品(『英名二十八衆句』など)で評判となるが、精神障害にて一時、絶筆。 回復後は画号を“大蘇”と改め、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』『田舎源氏』『松竹梅湯島掛額』など大判錦絵に積極的に取り組み、再び多くの傑作を発表。 |
| 明治6年頃からは菊池容斎の画風に傾倒、
洋風を融合した描法で歴史上の事件を新聞錦絵として発表した。その姿勢は今日の写真週刊誌を彷彿させる。 明治25年、再度の精神障害を患い死去。 発禁図画が多いのもその特徴の一つであるが、芳年の場合、枕絵は数点しかなく、それはむしろ猥褻性より反モラルという部分で時の官憲と衝突したためだと思われる。 |
| 背景/新形三十六怪撰「清姫 日高川に蛇体と成るの図」 |