メヌエットシリーズ 第3弾

イチバン大切ナ人ノ幸セノタメニボクガ出来ル事・・・

Gift




※ここからこのお話は第3者視点となります

 「歩、ここよっ!!」

 平日の昼下がり、小学校の校門の前に立つにはいささか場違いな派手な女が、露出度が異常に高い短
いスカートの裾から出た長い足を通行人に披露しながら笑っている。その女は、学校の通用門からお目当て
の人物が出てくるのを見ると、大声を上げて自分の方へと手招きした。何もしていなくても、存在自体かなり
目立つ女である。はっきり云って、今のこの状況はかなり恥ずかしい・・・道行く人、みんなが振り返って、何
事かという顔で女の方を見ているのだ・・・この常人並外れた感覚の持ち主であろう里佳子の事を・・・

「・・・何?」

 素直に歩は里佳子の前に立った。突然やってきた女にいきなり母親と名乗られたものの、歩は、この女と
まだほとんどろくに言葉も交わしていない。昨日は昨日で、この女に近付く事を佳奈に暗に止められていた
し、歩自身、この女と何を話せばいいのかよく分からなかった。ドラマや本の世界では、この場合、感動の対
面という場面になるのだろうか・・・?大手を広げて待ち構えている里佳子の胸に歩が涙ながらに飛び込みし
っかりと抱きあう――お決まりのそんなシーンとなるのだろうか・・・?だが、不思議と歩にはそんな感情は湧
いてこない。嬉しくて、嬉しくて、心が打ち震えるほどの感動など、今の自分には全く程遠いようなものにも
思える。自分は冷たい人間なのか・・・?いや、それ以前に、歩は自分の母親の事について、あまり真剣に
考えた事がなかった。歩には自分の血縁上の父親である翔が居て・・・それから、堀内が居る。佳奈も居
て、たまに帰る田舎には天地の祖父母が居て・・・草薙の家の人達も居る。そう云えば、佳奈の姉だというこ
の人は・・・草薙のおばあちゃんにはもう会ったのだろうか・・・幼心に、この瞬間、歩は何故かそんな事をふ
と思ってしまっていた。

「・・・愛想のない子ね」

 それきり何も云わず、じっと里佳子の顔を見つめ続けていた歩に向かって、里佳子はそんな事を云う。

「そのふてぶてしい態度、私の小さな頃にそっくり。私ねぇ、小さい頃、めったに泣かない子供だったのよ。
あんたもそうじゃない?」

 確かに・・・赤ん坊の頃はいざ知らず、歩はめったに泣かない子供だった。保育園で菜津に苛められていた
時は別として、自分の親である翔の前では、極力涙を堪えようとしてきた。それは、自分の弱さを翔に見せ
たくはなかったから?翔に余計な心配をかけたくなかったから?幼いながらも、翔に対して精一杯に取った
歩なりのポーズでもあった。

「ねぇ、今から一緒にアイスでも食べに行かない?」

 ゆっくりとしゃがみこんで、視線を歩に合わせながら、優しく語り掛けるように里佳子が云う。

「・・・学校の帰りに寄り道したらいけませんって先生に云われているんだけど・・・」

 歩がそう答えると

「お堅い子ねぇ、そんな融通が利かない所は翔そっくり――まあ、あんなお堅い男に育てられたらそうなっち
ゃうのも仕方ないか」

 声を上げてけらけらと楽しそうに笑う。そんな里佳子の子供っぽい表情を歩はじっと見ている。

(・・・変な人・・・)

 歩はこんなおかしな大人を初めて見た。自らの母親と名乗る女性は、確かに見た目は十分に成人した大
人の女ではあるけれども、その中身は歩が知っているどんな大人とも違う。大人とはもっと威厳があって堅
苦しい生き物ではなかっただろうか・・・社会的責任とか云うものがあって、自分の思うままには生きられな
い。いろんな事に自分で折り合いを付けながら生きていくのが大人という生き物ではなかっただろうか・・・歩
はこれまでずっとそう思ってきた。翔を見ていても、もちろんそう思う。堀内を見ていても、佳奈を見ていて
も・・・

 だが、今、自分の目の前に居る女は、とてもそれと同種の生き物だとは思えない。大人特有のしがらみを
全く持たず、自由奔放で・・・

(本当にこの人が僕のママなのか・・・?)

