A SEQUEL TO THE LOVE BATTLE

EPISODE 1

追憶の彼方に

 

※このお話は鷺沼視点で書かれたお話です。

 

 

 

 街の画廊で偶然一枚の写真を見つけた。

 夜明け前のほんの一瞬の景色――朝露に濡れた木々の隙間に眩いばかりの光が差し込んでいる。

 一見したところどこにでもありがちなその山の風景に自分は見覚えがある。

 思わず足を止めずにはいられない、懐かしい匂いを放つその写真は、俺のかつての恋人霧島 北斗(きりしま ほくと)が撮影したものだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「いい写真でしょ、それ」

「!?」

 ショーウィンドウの前で立ち止まり、食い入るように写真を見つめていた俺に気付いて、店の主らしき男が中から出てくる。

 間もなく老境に差し掛かろうかという高齢のその男性が、どうやらこの店の主らしい。

 カメラマンとしては当時まだ駆け出しでしかなかった北斗の写真を、その男は手放しで褒めた。

「私は本来の専門が絵で写真の良し悪しはよく分かりはしないが、この写真はすごく気に入っていてね・・・何というか写真を撮った人間の優しさがここには満ち溢れている。ずっと見つめていると何故だか心がとても温かくなる」

「・・・分かります」

 朝靄の中に佇む白樺の林を撮影したその写真を北斗がいつどこで撮影したか、俺は今でもその時の事を鮮明に覚えている。

 二人が付き合ってまだ間もない頃、北斗との最初の旅行で訪れたその場所は、自分の心に一生残る思い出の場所でもある。

 白樺の木立のほとりにある冷たい湖の中で、北斗は最後の時を迎えた。

 彼の人生最後の夜、俺と醜い云い争いをした北斗は一人でこの山を訪れていた。

 深夜の山道は車の運転に長けている者でもかなりの危険を伴う。急カーブが続く険しい山道でハンドルを切り損ねた北斗は、車ごとガードレール下の湖に転落した。

 あの夜、俺と喧嘩した北斗がどうしてそんな場所を走っていたのか、死んでしまった北斗に今更その理由を聞く事は出来ないが、おそらく北斗にとってもあの場所は俺との楽しい思い出の場所であったはずだ。

 皮肉にもその場所が北斗の死に場所となってしまったのだ。

「お客さん、写真がお好きなんですか?」

「いや・・・」

「じゃあ、私と同じで、たまたまこの写真を気に入られたのかな」

「ええ、まあ」

「それは良かった。きっと彼も喜んでくれるに違いない」

「彼って?」

「この写真の撮り主ですよ。霧島 北斗(きりしま ほくと)っていう若いカメラマンでね」

(!!)

「って、北斗の事を知っているんですか!?」

「!?」

 すかさず相手にそう問い質した俺は、よっぽど必死な顔をしていたのだろう。相手は暫し目を丸くして俺を見つめていたが、やがて納得したようにわずかに首を横に振って静かに言葉を発した。

「・・・亡くなったんですよ、事故で」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 それは、俺も知っている。そうではなくて、俺が知りたいのは、生きている時の北斗の事だ。

 この写真が一体どういう経緯を経て、ここに流れ着いてきたのか、その一点に尽きる。

「・・・もしかして、お客さんは霧島さんのお知り合いだとか」

「・・・ああ」

「失礼ですが、あなた、鷺沼 忍(さぎぬま しのぶ)さん?」

「!?」

 全く見ず知らずの人間にいきなり自分の名前を呼ばれて、自分の心臓が大きく竦み上がる。動揺を露に驚く俺の表情を見て、相手は何故か嬉しそうに笑った。

「やっぱり、あなたが鷺沼さんだ」

「・・・どうして、それを・・・」

「実は、私、ある事情があって、あなたを探していたんですよ」

「!?」

 俺がこの男の事を知らぬ以上、その事情というのは間違いなく北斗絡みの事であろう。

 あるいは、この男は俺を探す為にわざとここに北斗の写真を飾っていたのかもしれない。いつか、この場所を通りかかった俺が写真の前で足を止めるように。

 一体この男と北斗との間にどんな繋がりがあるのか。もしかして、この男は北斗の仕事仲間であろうか。

「・・・あんた」

「ご挨拶が遅れまして、私は杉野(すぎの)と申します」

 背広の内ポケットから取り出され手渡された名刺には、確かにその名が書かれてある。代わりに差し出した俺の名刺を男は恭しく受け取った。

「なるほど、海南商事にお勤めですか。霧島さんとは全く畑違いの方なのですね」

 その北斗と俺とが過去どんな関係にあったのか、何となくこの男はそれを知っているような気がした。

「まあ、立ち話もなんですし、よろしければ中に入りませんか」

 男がこの俺を探していた事情というものに興味を惹かれて、相手に導かれるまま、俺は男の店に足を踏み入れていた。

 

 

 

 

 

