2012年度 6月特別企画

Joker 番外編

SURVIVORS


※このお話は『Joker』本編後、ドク×吉見のお話です






 会いたいと先に連絡を入れてきたのは相手の方からだった。

 長期に渡って原告側と争っていた裁判が、先日当方の勝利という大変喜ばしい結果で結審を迎えた。

 そのうれしさもあってか、吉見は相手の誘いに二つ返事でOKと返事を返していた。

 ほんの少し前まで、その相手とこんな風に二人で会うなんて全く考えられなかった。

 その相手と吉見とはいわゆる犬猿の仲で、会えばしょっちゅう醜い云い争いばかりしていた。

 その相手――ドクは吉見がもっとも忌み嫌うべき人間で、以前は街の片隅にある雑居ビルを根城に、そこで堕胎専門のクリニックを経営していた。

 主だった客は場末の売春婦たちだが、警察に通報義務のある銃創なども時折こっそりと診ていたようである。

 もちろんそれらの診療は全て自費で行われ、口止め料も含めて患者から法外な治療費をぶんどっていた。

 趣味は酒と男、酒はほぼアル中に近い飲みぶりで、ドクの近くからはいつも酒の匂いがしていた。

 男遊びも派手で、まとまった金が入るとそれで相手を買い、一夜限りのアバンチュールを楽しむ。

 稼いだ金は全て酒と男に消え、そのうえあるところから借金までしていた。

 そんな男が今は大学の研究室に戻り、そこで新薬の研究に励んでいる。

 あんなに好きだった酒も男も、今はほどほどのつきあいにしているようである。

「それにしても、よく降る雨ですね」

「・・・ああ」

 待ち合わせ場所のスナックは地下にあるため、あいにく外の景色を見ることは出来ないが、カウンターの中から投げかけられたマスターの言葉に吉見は素直に頷く。

 実際、駅に着いてからここに来るまでの間にも雨足は徐々に強くなり、道ですれ違う人々は皆うっとうしそうに傘をさしていた。

「待ち合わせですか?」

「ええ、まあ」

 だったらこれはお断りしておきましょうかとマスターは意味深に笑う。

「?」

 ふとマスターに目で示された先には若い男が座っていて、その男が吉見に向けグラスを掲げてみせる。

 どうやら男は自分の驕りで吉見に酒をふるまいたかったらしいが、先約があるのなら相手の機嫌の損ねぬよう上手く断っておこうとマスターが気を利かせてくれたのだ。

 中川のことがあってから恋愛とはとんとご無沙汰であったが、たまにはこういうのも悪くはない。

 男の容貌が比較的自分好みであったため、吉見もその相手ににっこりとほほ笑み返す。

「いや、せっかくだから頂こうか」

「いいのですか?」

「いい。待ち合わせとはいってもたいした相手ではないし」

 ではとバーテンは男が呑んでいるものと同じものを吉見の前にさしだした。相手に軽く会釈してから、吉見はグラスの中の液体を一口口に含む。

 夏の海を思わせる鮮やかな色のカクテルは見た目こそ美しいが、およそ吉見の好みの味ではない。

 そのことに多少がっかりとしながらも、吉見は男の声掛けを待った。

 暫くして、吉見の予想通り、男がカウンター越しに声をかけてくる。

「そちらに行ってもよろしいですか?」

「どうぞ」

 吉見の承諾を得てから、男は手元のグラスと共に吉見の横にやってきた。

 年の頃は27、8ぐらいであろうか。スーツこそ着ていないが、温和な話し方と柔らかな物腰から男がそれなりの職業に就いていることが何となく窺い知れる。

 吉見と同じ法律関係者かそれとも官庁の役人か。場所柄この店にはそういった知的階級の人間がよく出入りしている。

「お一人ですか?」

「今はね」

 でもじきに連れが来ると正直に話したら、相手はとても残念そうな顔をする。

 しかしながらその連れは少なくともあと1時間はここに来ない。

 待ち合わせの時間に吉見が30分以上も早くついてしまったせいもあるが、万事にルーズなその相手はこれまで約束の時間を一度も守ったことがない。

 少なくとも30分以上はいつも吉見が待たされていた。

「もしかして、そのお相手はあなたのいい人とか?」

「まさか」

「では、仕事関係の人?」

「まあ、そんなところかな」

 実際は仕事関係でもなくただの腐れ縁――『ジョーカー』のことがなかったら、一生知りえなかった人物である。

 そんな相手とこんな風に待ち合わせて一緒に酒を飲む仲になるのだから、人生とは本当によく分からないものである。

「では、その相手がいらっしゃるまでの間、しばらくお付き合い頂いてよろしいですか?」

「私でよければ喜んで」

 吉見が推察した通り、男は近くの官庁に勤める役人だった。吉見同様、同性の相手しか愛せない人間で、それ故このバーによく出入りしているという。

 中川の兄の恋人拓馬が経営している店同様、ここはそういう店だ。