 歩は目を見張る思いで里佳子の顔を凝視していた。と、その時

「あゆっ、何しているんだよっ」

 急いで歩の後を追ってきたのであろう。校門の中から1人の少年が飛び出してきた。歩の同級生だろう
か?歩より頭半個分は長身で、体格もかなりがっちりとしているその少年は、背中に背負った大きなランド
セルの重さも全く苦にせず、颯爽と歩の側にやってきた。そして、歩と里佳子の間を遮るように、2人の間に
無理矢理自分の体を割り込ませると、歩に向かって

「あゆっ、知らない人に声をかけられても絶対に相手をしたら駄目だって先生が云っていただろうっ」

 負けん気の強そうな顔でそう一気にまくし立ててくる。

「知らない人じゃないもん・・・」

 憮然とした面持ちで歩がそう答えると

「じゃあ、誰?」
「・・・・・・・・・・」

 そこで、また歩は黙りこんでしまう。云いたくないのか、云ったらまずい人物なのか・・・煮え切らない態度
の歩に痺れを切らしたように、その少年は、今度は里佳子の方に向き直った。

「オバサン、誰?」

 全く遠慮のない実にふてぶてしい態度である。昨日の歩と云い、最近のクソガキは大人に対する口の聞き
方も知らないのか・・・思いもかけず、またもや『オバサン』と呼ばれてしまって、理不尽な怒りが、ふつふつと
里佳子の心に湧き上がってきたが、そこは一応大人である。その怒りを必死に理性で押さえ込んで、精一
杯のにこやかな笑顔を作りながら里佳子は云った。

「あんたこそ、誰?」

 たかだか6つか7つのガキに本気で怒っても仕方がない。それは分かっているのだが、この少年、実に可
愛げのない顔をしていた。顔立ちが不細工とかそう云うのではない。それは、むしろ、今は子供でありながら
も、あと10年もしたら十分に期待できそうな精悍な男らしい顔つきをしていたし・・・だが、里佳子が気に入ら
なかったのは、その少年の目だ。眼光が異様に鋭く、相手のその心の中身までも余す所なく探ろうとするそ
の視線・・・里佳子を見ている時、歩の前に立ちふさがろうとする人間を見る時、きっとこの少年は、その目で
相手の全てを窺っているのであろう。その人間が歩にとっての善であるのか、それとも悪であるのか・・・そう
して、側でいつも歩の事を守っているのだ。まだこんなに小さな少年であるのに・・・その目はもう既に、自分
の大切な人を守りたいと云う立派な男の目なのだ。・・・それが里佳子には、余計癪に障った。

「菜津だ」

 里佳子の問いかけに、少年は堂々と答える。

「オレは駅前の新庄青果店の新庄菜津だ」
「青果店って、八百屋の事?」

 この際、それは今の話題に全く関係のない事だと分かってはいたが、ついはずみで里佳子はそう尋ねて
しまう。商売人の息子である。よくよく考えてみたら、宣伝代わりにいつもそう名乗るよう、親に躾けられてい
るのかもしれない。

「そうだよ、オバサン、青果も知らないの?」

 話せば話すほど、実にこまっしゃくれたガキである。側に立っているだけでも歩とは雲泥の差がある。こん
なガキにだけは育って欲しくないと里佳子は真剣にそう思った。

「で、オバサン誰?」

 不快だ・・・こうもオバサン、オバサンと連呼されたら、不快極まりない。

「あのねぇ、あんた、さっきからオバサン、オバサンって、ホント失礼なガキねぇ――私はオバサンじゃないの
――歩のママなの、歩のママ、あんた分かる?」
「嘘だっ」

 里佳子がそう云うなり、すぐさまその言葉を少年に否定されてしまう。

「あのねぇ、あんた・・・こんな所でわざわざ私がそんな嘘ついてどうするんのよ・・・」
「嘘だ・・・そんな事云って、あゆの事ユーカイしようとでも思っているんだろうっ――あゆ、可愛いから・・・」
「そうね、確かに可愛いわね」

 この瞬間、里佳子はあれ?と思った。『可愛い』と何気なく云った少年の言葉ではあったが、この一言にこ
の少年が歩に対して持つ全ての気持ちが要約されているような気がしたのだ。つまり・・・

