ユックリ ユックリト 僕ハ君ヲ好キニナル・・・


理学療法士の恋   ACT.8



「――さん」
「・・・・・・・」
「日下さん」
「・・・・・・・」
「日下さんったらっ!!」
「わっ!?」

 突然、耳元で大声を出されて、俺の体は自分の肩よりも半身高く跳ね上がってしまっていた。心臓が止まりそうなほどびっくりさせられてしまった俺の目の前には、膨れっ面をした三鷹くんの顔がある。

「もう、日下さん、何ボーっとしているんですか?さっきから俺、何回も呼んでいるのに・・・」
「ごめん、ごめん」

 愛嬌たっぷりに笑って誤魔化しておいたものの、今は仕事中――三鷹くんのリハビリの最中である。俺達は、いつもの如く、中庭に出て屋外の歩行訓練を行っていた。根ががんばり屋なのか、普通の患者さんの何倍も一生懸命になってリハビリをこなす三鷹くんの回復ぶりには本当に目を見張るものがある。今の三鷹くんは、ほんの数日前まであんなにも頼っていた歩行器の使用をやめた。、自分の腕で二本の松葉杖を巧みに操り、行きたい方向に自由に動けるところにまで回復している。自分の担当患者が、ここまでのがんばりを見せてくれているというのに、ここ数日間の俺は一体何をやっているんだか・・・恥ずかしながら今の俺は、仕事にも全く身が入らず、ふと気付けば茫然と物思いに耽ってしまっている。

「・・・・・・・」

 中庭のベンチで、人の悪い笑みを浮かべた三鷹くんが俺の顔を覗き込むようにして聞いてきた。

「もしかして・・・日下さん、恋煩いですか?」
「な――」

 図星を突かれて、俺は思わず赤くなる。

「やっぱりなー、お相手はあの牟田さんですか?」
「な、な、な、な、な、な・・・違――その――」

 その事実を隠そうとしてあせればあせるほど、俺の言動はおかしくなる。そんな俺の様子を三鷹くんは目を細めて見つめていた。

「日下さんは嘘のつけない人だから――今更取り繕ったって全部バレバレですよ」

 俺の気持ちは、どうやら、ここ数日間の俺の態度に如実に表れていたらしい。しかも、その相手は、ほんの数日前まで、俺が三鷹くんを相手に散々詰っていた件の男である。

「・・・気持ち悪いとか思わないのかよ」
「え?」
「だって・・・その・・・男が・・・同じ男に対してそんな気持ちになるなんて・・・」

 牟田と違って、三鷹くんは極めてまともな性癖のはず――自分勝手にそう思い込んでいた俺がそう云ったら、三鷹くんはクスリと笑った。

「関係ないじゃん、そんなの」
「え?」

 良識家である三鷹くんの口から発せられたとは信じがたい言葉に、俺が目を丸くしていると

「だって、日下さん、別に牟田さんが男だからって選んで好きになった訳ではないでしょう?好きになった牟田さんがたまたま男だっただけというだけで・・・でしょう、違う?」

 成る程、そういう広義的な考え方もあるのか・・・さすがは三鷹くんだ。

「でも、俺、ちょっと意外だったな・・・」

 感慨深げに三鷹くんは云う。

「俺の勝手な思い込みだったかもしれないんだけ、日下さんは絶対ああいうノリの軽いタイプの人は嫌いなんだろうなって、俺は何となくそう思っていたから」

 確かに――沢山のギャラリー達が居るトレーニングルームで、わざと俺に露骨なセクハラを仕掛けてくる牟田は嫌いだ。でも、あれは周囲を欺く為にわざとやっていた事であって、奴の本当の姿ではない。俺はその事を知ってしまったから・・・

