メヌエットシリーズ 第4弾   こいごころ 

16





「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「もう、そろそろいい頃かな?」
「え?」

 ガラス一枚隔てたリビングで、僕達の様子を窺いながら、ナツにそう呟いたかけが、僕達を呼びにこちらへとやってきた。

「トシ、かけ、いつまでもそんな所に居ると、風邪ひくよ。いい加減、中に入ったら」
「ああ」

 呼びかけられた声にトシが応じて、僕達は二人揃って部屋の中に戻った。

 かけに促されるまま、自分の定位置となっているリビングのソファに腰を下ろす。

「ミルク、温めておいたから、それを飲んで、早く寝なさい。それから、なっちゃんも、今日はもう遅いから、ウチに泊まっていきなよ。いいだろ?あゆ」
「・・・いや・・・俺は・・・」
「いいよ」
「!?」
「いいよ、ナツ。今日は僕の部屋に泊まっていきなよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 昼間の事を気にしてか、かけの誘いを固辞しようとしたナツに、僕の方が先にそう云ってやると、ナツは心底ホッとした顔をして

「家の方には、俺が今から連絡を入れて、謝っておくから」
「いえ、そんないいですよ、翔ちゃん、謝るだなんて・・・ウチの親は、俺が親に無断で、一日ぐらいどこに外泊しようが、そんな事に目くじら立てて怒るような親じゃありませんから」
「でも、なっちゃんだって、新庄さん家の大事な息子さんなんだぞ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「自分の子供の事を心配しない親なんて、この世に居ないんだから」
「それは・・・」

 たった今、自分の目の前で、トシと僕との抱擁をしっかり見せつけられてしまったばかりのナツに、そんなかけの言葉に対する反論は、すぐに出てこなかったようで

「とにかく、なっちゃんの家には、俺が連絡を入れておくから」
「それじゃ・・・お願いします・・・」

 と、しおらしく頭を下げるナツの姿を見届けてから、かけは僕の方に向き直った。

「あゆ・・・お前、その・・・体の方は、大丈夫なのか・・・?」
「?」
「さっき、刑事さん達に・・・その・・・お前が、一緒に居た男達に乱暴されそうになったって聞いたから・・・」

 その言葉を聞いてしまった途端、大きく息を呑んで、顔色を真っ青に変えてしまった二人を安心させてやるように、僕は出来るだけ明るい笑顔で、精一杯微笑んでみせる。

「大丈夫だよ、幸い、未遂で終わったから」
「未遂でも、相当恐い思いをしただろうに・・・」

 かけのその言葉に、やけに実感が込められているように感じてしまうのは、僕の気のせいだろうか・・・?

 そう思っていた矢先、僕の隣に腰を下ろしていたナツが、いきなり立ち上がって

「・・・許せねぇ・・・」
「・・・ナツ?」
「・・・そいつら・・・絶対に許せねぇ・・・」
「・・・?」
「そんな奴ら、俺がまとめてぶっ飛ばしてやるっ」

 そう云いざま、部屋から飛び出していこうとしたナツを、トシが慌てて押し留める。

「おいっ、気持ちは分かるが、落ち着けっ」
「んな悠長な事、云っている場合じゃねぇだろっ・・・こんな――」
「だからといって、お前が行って、今更、どうにかなる訳でもなかろう」
「だからって・・・だからって・・・こんな・・・」

 半分泣きそうになりながらも、ナツはギリリと強く奥歯を噛み締めて、自分の行く手を阻むトシの顔をじっと睨みつけている。

 実際、その辱めを受けてしまったのは、この僕であるのに・・・その当人より、今、僕の周りに居るこの三人の方が、ひどくつらそうな顔をしていて

「とにかく、落ち着け――その事に関しては、お前が余計な事をしなくとも、警察がちゃんとケリをつけてくれる」
「そうだよ、なっちゃん、警察だって、その事実はちゃんと掴んでいるんだし」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 二人からそう云われてしまったもの、ナツは、その事に関して、未だ納得出来ずにいて

「・・・ナツ・・・本当にもういいから・・・」
「あゆ・・・」
「僕は本当に大丈夫だったから――ナツが心配してくれているような事は、何も起こらなかったから」
「・・・本当・・・?」
「本当、神に誓って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 僕の言葉から、その真実を推し量るように、暫くの間、じっと僕の顔を見つめていたナツではあったが、やがて