 里佳子は、自分の心に湧き上がってきたその疑問を意地悪く少年に直接問いかけてやった。

「あんた、あゆの事が好きなのね」
「!?」

 途端に、少年の顔がみるみる赤くなる。

「何だ、あんたもそんな子供らしい反応がちゃんと出来るんだ」
「うるさいっ、クソババアっ」
「菜津っ」

 完全に平静を失ってしまった少年の腕を引いて、歩が宥める。

「あのね、菜津・・・本当の事なんだ・・・」
「あゆ・・・」

 少年は不安げに歩を見詰める。

「本当に・・・本当にこの人が僕のママらしいんだ・・・」
「・・・・・・・・・・」

 らしいと云うのは、一体どう云う意味なのだろう・・・その事実をまだ疑っていると云う事なのか・・・それとも、
暗に認めたくないと云う事なのか・・・里佳子は、歩の言葉のその部分がやけに気になったが、あえて追求し
ないでおいた。

「・・・嘘・・・」
「だから、ホント」

 菜津という少年は、どうあっても、里佳子の存在を認めたくはないらしい。

「・・・だって、全然似ていないじゃん・・・」
「・・・・・・・・・・」

 歩の容姿は完全に父親似だ。小さい頃から、シャチハタ親子だと云われてはよくからかわれたものだ。

「それに・・・あゆの母ちゃんはあの翔ちゃんなんだろ?翔ちゃんが母ちゃんで、堀内が父ちゃんみたいなも
んなんだって、前にあゆ、俺にそう云っていたじゃん」
「?」

 この菜津の発言には、里佳子の方が面食らってしまった。一体、翔は歩にどういう教育をしてきたのや
ら・・・いくら、歩が母親の居ない不憫な子供だからって、男の自分が母親となって、その連れ合いにわざわ
ざ自分の男友達を選んで、両親の代わりとして子供に認識させていただなんて・・・あまりにも馬鹿げてい
る。もちろん、それは、未だに翔と堀内の仲を知らぬ里佳子だからそう思える事であって・・・

「あんた・・・救いようのない馬鹿ね・・・」

 軽く溜息をつきながら、里佳子が菜津に向かってそう云う。

「何だとっ」
「だってそうじゃない。男の翔に赤ちゃんが生めるの?あんた、自分は父親の腹から生まれてきたとでも思っ
ている訳?馬鹿じゃない――歩は私が生んだ私の息子なのよ。私がお腹を痛めて生んだ息子なのよっ―
―私がオッパイ飲ませて、オムツ替えて大きくした子なんだから」

 但し、最初の1年だけだけど・・・と云う言葉はこの際伏せておく。

「嘘だっ、じゃあ、どうして今まであゆの所に居なかったんだよっ――保育園のお迎えの時だって、1回も来
た事ないじゃんっ、あゆ、可哀想だったんだぜ・・・いっつも、いっつも、いっつも、翔ちゃんが来るまで一人で
待たされて・・・堀内が・・・堀内が居てくれたからいいけど・・・それでも、あゆ可哀想だったんだぜっ」

 その可哀想なあゆをしょっちゅう苛めていたという自分に都合が悪い事実はこの際あえて隠しておく。菜津
自身、あの頃から随分と成長したし、歩に対する考え方も気持ちも変わったのだ。

「それは・・・ほら、お仕事でちょっと遠くに行っていたから・・・」
「それ、ホント?」
「!?」

 里佳子の苦しい云い訳に、歩がいち早く反応した。

「それ、本当・・・?お仕事で遠くに行っていたと云うの・・・本当?本当なの?」

 歩が真剣な顔をして、必死にそう聞いてくる。その迫力を前に里佳子はタジタジとなった。どうしよう・・・今
更、嘘とは云えない。

「ええ、まあ・・・」
「良かった・・・」
「?」

 歩の表情が、ホッと安堵に緩む。

「良かった・・・あゆ、ずっと・・・捨てられたって思っていたから・・・」
「・・・・・・・・・・」

 校門の前でとてもすべき話題ではない。穏やかに晴れた日の昼下がり、帰宅しようとはしゃぐ無邪気な子
供達の楽しげな喧騒の中にこの話題はあまりにも不似合いすぎた。

「・・・馬鹿ね・・・そんな事ある訳ないじゃない・・・」

 里佳子がゆっくりと歩の言葉に答える。必死にその表情を取り繕いながら・・・懸命に平静を装って、心の
動揺を絶対に歩に悟らせないよう細心の注意を払いながら・・・

(こんな私でも・・・まだ良心のかけらが残っていたんだ・・・)

 歩の言葉を聞いた瞬間、里佳子の心は激しく痛んだ。それは、歩という自分自身の子供に対して、過去の
自分が仕出かしてしまった罪の重さから来る心の痛みなのか・・・それとも、今、この瞬間、歩に対して、嘘
の答えを返してしまった・・・自分自身の言葉で歩に欺いてしまったという後悔の気持ちなのか・・・