「あーあ、なんか俺すっかり作戦負けしちゃったみたい」

 独り言のように、突然、三鷹くんが自嘲めいた一言を漏らした。

「?」

 聞き捨てならないセリフに、俺は三鷹くんの顔を見つめ返す。

「日下さんはさ、今まで俺の事を年の割には素直でなんて良く出来た大学生なんだろうって、ずっとそう思ってきたでしょう?」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑りながら、三鷹くんはそんな事を云う。

「日下さん、人が好いから俺の事をずっとそう信じ込んできたと思うけど・・・ごめんね、日下さん・・・別に日下さんの事を騙していた訳ではないんだけど・・・本当は俺、日下さんが思っているような素晴らしい人間じゃないんだ」

 先程までの三鷹くんとは随分雰囲気が違う・・・やけに砕けた感じの三鷹くんだ。何だ・・・この三鷹くんのいきなりの態度の変化は・・・

 あっけに取られた俺が、呆然とした顔をしていると

「日下さん、こう云う事にはとことん鈍そうだから、ちゃんとはっきりと云わなくちゃ分かんないか」

 俺の阿呆面を見て、三鷹くんは一人で納得している。

 何・・・何だ・・・この怪しい雰囲気は・・・まるであのセクハラ牟田が俺に性質の悪いイタズラを仕掛けてくる前のような鋭い緊張感が俺の体を走る。三鷹くんはいつにもなく真剣な目をして、俺の顔をじっと見つめてきた。

「日下さん――」
「ぎゃあっ」

 突然、耳元で名前を囁かれて、俺は心臓が縮み上がるほどびっくりさせられてしまった。扇情を煽る熱い囁き・・・今、俺の目の前にあるのは、俺が今まで一度もお目にかかった事がなかった三鷹くんの精悍な男の顔である。

「日下さん」
「!?」

 今度はしっかりと手を握られて、三鷹くんの方へ体を引き寄せられてしまった。自分の思慮の範疇を大幅に超えてしまった三鷹くんの予想外の行動に俺は唖然となる。三鷹くんの行動に対して、俺は一体どう対処すればいいのだろう。俺の大脳がその指令を出す前に、三鷹くんは俺の耳元に口を寄せると、優しくこう云ったのだ。

「――好きです、日下さん」

・・・・・・・って

え・・・・・・

え?

・・・・・・・・・・

「ええーっ!?」

「――って、日下さん・・・そんな色気なく大袈裟に驚かなくてもいいじゃん・・・」

 そんな事云われたって、これが驚かずにはいられるかっ――突然の愛の告白・・・!?しかも、その相手は、この人だけは極めてまともだと、ずっとそう俺が信じ込んできたあの三鷹くんであって・・・駄目だ――俺、今すごく混乱しているぞ・・・牟田同様、三鷹くんは俺をおちょくろうとしているのか・・・?これは三鷹くんの悪い冗談であって・・・そうだ・・・そうであってくれた方がどんなに良かったかしれない・・・でも、やはり、現実はそんなに甘くはなくて・・・

「・・・・・・・」

 まっすぐに俺を見つめる三鷹くんの熱い眼差しが、三鷹くんの真摯な思いを俺にまざまざと語っている。

「・・・俺・・・俺・・・」

 この場合一体何と云って言葉をかけたら三鷹くんを下手に傷つけずに済むのか、混乱する俺に三鷹くんの方から優しく声をかけてきてくれた。

「いいんですよ、日下さん、そんな困った顔をしなくても」
「でも・・・」
「別に俺は、日下さんに俺の気持ちを受け入れてもらおうと思って告白した訳じゃないんですよ。ただ、俺の気持ちも知っておいてもらえたらと思って・・・初めて会った時から、日下さんに対して俺がこんな気持ちを抱いていたって事、日下さん全然気付かなかったでしょう?」
「・・・ごめん」
「だから――俺はそんな風に日下さんに謝ってもらいたいんじゃなくて・・・何て云ったらいいのかなあ・・・すっかり出遅れちゃって、残念ながら俺の事を好きになってはもらえなかったみたいだけれど・・・でも・・・俺、まだ日下さんの事が好きだから・・・多分、しばらくは忘れられそうにないから・・・ただ、それだけを知っておいてもらえたらと、そう思って・・・」
「・・・・・・・・・」

