Menuett ―メヌエット―

14




翌日――

「あー、気持ち悪いっ」

昨晩酔いつぶれて、そのまま俺の家に泊まる羽目となってしまった佳奈が、一人洗面台の鏡の前で何やら
愚痴っている。そのひどく浮腫ませた顔付きから、昨夜の飲酒の量が相当なものだったのであろうと一目で
窺い知れる。大体、一応は色気ある年頃の娘なんだから、男と2人っきりで人前に醜態を晒すほどになるまで
酒を飲むなよ――俺は声を大にして佳奈にそう云いたかったのであるが・・・二日酔いで不機嫌な佳奈に更に
追い討ちをかけて、自らの災難を招くほど俺も馬鹿ではない。長い付き合いの女である。こんな俺でも一応学
習というものをしているのだ。

「味噌汁・・・作ったけど、佳奈も飲む?」

台所で朝飯の支度をしながら、俺は佳奈にさり気なくそう問いかけた。

「ん…飲む」

そう答える声の調子から察するに、見掛けよりは随分とまともらしい。急いで身支度を整えた佳奈が、食卓に
茶碗や箸を並べる俺を手伝う。

「そういえば堀内は?帰っちゃったの?」
「ああ」
「いつ?」
「昨日。お前が寝ている間に」

俺がそう答えると、佳奈は二日酔いの不機嫌な顔をいっそう険しくした。

「あんたっ、ちゃんと堀内とあの時の事を話し合ったんでしょうねっ」
「うん」
「で、堀内はなんて?」

佳奈にそう問われて、俺は食卓の支度をしている手をふと止めた。

「・・・分かんないって」
「え?・・・」
「だから・・・俺のどこが良くてあんな事をしたのか、堀内自身よく分かんないんだって」
「・・・・・・・」

俺の答えのあまりのマヌケさに、佳奈はあんぐりと大口を開けたままの顔で固まってしまっている。

「何・・・それ・・・」

佳奈自身の素直な感想――俺も返す言葉がない・・・

「でもさあ」

炊飯器から茶碗にご飯を機械的によそいながら佳奈は云う。

「なんて云うか・・・堀内って見かけよりずっと生真面目な奴だったんだ。あいつってさ、周囲の女の子に対し
て、クールなナンパ野郎を自ら演じていたような節があったんだけど・・・強姦したあんたにそんな事いちいち
馬鹿正直に答えるなんてさ・・・超真面目な奴――嘘でもいいからさ、愛しているとか好きだとか適当な事云
っちゃえばいいのに・・・」

確かに・・・佳奈の云う事にも一理あるように思う。事の善し悪しは別として・・・一般的に・・・恋愛事というも
のは、そのような甘い言葉を自分の耳元で囁かれることによって、その言葉が相手にとっての免罪符となりう
る傾向が強い。自分に対して、相手がどんなひどい事をしたとしても、その全てが許せてしまう。その行為も、
裏を返せば、相手が自分を思い遣ってくれるその愛情の裏返しだと受け取ることが出来る。但し、それは自分
自身も、またその相手自身も、お互いにその相手の事を深く想いあっているという場合であって・・・

(・・・俺の場合はどうなんだろうか・・・)

今のところ、俺と堀内は、まかり間違ってもそんな甘い関係と云える間柄ではない。しかし、実際のところ、
堀内に俺の耳元でそんな甘い言葉を囁かれたとしたら・・・情けない事に・・・堀内のその気持ちをはっきりと
固辞出来るという自信が今の俺にはない。

(これって・・・もしかして・・・俺ってば、結構、堀内にほだされちゃってるって事・・・?)