(違う・・・捨てたんじゃない・・・私は・・・あの時・・・)

 今更どんな言い訳をしたって始まらない。記憶に残されているのは、あの時、自分がとったあまりにも浅は
かなその行動の事実しかないのだ。いくら自分の心を美化して、正当と思われる言い訳をしてみた所で、そ
の事実は何ら変わりもしない。

「じゃあ、帰ってきてくれたんだね。お仕事が終わって、帰ってきてくれたんだね」
「ええ・・・まあ、そうね・・・」
「じゃあ、これからは一緒に暮らせるんだ」
「!?」

(一緒にって・・・翔と私と3人でって事・・・?ちょっと待ってよ、私は――)

「歩、あのね――」
「良かったな、あゆ」
「うんっ」

 里佳子が何か云いかけようと口を開きかけた時、2人の間にすかさず菜津が入り込んできた。菜津がかけ
た言葉に、まるで天使のようなあどけない笑顔で答える歩を見ていると、里佳子にはそれきりその言葉の先
を続ける事が出来なかった。

(何やっているのよ・・・私・・・)

 自分の不甲斐なさにイライラくる。今ならまだ間に合う、今ならまだ弁解出来る・・・歩の心の傷も浅くて済
む・・・分かっている・・・そう、ちゃんと分かっているのに・・・

「帰ろうか、ママ」
「!?」

 歩にそう呼びかけられると、胸が一杯になって、涙が滲みそうなほど嬉しく思えてしまう。

(そうだ・・・私は・・・この子の・・・歩の母親なんだ・・・)

 当たり前の事で柄にもなくこんなに感動してしまう。これが親の愛情というものなのであろうか・・・

(・・・・・・・・・・・)

 そんな温かな気持ちを箱に入れて、心の奥底の方にある自分だけの引き出しにそっとしまってから、改め
て歩に向き直って、里佳子は云った。

「行こう、歩、やっぱりどっかで冷たいものでも食べて帰ろう。親が一緒だからいいんだよ、寄り道しても。ほ
ら、そこのクソガキも一緒に行こう」
「クソガキーっ」

 菜津が眼を剥いて里佳子に反論してくる。

「クソガキじゃないもんっ、俺にはちゃんと新庄菜津って云う名前があるんだっ」
「はいはい、新庄菜津くんね」

 つくづくうるさいガキだと思いながらも、苦笑いして、里佳子はそう応じた。









 3人は近所の公園に向かった。

 住宅地のど真ん中、都心からそんなに離れていないこの地にある都会の公園にしてはそこそこ大きな公
園である。見る人の心を和ませる緑が沢山あって、子供が遊べそうなちょっとした遊具なんかもある。広大
な芝生の敷地の所々にある大木の木陰では営業途中のサラリーマンや若いカップルなんかが敷物を敷い
て昼寝をしている。公園の周囲には立派な散歩コースがあって、ウォーキングで歩き疲れた人々の休憩用
の為か至る所にさり気なくベンチが配置してある。その中でなるべく日陰にあって、尚且つ座り心地の良さ
そうな綺麗なベンチを選んで3人は座った。手には、先程自転車に乗って通りかかったアイスクリーム屋から
買ったアイスがしっかりと握られている。先に食べ終わった菜津が、少し先に見える遊具をちらちらと見てい
る事に気付いた里佳子が目ざとく声をかけてやる。

「・・・カバン見ていてあげるから、いいわよ、遊びに行ってきても」
「ホント、おばさん」
「いいけど・・・あんまり遠くに行っちゃ駄目よ。ここから見える範囲で遊んでね」
「うんっ」

 元気よく返事をして、菜津は駆け出す。その姿は先程里佳子が嫌だ嫌だと思っていたあの視線の影など
全くない。普通の・・・当たり前にどこにでもいる小学1年の少年であった。案外、この子は自分自身の心に
嘘が付けない正直な良い子なのかもしれない。

「あゆ、先に行っているよっ」
「うんっ」

 一方の歩は、まだ手元のアイスクリームを半分も食べきれていない。指先をべとべとにしながら、時間が
経ってとけ出してきてしまったクリームと必死に格闘している。

「歩、早く食べないととけちゃうよ」

 そんな歩の様子を、里佳子はとても微笑ましく思う。

「うん、それは分かっているんだけど・・・」
「もしかして、こんなアイスクリーム食べるの初めてだった?」
「ううん、初めてって訳じゃないと思うんだけど・・・うーん、でも前に食べたのいつだっけ・・・カケってあんまりこ
ういうの買ってくれないし・・・」