 ごく自然な仕草で、三鷹くんは自分の胸に俺の体を引き寄せた。

 三鷹くんの瞳の中にある穏やかな光が俺の姿を優しく見守ってくれている。三鷹くんの優しい腕に導かれて、その広い胸に身を預けていると、俺はとても安らいだ気持ちになれた。中庭のベンチなんていう衆人環視甚だしい場所で男に抱きすくめられているというのに、この状況がとても心地良く感じられてしまう。思えば俺は、ずっとこんな穏やかな温もりに飢えていたのかもしれない。肌と肌が触れ合う人肌の温もり――洋服の布越しに伝わる三鷹くんの規則正しい拍動が俺の心を安寧に導いてくれている。今の俺が、今の自分自身に対して抱いている漠然とした不安も、牟田に対して抱いている蒙昧跋扈とした想いも、三鷹くんの胸に抱かれているこのほんの一瞬の間だけは忘れる事が出来る。

(でも・・・)

 今の俺の心が、本心から求めているのはこんな温もりとは違う。それは、きっと今の俺の心を癒してくれている三鷹くんの温もりとは180度性質の違う――温もりという言葉で表現できるほど中途半端な熱さのものではなく、ともすれば俺自身の身をも焼き尽くされてしまいかねない熱情とも云うべき感情――今の俺が求めているのは、あの男が持つそんな情熱的な熱さだと思う。

「・・・ごめん」

 三鷹くんの温もりに包まれながら、俺はもう一度そう呟いてしまっていた。俺を抱きしめる三鷹くんの腕に強い
力が篭る。

「分かっていますよ・・・そんな事・・・最初から分かっていた事だから・・・でも・・・でも・・・ごめん・・・日下さん・・・もう少しだけ、このままでいさせて・・・」
「・・・・・・・・」

 ごめん――三鷹くん

 本当にごめん

 俺、随分と三鷹くんに甘えているね。

 目を閉じたまま今以上に三鷹くんの胸に身を預けてみる。三鷹くんの温かい優しさに包まれて――不謹慎な事だけれども、俺はずっとあの男の事を想い続けていた。


 牟田に会いたいと思った。

 今この瞬間、牟田に会いたいと思った。

 牟田に会って――あの逞しい腕にこの身を抱かれたくて――

 奴にこの切ない俺の胸の内を正直に伝えたくて――

 俺の全身を駆ける熱く狂おしい想い――今この瞬間、すぐに牟田に会いたいと願う――この刹那的な気持ちこそ、恋というべきものだと云う事を――俺は生まれて初めて知った。




 どこに行けば牟田に会えるか――なんて、考えるまでもない。

 おそらく、あの場所に行けば牟田に会えるだろうと俺は確信していた。

 それは俺が初めて本当の牟田の姿と出会えた場所――あの場所から少し離れた木々の隙間にでも隠れて、その姿をそっと盗み見るだけで良かった。

(何だか・・・俺ってすげー女々しい奴じゃん・・・)

 牟田の事を考えるだけで不思議と心が熱くなる。そんな自分自身の気持ちに苦笑いしながら、俺はその場所へと向かっていた。




 その日は月のない晩であった。見渡す限り、辺り一面を覆う真っ暗な闇の中で、所々まばらに浮かびあがる外灯の灯だけを頼りに手探りで木々の間を進む。俺の勘が正しければ、牟田はこの木立を抜けた先にあるあの広場のような場所に居るはずだ。今日のように月明かりのない真っ暗な夜に、果たして秘密の練習が出来るかどうか・・・だが、一日たりとも体を鈍らせたくはない――未だアメフトをあきらめきれていない牟田の気持ちが、今日もあの男をそこに導いているだろうと俺はそう確信していた。

 はやる心を抑えながら、俺はその場所へ急ぐ。

「!?」

 お目当ての場所の近くまで来て、ふと、俺の足が止まった。

「・・・・・・・」

(何だ・・・こんな所で・・・あいつら、一体何をやっているんだ・・・?)