「・・・分かった・・・あゆが、そう云うのなら・・・」

 そう云って、ようやく、僕の隣の席へと戻ってきた。

「とにかく、歩もこうやって、一応、無事にこの家に帰ってきた事だし」
「無事で当たり前だ。それこそ、こいつに何かあったら、そいつら、半殺しぐらいの目じゃ済まさないぞ」
「トシっ」

 過激なトシの言葉を、一応、諌めてはいたけど、かけだって本音は、きっとトシと同じ気持ちだと思う。ううん、かけだけではない・・・その事を、まるで自分の事のように本気で怒ってくれたナツだって、こんなにも親身になって、この僕の事を心配してくれているのだ。

「さ、今日はもう遅いし、話はまた、朝になってからって事で」
「そうだな、とりあえず、少しでも寝ておかないと」

 トシもかけも、朝になれば、いつもと変わりなく自分達の仕事に向かわなくてはいけないのに、僕の事で夜中にこんな煩わしい面倒をかけてしまって・・・その事を、僕は心底申し訳なく思った。

「かけ・・・トシ・・・本当にごめんね・・・それから、ナツも」
「あゆ・・・」
「・・・お前が、本気でそう思っているのなら、もう二度とこんなふざけた真似はするな――自暴自棄になったって、何の問題の解決にならないんだぜ?」
「そうだよ、あゆ。もっと自分を大切にして」
「かけ・・・」

 僕の周りに居る人達は、いつもこんなに温かい目を持って、この僕の事を見守ってくれていたというのに、肝心の僕が、それを全く分かっていなかった・・・僕自身が、自分を一番ないがしろにしてしまっていた・・・こんな自分なんか、もう消えてなくなればいいだなんて・・・なんて、自分勝手な云い草だろう・・・僕の命は、僕一人のものであっても、実際、その命を支えているのは、僕一人だけではない・・・かけと僕の母が二人でこの世に生み出してくれたこの大切な命を、僕一人の勝手でどうこうしてしまってもよい道理はない・・・僕の命は、今、ここに居るみんなのものであって・・・そのみんな思いに恥じない為にも、僕は、自分というものに対して、もっと誠実に生きるべきだと思った。

 少なくとも・・・自分の将来にまともな夢が描けるぐらいの人間になりたいと思う。

「あゆ、なっちゃんの布団、和室の押入れに入っているから」

 それだけ云って、かけとトシは、二人で自分達の部屋に引き上げていく。ナツは、未だソファに深く身を沈めたまま、なかなか動かずにいた僕に代わって、和室の押入れから布団を出してきて、それをせっせと僕の部屋に運び込んでいた。

「あゆ?」
「!?」
「支度出来たけど」
「あ、うん、今行く」

 それから、僕はナツと共に、自分の部屋に戻った。着替えを済ませた後、そのまま眠るつもりで、自分のベッドの上に、疲れているはずの体を、そっと横たえてみたのであるが

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あゆ・・・?」
「?」
「眠れないのか?」
「・・・うん・・・」

 暗闇の中、じっと目を凝らしてこちらを見ているナツにそう尋ねられて、僕はそのナツの言葉に素直に頷く。

「ナツこそ・・・眠れないの?」
「なんか神経が異常に高ぶっちまってさ、興奮がなかなか冷めないって感じ」
「僕も――」
「・・・なあ、あゆ・・・」
「何?」
「あのさ・・・俺も、そっちに行っていい?」
「!?」
「・・・やっぱ、駄目か・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめん・・・」
「――いや、いいよ」

 と、ナツが呟いた謝罪の言葉と僕の返した肯定の返事が、うまいタイミングで綺麗に重なってしまう。自分からそんな事を云い出しておきながら、ナツは、その僕の返事が信じられなかったようで