 『カケ』と歩が自分の父親をそう呼んだ事を里佳子は見逃さなかった。

「『カケ』って呼ぶんだ、パパの事」
「うん」
「どうして?」
「どうしてって・・・」

 きょとんとした顔で、歩は里佳子の顔を見ている。

 歩には里佳子のその質問の意味がよく分からなかった。里佳子が何故そんなことに拘るのか・・・歩には
全く分からない。

「・・・だって、小さい時からずっとそうだったから・・・」
「翔が云ったの?そう呼べって」
「うん、多分そうだったと思う・・・あゆ、あんまりよく覚えていないけれども・・・あ、でも、最近はね、カケ、自分
の事を『パパ』とか『お父さん』って呼べってうるさく云ってくるんだ。そんなの恥ずかしくて今更呼べないよ」

 そう云いながら本当に恥ずかしそうな顔をする。はにかんだ表情・・・そう云えば、翔も昔はよくこんな表情を
していたっけ・・・この子と同じようにあどけない顔をしていた子供時代があって・・・それが今じゃ立派なお父
さんをやっているんだもんね。あの泣き虫だった翔が・・・何だか信じられないけど・・・そんな事を思いながら、
里佳子はクスリと笑う。

「ね、カケは優しい?いいパパなの?」
「優しいけど・・・ちょっとうるさいかな・・・あれしちゃ駄目これしちゃ駄目って・・・カケに云ったらね、どんな事
でもすぐに駄目って云われちゃうんだ。だからさ、そんな時は、あゆ、トシに云うの」
「『トシ』って?」
「昨日うちに居たでしょ」
「ああ、あの・・・」

 と、里佳子は昨日会った翔の同居人の顔を思い出していた。あの男、確か佳奈の事を先輩と呼んでい
た・・・と云う事は翔達よりも年下なのか?翔よりも随分と背も高く大人びて見えたけど・・・一体、翔とはどん
な関係なのだろう・・・親友?そう云えば昨日も奥の洋室に2人で引っ込んだなりそれきり出てこなかった・・・
よっぽど信用されているんだ・・・容易に他人を自分の心に寄せ付けようとしないあの翔に・・・そんな事をぼん
やりと考えてみる。

「あの人、いつから一緒に住んでいるの?」
「分かんない、いつも一緒だったから。前のおうちの時もね、トシのおうちはちゃんと別にあったのに、トシ、い
っつもあゆのおうちにお泊まりに来ていたの」
「仲良いんだ」
「うん、みんなすーごく仲が良いよ、特にカケとトシはね。時々一緒にお風呂に入ったり、同じお布団で寝る
の。今だって、2人で仲良くお手々繋いで寝ているんじゃないかなあ」
「えーっ!?」

 歩にしてみたら、本当に何気なく日常会話的ノリで話した事ではあったが、聞かされた里佳子の方にとっ
ては爆弾発言である。天地がひっくり返って、胃液がせりあがって逆流してしまいそうなほどびっくりしてしま
った。その衝撃で、手にしていた食べかけのアイスクリームを誤って地面にボトリと落としてしまう。

「あ」
「あーあ、アイス落ちちゃったよ」
「良いの、これはアリさんにあげたんだから」

 強引な云い草であるが、内心、里佳子は

(あんたが変な冗談云うからじゃないっ)

と小さく舌打ちしていた。

(・・・まさか)

 だが、そう思いながらも、歩が云った言葉を完全に否定出来ない。里佳子の心の中に小さな小さな疑惑が
渦巻き始める。幼い頃からずっと翔を見てきて・・・翔にはいつそうなってもおかしくない要素は昔から沢山あ
った。あまりにも可憐で少女じみた顔立ちだった為、異性からはやたらと妬まれがちだったその顔も、むし
ろ、翔と同性の所謂その趣味がある人達から見れば十分に魅力あるものだったに違いない。加えて思わず
庇護欲をそそらずにはいられないあの性格である。そんな翔を前にして放っておけと云われる方が無理な話
なのかもしれない。

(しかし・・・あの翔がね・・・)