 木立の脇に立つ外灯の一角で数人の男達がたむろしている。パジャマ代わりのジャージに防寒着を羽織っただけといったラフな身なりの男達は、おそらく俺が勤めるこの病院の入院患者達であろう。こんな夜更けに全く人気のないこの場所で一体何をやっているのか・・・目を凝らしてよく見てみると、男達の手には院内では絶対禁止となっている酒類と思しき缶やビンがしっかりと握られてるのが分かった。夜闇にぼんやりと浮かび上がっているその空間だけが、男達の吸うタバコの煙で真っ白に曇っている。

 この場所であの男達が何をしているのか――俺は即座に理解出来た。長期に渡っての禁欲的入院生活を強いられている若い患者達にはよくある事だ。ついそんな行動に走ってしまう彼らの気持ちも、同じ年代の若者として、俺も分からぬ訳ではない。だが、この病院に勤めるスタッフとして、また、直接ではなくとも医師と同じ患者を救う立場に居る者として、俺は彼らの行動をこのまま黙って見過ごす訳にはいかなかった。 

 とりあえず、角が立たない程度にやんわりと諫めておこう。そう思った俺は、彼らの側へゆっくりゆっくりと近付いていく。

 枯れ枝を踏みしめる乾いた音がやけに辺りに響く。その音で、俺が彼らに声をかけるよりも先に、彼らの方が俺の姿に気付いてしまった。

「何だよ・・・」

 俺の姿を正面に捉えた男達が、俺に対して胡乱な視線を投げかけてくる。自分達のせっかくのお楽しみが予期せぬ闖入者によって無下に中断されてしまった――男達の視線はそう云って、暗に俺を責め立てている。むっとくる酒臭い臭い――男達はもうかなりの量のアルコールを摂取しているようだ。。

(まずいな・・・)

 的確な状況判断をせずに、男達に安易に声をかけてしまった自分自身の軽率さを激しく悔いた。どうやら、まともに話が通じそうな様子ではない。これだけの人数の酔っ払い達を相手に、俺一人でうまく立ち回る事が出来るかどうか・・・もちろん、非力な俺に力ずくでなんて云うのは絶対に無理な話だ。あくまでも俺は、話し合いによって平和的にこの場を収めたい。

「――何だ、お前は?」

 連中の中で一番血の気が多そうな年若の男が俺の前に進み出てきた。

 男の酒臭い息に思わず鼻をつまみたくなる――駄目だ・・・どう贔屓目に見ても、まともに人の話が聞けるような状態ではない。

「何だぁ、お前はっ、口も訊けないほどにビビっちまっているのかよっ」

 殺伐としたその場の雰囲気に飲み込まれてしまって、真っ青な顔でただその場にじっと立ち尽くしていた俺の側に男は更ににじり寄ってくる。

 恥ずかしい事だけれども・・・男の云う事は半分本当であった。血生臭い場面を意図して避けて生きてきた所為か、俺は今のような修羅場的状況には全く縁のない男である。男の体が俺に摺り寄せられる度、自分の中に堪えがたい恐怖が次々と湧き上がってくる。俺は意図的に他人を殴れるような人間ではないし、反対に人に殴られるのも絶対に嫌だ。ともすれば、今すぐにもこの場に崩れ落ちそうになる弱い自分自身の体に叱咤しながら、必死にこの場を持ちこたえる。気を抜けばすぐにでも笑い出してしまいそうな膝に強い力を入れて、俺は必死にその場に立った。周りの男達は、そんな俺の様子をさも面白そうに眺めている。