そう自覚した俺は一人赤くなる。

「そう云えばさあ」

俺が鍋から入れた味噌汁を食卓へと並べながら、佳奈は云う。

「あんた、藤堂教授に迫られたんだって?」
「!?」
その佳奈の突然の発言に俺は狼狽して、汁椀を中身ごとひっくり返しそうになった。

「何で知っているんだよっ」

――って、俺がそう云ったら自分で暴露しているようなものじゃないかっ。

そんな俺とは対照的に、佳奈は平然としていて

「堀内に聞いた。あんた、昨日キスされそうになっていたんだって?」

そうシラッと答える。

やっぱ堀内・・・あの時、あいつ、俺達の様子をずっと陰から窺っていたんだ・・・ま、そのおかげで俺は助かっ
たんだけどさ。

食卓に二人向かい合って座る。そろそろ園に行く歩を起こしにいこうとして、エプロンを外して腰を上げかけた
俺に再び佳奈の声がかかった。

「ねぇ――」

どこか含むところのある佳奈の呟き――

「ところで、あんたはさ、藤堂教授の事はどう思っているのよ?」

 そろそろこの話題から逃げ出そうとしていた俺の気持ちを、また佳奈に絡め取られる。

「個人的にバイトもさせてもらってさ、あーちゃんも相当懐いていたみたいだけれども」
「俺は・・・」

 正直、すごくいい人だとは思う。俺自身の事も歩の事も本当によく理解してくれていて、俺達二人の事をい
つでも温かく思い遣ってくれた。赤の他人である俺達親子に対して、養子縁組までして本当の家族になろうと
まで云ってくれた。でも、そんな優しさも全て・・・俺への邪な執着心に由来しているものだとしたら・・・
(『・・・好きなんですよ・・・あなたの事が・・・誰にも渡したくないぐらいに好きなんです――』)

 藤堂教授の言葉が、再び俺の心の中へと蘇ってきた。と、同時に、教授が俺を抱きしめた時のその腕の感
触も、俺を包み込んでいた教授の匂いも生々しく思い出されてきて、瞬間的に俺は体を震わせていた。

「ま、藤堂教授も相当つらかったんだと思うよ。自分の気持ちを押し殺して、ずっとあんたの側に居るのっ
て・・・気付いてもらいたくても、普通の人の何倍もニブチンのあんたが相手じゃねぇ・・・じっと耐えてきたとこ
ろを横から突然現れた堀内にとんびに油揚げをさらわれるみたいにあんたの事を掠め取られたんじゃねぇ・・・
全く、救われないよ」

 さも教授の気持ちがよく分かっているような親身な云い方を佳奈はする。まるで佳奈自身が、今現在の藤堂
教授と同じようなつらい境遇に身を置いているかのような・・・

(まさかね・・・)

 佳奈に限って、そんな不毛な恋愛を絶対にする訳がない。俺が思っている以上に、佳奈は打算的な女のは
ずだ。

(・・・俺の気のせいだよな)

 そう思い直して佳奈へと向き直る。

「藤堂教授とも・・・きちんと決着をつけなくちゃ駄目だよ――あんたは人一倍、流され易い性格しているけど、
絶対に逃げちゃ駄目よ」

 そう佳奈に云われた俺は、ただ頷くしかない。

 本当は心がとても重かった。

 あんな別れ方をして、俺はこれから一体どんな顔をして藤堂教授に会えばいいのだろうか。それを思うと、
地中深くに全身がのめり込んでしまうほど果てしなく気が重い。

(それでも――)

 佳奈の云うとおり、逃げていては何も始まらない。自分自身の事だからこそ、俺がしっかりと構えていなけ
ればなるまい――奮然と俺はそう決意する。

「俺、今日、ちゃんと教授のところに行って、自分の気持ちをきちんと話してくる。今の自分の気持ちを正直に
話した上で・・・教授の気持ちは受け取る事が出来ませんって、ちゃんとそう云って断ってくる」
「堀内の事はともかく・・・まあ、あいつに対してのあんたの気持ちがはっきりとしていないんだから、それは仕
方ないんだけどさ・・・けど、問題は一つずつ解決していかないとね。とりあえず、答えが分かっている部分か
ら攻めていけば?」

 佳奈にそう云われて、がぜん勇気が湧いてきた。

「そうするっ」

 そんな決意を胸に、俺は歩を起こそうと、奥の六畳間の襖を大きく開けた。

「ほら、あーちゃん起きて、保育園に行く時間だよ」
「ん・・・」

 気持ちのよい朝だった。久しぶりに胸のつかえが取れたような清清しい朝であった。まだ半分寝ぼけながら
も、布団の中から何とか起き上がってきた歩が、開口一番、俺に聞いてくる。