 正直、とても意外である。翔は、表面上非常に人懐こい性格をしているように見えて、案外ガードの固い部
分がある。容易に他人を自分の心に踏み込ませない。どんなに親しい間柄であっても、自分の本心を決して
見せようとはしない。そんな頑なな性分が子供の頃からあった。それが里佳子の癪に障って、余計苛めてい
たりもしていたのであるが・・・そんな翔が、あの堀内とか云う男には心を許せたのか・・・信じられない・・・あ
の翔が・・・それに翔は昔から異常なほどの良識家であった。決められた型から外れる事をあれほど嫌って
いた翔が、未だ世間一般では容認され難いホモカップルとなって憚りなく男と・・・男と暮らしているなんて・・・
信じられない・・・

(それに・・・あの男、結構いい男だった・・・)

 無愛想ではあったが、黙って立っているだけでもサマになる随分な色男であった。里佳子も今の自分の立
場が完全フリーであったならば一度お願いしていたかもしれない。あんな顔の良い男が同性と付き合っ
て・・・未来に自分の子孫を残そうとしないなんて・・・なんてもったいない・・・精子の無駄遣いも良い所だ・・・
佳奈に負けないほど面食いの里佳子は素直にそう思ってしまう。

(何か訳分かんないけど・・・悔しい・・・大体、佳奈も佳奈よ)

 当初、里佳子の予想では、翔は佳奈とくっついていると思っていた。小さい頃から、翔はいつも佳奈を慕っ
ていたし、佳奈だって自ら進んでそんな翔の世話を焼いていたのだ。同郷の幼なじみ、しかも既に男はコブ
付きときている。歩にしても、佳奈とは全く血の繋がりがない訳でもないし、翔が自らのパートナーを選ぶと
したら、必ず佳奈を選ぶであろうとそう思っていた。

 だからこそ、翔と歩の居場所を聞こうとして、最初に里佳子が佳奈のマンションを訪ねた時、佳奈があんな
にも激怒したのだとそう思っていた。だが、現実は・・・

「・・・・・・・・・・」
「あっ」

 と歩が小さく叫んだ瞬間には、歩がその小さな手で握り締めていたアイスは、ほぼ数センチとなったコーン
のカップごと里佳子の口に放り込まれてしまっていた。

「ずるーいっ、あゆ、まだ食べたかったのにー」
「あんたがいつまでもちんたらと食べているからよ」

 歩にそう云いながらも、里佳子は全く別の事を考えている。

(確かめなければ・・・)

 事の仔細を・・・翔や歩を取り巻く今のこの状況を・・・よく確かめてから結論を出さなくては・・・自分は2人を
傷つけてしまう・・・いや、実際には、もうこれまでにも随分と傷つけてきてしまっているのだが・・・これ以上、
不用意に傷つけたくはない・・・

(こんなはずじゃなかったのに・・・)

 歩に会って、歩と話してから、里佳子は自分の気持ちが変りつつある事に気付いた。ここに来た当初、6
年ぶりに歩の顔を見た時、正直自分が生んだ子供という愛しさは込み上げてきたが、それ以上の感情は全
くなかった。それが、抱き締めて、その温もりを自分の全身で感じて、歩の存在を自分の肌でしっかりと認識
した途端、その愛しさは喜びという実感に変わった。最愛すべき我が子と再び出会えた喜び・・・放したくはな
かった・・・一度は自らの手でその繋がりを断ってしまった我が子ではあるけれども今度は自分の手元に置き
たい・・・置いて自分の手で育ててみたい・・・果てしなくそう思ったけれども、今の自分の境遇を考えてみれ
ば、それもおそらくは叶わぬ夢であろう。

(――それでも・・・)

 歩には誰よりも幸せになって欲しいと・・・切実にそう願った。自分の血と肉を分け与えてこの世へと送り出
したかけがえのない自分の分身とも云える存在・・・身勝手な親ではあるけれども・・・この子を誰よりも幸せ
な子供にしてやりたいと思った。

 とけたアイスクリームで汚れた歩の指先を、里佳子は手持ちのハンカチで丁寧に拭ってやる。

「あゆーっ、早く来いよーっ」

 彼方で菜津がジャングルジムに登って、そのてっぺんから大きく手を振っている。

「うんっ、今行くー」

 そう返事を返して、歩はすぐに駆け出して行った。

「10分だけだからねー、あんまり遅くなると菜津のおうちの人も心配するだろうからー」
「はーいっ」

 里佳子の言葉に2人して素直にそう返事をした。


天使の羽のアイコン及びラインはparthenonさまからお借りいたしました。 


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