「何だ、お前も仲間に入れて欲しいのかよ?」

 男達の中でもまだ幾分酔いの浅そうな男が、俺にそう云って笑った。この中ではこの男が一番まともそうに見える。俺は、なけなしの勇気をはたいて、俺はこの男にかけてみる事にした。おぼつかない足で震える体を支えて早速その男へと掛け合ってみる。

「お楽しみのところ、大変申し訳ないのですが…あなた達、この病院の入院患者でしょう?入院中は煙草はともかく酒は絶対に禁止だと入院の際に手渡された規則書にちゃんとかかれてあったはずですが・・・」
「だったら、何だ?お前は医者か?」

 血の気の多そうな若者が喧嘩腰で俺に詰め寄ってくる。

 もちろん俺は医者ではない。だが、患者の体の回復を助けるという点においては医者と同じ立場にいる人間である。まあ、こんな酔っ払い達相手に、そんな俺の仕事の職業的意義について話してみたところで仕方のない事であるが。

「医者でもないって云うのなら黙って引っ込んでいてくれよ。あんな檻みたいな部屋にずっと閉じ込められて、俺達も相当溜まっているんだよっ。少し羽目を外す事ぐらい、大目に見てくれたっていいだろうがっ」

 これが少しと云える範囲なのだろうか・・・?箍が外れたみたいに無茶苦茶飲みやがって・・・いくら何でもこれはやりすぎだ・・・こんなの、こいつらの体には絶対に良くない。

「羽目を外すのはいいけど・・・酒はまずいでしょう」
「何だって!?」

 遠慮がちにそう云った俺に、男達はますます絡んできた。

「こんな退屈なトコで他に何の楽しみがあるって云うんだよっ」
「そうそう、美人のナースが居るかとも思って、期待して入院したのに、この病院のナース、ブスばっかり」
「そうそう」
「なあ、あんた、病院関係者だって云うんなら、俺達に美人のナースでも紹介してくれよ」
「ホント、白衣姿で一発ヤらしてくれたら、病気なんてすぐに吹っ飛んじまうのになあ」
「云えてる、云えてる――」

 男達の下卑た笑い――冗談じゃないっ・・・!!いくら酔っ払いの戯言だと云っても、こいつら、入院の主旨を大きく間違えちゃいねぇか?病院というのは、あくまでも病気を治す為の治療を施す場所であって、お触りバーや性風俗とは全然違うんだよっ!!

「こらっ、酒はやめろって云っているだろうがっ」

 男達の不埒な言動に半分キレかかった俺は、ボトルから酒を直接ラッパ飲みしようとしていた男の酒瓶を無理にひったくった。

 一体、自分のどこにこんな勇気が残っていたのか、仕事に対する使命感が俺をこんな行動へと駆り立てているのか・・・でも、黙っていられなかった――病院を・・・俺の職場を馬鹿にされているような気がして・・・ナースがブスばっかりで悪かったなっ!!それでもみんな、本当に面倒見がよくて、心は超一流の美人ばっかりなんだよっ。

「何しやがるっ」

 酒瓶を俺に奪われまいとして男が暴れる。その男に加勢するようにして、背後から数人の男達が、俺の体
目掛けて一斉に躍りかかってきた。

「!?」

 予想されていた事ではあるが、俺の体は男達によってあっという間に羽交い絞めにされてしまう。男達の体から我が身の自由を取り戻そうとして無茶苦茶に暴れたら、無慈悲な事に俺の顔めがけて拳が飛んできた。右頬を思いっきり殴られて、俺の細い体が後方へと大きく弾き飛ばされる。情けなく尻餅をついて崩れ落ちた俺の襟首を、側にいた男に乱暴に掴みあげる。まるで非力なネコの子をいたぶるようにぞんざいに扱われて・・・自身のプライドを踏みにじられる屈辱に思わず涙が滲んだ。