 画廊というだけの事はあって、店内には俺がこれまで一度も見た事もない様々な絵が飾られている。

 それらに混じって、他に北斗の写真がないか探したが、残念ながら、北斗の写真は表の一枚きりであった。

「どうぞ、そこにかけてください」

 そう云って男に薦められたソファがある場所は、小さなアトリエらしき一角である。

 イーゼルに載せられた絵はまだ描きかけらしく、絵の具が乾ききっていない。何て事ないその静物画は自分が描いたものだと、男は照れくさそうに笑った。

「ホントお恥ずかしいのですが、下手の横好きという奴でね」

「いや・・・」

「こんな商売をしている以上、自分に絵の才能がない事は分かっているのですが、それでもやめられなくてね・・・まあ、私の絵は趣味でやっているものですが」

「はあ・・・」

 正直、男の絵の話なんて俺にはどうでもよかった。肝心の北斗の事が知りたくて、俺は早速その事を男に尋ねる。

「あの、失礼ですが、あなたは一体――」

「ああ、あった、あった、これだ」

「?」

 画廊の隅に重ねられていたカンバスの中から、男は一枚の絵を選び出して俺に見せる。

 そこに描かれた半裸の人物を見て、俺は泣きたいほど切ない気持ちになった。

「これ・・・」

「意外によく描けているでしょう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 意外にと男が自分でそう云ったのは、この絵が男の自筆だからであろう。ホテルらしき殺風景な部屋の壁をバックに佇むその人物は俺の良く知るあの北斗である。

 シーツこそ体に巻きつけているものの、絵の中の北斗はほぼ裸だった。

 弓のようにしなやかなラインを描く背中越しにこちらを見てにこやかに微笑んでいる。見る者を優しく包み込むような穏やかな笑顔は、まさに北斗の笑顔であった。

 絵の中の北斗が静かに俺を見つめている。

「北斗・・・」

「よければ、その絵はあなたに差し上げますよ」

「!?」

「彼をモデルに絵を描いていた時にも思っていた事ですが、その絵は彼の愛に満ち溢れている。その絵の先に彼が見つめていたのは、鷺沼さん、あなたですよね?」

「な・・・」

 訊けば、男と北斗は以前からの知り合いらしく、北斗は生前よくこの店に出入していたらしい。自分は写真を撮るくせに絵を観る事も好きで、それが縁でこの男と知り合いになったという。

 画廊にいつも絵を観に来る北斗の立ち姿を気に入った男が思い切って声をかけたところ、北斗は自分で好ければと男の絵のモデルになる事を快諾したらしい。

 それから何度か絵の執筆のため、男と会っていたらしいが、その折に俺との事もいろいろ話していたらしい。

 カメラマンという彼の仕事について俺と北斗の意見が違っていた事、その事で俺達が揉めていた事も男は知っていた。

「・・・正直、私は霧島さんと違って同性の方とおつきあいした事はありませんが、それでも、あなたの事を真剣に想っていた彼の気持ちはよく分かる。本気だからこそ、早くあなたと対等の立場に立ちたくて、彼はあせっていたのでしょうね」

「そんな・・・」

 北斗が部屋を出て行ったあの夜、俺達はやはり彼の仕事の事で云い争っていた。

 自分の夢を叶えるその手段として、己の上司と寝ようとした北斗の事を俺はひどく責めたのだ。

 彼の体を自分以外の誰にも触れさせたくないという理由から、俺は随分とひどい事を北斗に云ったように思う。

 一流のカメラマンになりたいという北斗の夢を知るこの俺が、その事で彼を否定した。そんな事をしなければ叶えられない夢など、今すぐ捨ててしまえとも云った。

 彼の一番の理解者であるはずの俺が彼を否定した。その事でショックを受けて部屋を飛び出した北斗は、そのまま帰らぬ人となった。

「・・・俺だ」

「鷺沼さん?」

「・・・あいつを殺したのは、この俺なんだ」

 あの日、俺があんな事を云わなければ、北斗は死なずに済んだかもしれない。些細な事で俺が北斗を怒らせたりしなければ、彼が部屋を出て行く事もなかった。

 俺が彼の主張を認めてさえいれば、北斗は今も生きていたかもしれない。全てはこの俺が――

「そんな事ありませんよ」

「!?」

「彼が亡くなってしまったのは、不運な事故のせいです。決してあなたのせいではない。だから、そんな風に自分を責めないで」

「でも――」

「彼、よく私に云っていたんですよ。早くあなたに追いつきたいって。一流のカメラマンとして一日でも早く大成して、あなたを見返してやりたいって。ああ見えて、彼、意外に負けず嫌いでね。同じ男として密かにあなたを超える事を目標にしていたみたいですよ」