「え・・・?」
「だから、いいよ」
「あゆ・・・」
「どうしたの?早くおいでよ」

 狭いベッドの中で、自分の体を出来るだけ端の方にずらして、ナツが入れるだけのスペースを何とか作ってやる。

 体を起こして、床に敷いた自分の布団から抜け出してきたナツは、僕が作ってやったその空間に、そっと自分の体を潜り込ませてきた。

「・・・ごめん、やっぱ狭いよな、これじゃ・・・」
「僕は別に構わないけど――ナツがおかしな事さえしなけりゃ」
「おかしな事って・・・」

 僕がそう云ってしまった途端、僕の足に偶然触れてしまっていたナツのモノにみるみる血が集まってきてしまっているのが分かって

「ちょっと、ナツ、おかしなモノ、僕の体にくっつけるのはやめてよっ」
「おかしなモノって・・・俺は、別に何も・・・つぅか、これは俺だって、なりたくてこうなってしまっている訳じゃなくて――」

 若いナツの体は、いつだって自分の欲望に対して正直だ。いつもの僕達なら、ここで、そのままその欲望を処理する行為になだれ込んでしまっているところであるが、さすがのナツも、今日ばかりはそんな気分になれなかったよう

「・・・あゆ・・・本当にあゆだよな・・・?」

 お互いの息がかかりそうなほど至近距離で、僕の顔を見つめながらそう尋ねてくるナツの言葉に、僕は曖昧に微笑んでみせる。

「何云っているの、ナツ。ここに居る以上、僕に違いないじゃん。つぅか、僕以外の何者がここに居ると云うのさ」
「・・・あゆ・・・触ってもいい?」
「触ってもって・・・もう、触れているじゃん」
「だから、そういう意味じゃなくて」
「?」

 それから、ナツは伸ばした両腕で巻き込むようにして捉えた僕の体を、自分の胸にぎゅうぎゅう押し付けてきて

「ナツ?」
「・・・不安なんだ、俺は・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「このまま、あゆが、俺から離れて、俺の手の届かないところに行ってしまいそうで・・・俺は恐い・・・」
「ナツの手の届かないところって、一体どこだよ、それは」
「分からない・・・分からないけどさ・・・でも・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 家を出て、この世から消えていなくなりたいと思った、あの時の僕の心の不安が、ナツにも伝わってしまったのだろうか・・・?

「ナツ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫だよ、ナツ」
「?」
「僕はどこにも行かないから、だから、安心して?」
「本当か、あゆ」
「ああ」

 僕を慕うナツの気持ちを重荷に思う反面、僕の為に傷つくナツの顔も決して見たくはないと思う。その為に、僕は、また、ナツに対して、自分の心が苦しくなる嘘を一つ重ねてしまっていて

「約束」
「?」
「約束だぜ、あゆ――もう二度と俺の側から勝手にいなくなったりしないって・・・困った事があったら、何でも俺に相談してくれるって・・・こんな関係である前に、一応、親友だろ?俺達」

 親友というただ単純なその結びつきだけでいられたら、僕達はどんなに楽だったかしれない。でも、実際、ナツと僕を結び付けているのは、もっと隠微でドロドロとした絆で、それ故、僕達は未だに別れられないでいる。

 その相手を疎ましく思いながらも、僕だって、自分の心のどこかでは、こんなにもまだナツの事を必要としてしまっている。ナツの肌の温もりに、自分の心の傷を癒してもらっている。

 僕が自分の懐にナツを傷つける刃を忍ばせている事を知っていて、それでも、ナツはまだ僕から離れていこうとしない。こんな僕の事なんか、今すぐ見捨ててくれたっていいのに・・・僕はナツにそうされて当然の人間なのに・・・なのに・・・ナツは、今もこんなに僕に優しくて

「恋人になってくれとは、もう云わない・・・でも、これから先も、あゆにはずっと俺の親友でいてほしい・・・それなら、いいだろ?あゆ」

 ナツの腕の中で、僕はその言葉にゆっくりと頷いた。

「良かった」

 それから、ナツは、僕の体を離して、ベッドから降りると、床の上に直接敷きのべてあった自分の布団の中へ静かに戻っていく。

 つい、先程まで、自分のすぐ側にあったナツの体が、その布団の中にしっかりと収められたのを見届けてから、僕

「ナツ」
「?」
「このまま・・・手を繋いで、寝てもらってもいい?」

 そう云って、寝転んだ姿勢のまま、床に向かって差し延べた僕の手を、ナツは力を込めてしっかりと握り返してくれた。

「お休み、あゆ」
「お休み、ナツ」

 しっかりと握り合っていたはずの手は、いつの間にか解かれてしまっていたが、その手の温もりのおかげで、僕は、その夜、ようやく眠りにつく事ができた。



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