「おらっ、あんな偉そうな事を云っていたワリには何の反撃もナシかよっ」
「情けねぇー」
「男だろっ、お前も、少しぐらい根性見せてみろよっ」

 からかうように頭を小突かれて、無理矢理地べたに這わされる。抵抗らしい抵抗もろくに出来ず、男達にされるがまま、ただ身を任せている自分の非力さが心底惨めだった。俺もこの男達と同じ『男』という生き物であるはずなのに・・・情けない事に俺は相手を殴り返す事も出来ない。

「なあー」

 男達の中の一人が俺の髪を掴んで無理矢理俺を上に向かせた。酒臭い息がまともに俺の顔にかかる。ギラギラと血走った目――男は完全に正気を失っているようだ。

 飢えた獣のように光る目が俺を真っ直ぐに見下ろしている。

「あんたのやっている事、それ、余計なおせっかいって云うの。青臭い正義感を振りかざしちゃってさ、己の領分も弁えなずどこにでも図々しく首突っ込んでくる奴――居るんだよねー、どこの世界でも一人ぐらいそう云う非常識な奴って――自分のやっている事に自己陶酔しちゃっているお目出度い奴?俺、昔っからそう云う正義感面した奴って大っ嫌いだったの」
「俺も、俺もっ」

 男の言葉に数人の男達が同調した。

「違うっ、俺は、あんた達の体の事を思って――」
「まだ云っている」
「いい加減うざいんだよっ」

 あっと思った瞬間には、誰とも知れない男の踵が俺の脇腹にめり込んでいた。蹴られた部分を庇いながら、俺の体は男達の足元へと再び崩れ落ちる。胃液がせり上がってきて、激しい嘔吐感が俺を襲う。激痛が俺の張り詰めていた精神を一瞬にして崩壊させてしまう。

「はら、ほらっ、おねんねにはまだ随分と早い時間だぜっ」
「威勢のいい事云っていたくせして、ホント根性ねえ奴――」

 四方八方から集まってきた男達のつま先が俺の体を小突く。多量のアルコールの摂取によって、ほとんど感情のコントロールを失ってしまっている男達は、一種危ない集団心理状態に陥ってしまっていた。

「・・・・・・・」

 今、男達の頭の中には目の前の獲物をいたぶる事しかない。己の飽くなき嗜虐心を満たしてくれるか弱き獲物――つまり、それはこの俺の事である。

「おらっおらっ、そんなに弱くちゃ、俺達に酒をやめさせる事なんて到底出来そうにもないぜっ」
「仕方ねぇなあ・・・乗りかかった船だ。俺達親切だから、この機会にそんなあんたの根性をちゃんと鍛え直しておいてやるよ」

 もっともらしい理由をつけた男達の鋭い蹴りが次々と俺の体を襲う。
 自分に押し寄せてくる男達の荒々しい感情の波が俺の体の上を通り過ぎていくのを――嵐が過ぎ去るのをただじっとこのまま身をエビのように固く丸めて耐えていればいいのだろうか・・・?肉体的責苦から身を守る手段を何一つ持たない俺にとっては、それが一番の最善策のように思われた。

 だが、俺のそんな従順な態度が、男達の感情を余計に煽ってしまったようだ。

「何だよっ、みっともねぇ、てめぇは亀かよっ!?」
「あんた、それで本当に男か!?」

 何と云われようと、腕に全くの自信のない俺に、これといった反撃は出来ない。こいつらの云うとおり、確かに俺は根性無しの人間だ・・・それに、こいつらの為にも、これ以上騒ぎを大きくする訳にもいかなかった。

「なら、遠慮なくいかせてもらうぜ」

 振り上げられた拳が唸りを上げて俺の顔面めがけて叩き落されようとしている。自分の体に次に与えられ
るであろう衝撃に備えて、俺は目を固く瞑りじっと息を凝らす――その瞬間の出来事だった。


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