「かーたんのお友達は?」
「え・・・?」

 もしかして、堀内の事を云っているのだろうか?そうか・・・昨日、歩は堀内に寝かしつけてもらったんだっ
け・・・

「あーちゃん、おはよう」

 開け放たれた襖越しに佳奈が歩に声をかける。

「佳奈ねーたん、ほりうちのにーたんは?」
「帰っちゃったんだって、昨日、あーちゃんが寝ちゃったあとに・・・あーちゃん、残念だったね」

 そう云いながら、やれやれといった感じに、俺に向かって首を竦めてみせた。

「すごい懐きようね・・・まあ、昨日も・・・あーちゃんが寝るまで2人して相当ベタベタしていたけれども・・・堀内
もさ、見ていてすごく面白いの。あいつ、児童心理学研究会に所属している割には子供の扱いに慣れていな
くて・・・それでも、不器用ながらも必死になって一生懸命にあーちゃんの世話焼いているの。もう、見ていて
おかしいやら、微笑ましいやら、なんか堀内のイメージに全然合わなくてさ」

 それから、佳奈は俺に対して、軽く片目をつぶってウインクをよこす。

「あんた、下手したら、あーちゃんに堀内の事を取られちゃうわよ」
「あのなあ」

 人をおちょくるのにも程がある。でも、まあ、あーちゃんと堀内ってちゃんと仲良くやっていたんだ。心配して
わざわざ佳奈に来てもらったけど、それって完全に俺の杞憂だったんだ。改めて、俺は佳奈に礼を云った。

「佳奈・・・いつも、本当にサンキューな」
「何よ、突然・・・水臭い」

 俺のいつになく素直な態度にあの佳奈がガラにもなく照れている。

「ほらっ、あーちゃん、早く」

 そんな佳奈の様子に気付かないふりをして、俺は手早く歩を着替えさせてやった。

「にーたん、また来る?」

 ことのほか、歩は堀内の事がお気に入りらしい。期待に胸膨らませた眩しいくらいにキラキラとした表情をし
て俺にそう聞いてくる。

「そうだなあ」

 一体なんと答えるやるべきか・・・今の俺と堀内の関係のこれからの展開なんて・・・正直、俺にもよく分から
ない。堀内はまた気軽にウチに遊びに来てくれるのだろうか・・・

(なんか、俺って期待してねえ・・・?)

 いかんっいかんっ、あーちゃんじゃないけど俺もすっかり堀内にかぶれてしまっているじゃないかっ。

 頭に残る堀内の幻影を振り払うように、俺は大きく頭を振った。そんな俺の様子を歩は不思議そうに見てい
る。

「また来るといいな」

 そうとしか、今の俺には答えようがない。でも、俺のそんな中途半端な答えでも、歩は一応満足してくれたよ
うで
「うんっ」

元気一杯のにこにこスマイルでそう応えてくれる。その笑顔がまた、あまりにも可愛くて――

「あーちゃんっ」

発作的に俺はいつもの如く愛に溺れて、盲目的に歩を抱きしめてしまっていた。

「かーたん、痛いって」

 そんな俺達の姿を側で佳奈がニヤニヤと笑いながら見ている。

「全く・・・いつもながらの親馬鹿っぷりね、あんたは・・・」

 あきれた口調とは裏腹に、実は佳奈自身もこんな光景を見るのが結構好きらしい。クールな態度を取り続け
てはいるものの、戸籍上はちゃんとあーちゃんと血の繋がった叔母さんだもんな。

「来るといいね、あーちゃん」

 佳奈もそう云って、歩を勇気付けてくれる。

「うんっ」

 力いっぱい返事をする歩をせかしながら朝食をとって、8時前には俺達3人で揃って家をでた。

(何か、たまにはいいよね、こういうの・・・)

 家族なんだな・・・しみじみとそんな幸せを噛み締めていた、さわやかな朝のひと時であった。

佳奈さまさまです・・・何かこのお話って佳奈に引っ張っていってもらう部分が多いよね


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