「・・・いかにも、あいつらしい」

 一見しておとなしそうに見える北斗だが、俺に従順だったのはベッドの中だけで、共同生活ではしっかりと自分を俺に主張してきた。

 嫌な事はきちんと嫌だと云うし、俺に迎合もしない。

 優しさの中に一本きちんと筋の通った強さがある、そんな北斗に俺は強く心惹かれたのだ。

「・・・私はね、個人的に彼の撮った写真が本当に大好きでした。店に遊びに来た彼に仕事で撮った写真も良く見せてもらっていましたが、そういった堅苦しい写真ではなく、自然体で撮った彼の写真が特に好きだったな・・・表にあるあの写真もそう、ああいった何気ない写真にこそ、彼の才能がよく表れていると思うな」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 俺もこの男と同意見で、北斗の写真の才能は自由な環境にあって初めて発揮されていたような気がする。

 俺自身、北斗にはもっと自由に写真を撮って欲しかった。決められた枠に捉われず、自分の好きな時に撮りたいものだけを撮る。

 だが、実際写真で飯を食っていた北斗にそれは無理な事で、金の為時には俺には云えないような写真もこっそりと撮っていたようである。

 全ては一日も早く一流になりたいという自分の夢を叶える為――その為なら、北斗はどんな事でもする気だった。

「霧島さん、云っていましたよ」

「?」

「施設で育った身寄りのない自分にとって、鷺沼さんが唯一の家族なんだって。あなたがいる限り、どんなにつらくとも自分は頑張れるって。自分の事を本当の意味で理解してくれているのはあなたしか居ないって」

「そんな・・・」

 あの時、彼の意見に強弁に反対した事で、北斗は俺を恨んでいるだろうか?俺が止めなければ、北斗は今も生きていて一流のカメラマンになっていただろうか?

 そう思うと、自分一人だけこうしてのうのうと生きている事が、とても罪深い事のように思えた。

「俺・・・」

「長生きしてくださいよ、あなたは――霧島さんの分まで」

「!?」

「私には見えるんですよ。絵の中と同じ笑顔で今もあなたの側に佇む霧島さんの姿が――彼、決して怒ってなんかいませんよ。むしろ、幸せそうな今のあなたを見てとても満足そうだ。志半ばで死んだからって、その事であなたを恨むような彼ではない。その事はあなたが一番良く分かっているはずだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 およそ人を憎む事を知らない、北斗は綺麗な魂の持ち主だった。俺が知る限り、北斗が誰かの悪口を云った事はこれまで一度もない。

 そんな北斗だからこそ、神に愛されていち早く天に召されてしまったのかもしれない。

「幸せだった彼の時間をこの先もずっと忘れないように、この絵はあなたが持っていてください」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 人前で決して見せまいとずっと我慢していた涙が、いつのまにか頬を伝っていた。

 今、俺の部屋に飾ってある北斗の遺影は、彼のカメラを使い、俺がふざけて撮った1枚である。この絵はその写真よりもよっぽど北斗の真実を捉えているような気がした。

「いい顔しているでしょう、彼」

「・・・ああ」

 気のせいかその絵の中から、在りし日の北斗が俺に語りかけているような気がした。

 過去に存在した俺の北斗が絵の中でにこやかに微笑んでいる。

 少しはにかんだ、照れたようなその笑顔は当時の彼の幸せを静かに俺に物語っていた。

「今日、ここであなたにこの絵を渡せて、本当によかった。私もこれでやっと肩の荷が下りました」

 金を払うと云ったのに、売り物じゃないからと男は云う。

 気持ちだけでもと相当粘ったのだが、男は結局最後まで金を受け取ろうとしなかった。

 男の厚意に深く感謝して、俺はその絵を譲り受ける。

 包んでもらった絵を抱えて店を出た俺は、そのまま塚本との待ち合わせ場所に向かった。

 画廊の前で立ち止まってしまったばかりに、待ち合わせの時間はもうとっくに過ぎてしまっている。

 一緒に食事をしようと誘ったのは俺の方だっただけに、塚本はきっと怒っているに違いない。

「遅い」

「悪い」

 当初あんなにも北斗に似ていると思っていた塚本だが、今では全く別の人間に思える。

 より深くつきあってみて分かった事だが、こいつが北斗に似ているのは外見だけで、中身は北斗とは全く違う。

 塚本には北斗とはまた違った別の魅力がある。

 その塚本の視線が俺の手にしていた絵の包みの上に吸い寄せられるように留まる。

「何、それ?」

「絵だよ」

「絵って、課長、そんな趣味ありましたっけ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 塚本の問いかけに俺は曖昧に微笑んでみせる。

 部屋に帰れば、必然塚本もこの絵を見る事になるが、その時塚本は一体どんな反応を示すだろうか。

 この絵に描かれた人物に対して、焼きもちを妬いたりするのだろうか。

 北斗との事は永遠に忘れる事が出来ない俺の大切な思い出である。

 北斗がいたから、今の俺がここに存在する。北斗のおかげで、俺はこうして塚本と出会う事が出来た。

 北斗に導きとも云える塚本との出会いを、俺はこの先も一生大切にしていきたいと思った。

 

 

 
Fin



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