 店内で売春の斡旋をすることは一切禁じられているが、一度知り合ってしまえば後は自由恋愛ということで、ここを出てすぐホテルに直行する輩たちも数多くいる。

 少し前まで吉見もまたここで知り合った多数の相手と一夜を共にしていた。

「吉見さんですよね?」

「どうして、私の名を?」

 訊けば男は吉見がこの店で飲んでいる姿を度々見かけているという。以前からずっと吉見のことが気になっていたが、なかなか声をかけられず今日に至ったらしい。

 タイミングが悪く、いつも遠くからそっと見つめるだけだった高嶺の存在に、勇気を出して今日初めて声をかけたそうだ。

「あなたのお名前は店のマスターから教えて頂きました。私がどうしてもと頼み込んで。だから、マスターを責めないでくださいね。個人情報保護法令違反で訴えるのならぜひ私を」

「面白い人ですね、あなたは」

 自らこんな冗談を云うからには、男は弁護士という吉見の職業も知っているのかもしれない。

 それにしても、吉見の方には相手の顔に全く記憶がなかった。何度か店で見かけているはずなのに、全く印象に残っていない。

 おそらくその時は目の前の相手を口説くことに夢中で、周囲の様子など全く見えていなかったのであろう。

「吉見さん、恋人は?」

「残念ながら、今はいません」

「好意を寄せている人も?」

 そう問われ、一瞬中川の顔が思い浮かべられたが、それを慌てて打ち消す。

 自分がどんなに強く望んだとしても絶対に手に入ることは出来ない。吉見にとって中川はすでに過去の人だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 言葉に詰まり、はっきりいないと答えられなかったのは、中川以外にもう一人の男の顔が吉見の心に思い浮かんできたからである。

 そんな吉見の回答を男は肯定の返事と受け取ったようだ。

「では、商用を済ませた後は私とお付き合い頂けませんか?もちろん、無理にはと申しませんが」

「悪いがそれは断る。あいにく先約があるんでね」

「!?」

「な――」

 一体いつの間に店内に入ってきていたのか、相手の誘いにそう返事をしたのは、吉見ではなくドクである。

 いつもは飄々としているドクが珍しく眉間に皺を寄せている。剣呑な顔つきとなったドクは、大股でこちらへ近づいてくると空いていた吉見のもう一方の隣の席に腰を下ろした。

「マスター、とりあえずビールを」

「かしこまりました」

「で?」

 椅子に座るなり、これは一体どういう事かとドクは我が物顔で吉見に弁明を求めてくる。吉見は別にドクの恋人ではないし、ましてやドクと付き合っている訳ではない。

 お互いがお互いのことを意識している中途半端な関係といえばそうかもしれないが、別段はっきりとそう告白された訳でもない。

「・・・別に俺はあんたの恋人ではない」

「・・・だから?」

 口調を変えてドクに応じる吉見の姿を男は驚いた顔で見つめていたが、相手が吉見の待ち人だと知り、気を利かせて席を離れていく。

 せっかくいい雰囲気になりかけていたところを邪魔されたというのに、吉見はそれほど腹を立ててはいない。むしろホッとしたというのが正直な気持ちだった。

 だが、ドクの方はそんな吉見をひどく責めるような目で見ている。いつもは自分だってこのバーで男漁りをしているくせして、こんな時だけ吉見を責めるのはお門違いである。

「珍しく実験が早く済んだので、いつもより少しばかり早く駆けつけてみたらこのザマだ。全く油断も隙もありゃしない」

「俺を長く待たせるあんたが悪い。知っているだろう?俺の気が短いことは」

「だが本気になればなるほど、普段からは考えられないほど慎重になる。たとえばあの気位の高いお姫様のこととか」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 気位の高い姫とドクは中川のことをそう表現した。吉見にとって中川は特別な存在で、あれほど一人の人間に傾倒したこともなければ、あれほど一人の人間に大切に接したこともない。

 気に入った相手はすぐベッドに誘って、寝ればそれで終わり。己の性欲が満たされれば、それで吉見の恋は終わる。

 その相手に愛情を感じたこともなければ、相手を人とさえ思っていない時だってある。

 自分の性欲を満たすため、初めての相手の体を力ずくで無理矢理開いたことだって一度や二度ではない。

 幼少の折、親に捨てられた吉見は、自ら愛を求めることもなければ、誰かから無償の愛を与えられることもなかった。

 それ故、本来慈しむべき相手にそんな残酷なことが出来たのだと今になってそう思う。

「で、今日俺を呼び出した理由は?」

「随分とせっかちだな」

 苦笑いしながら、ドクは吉見の目の前に一枚の絵ハガキを差し出した。

 どこか南国の島を思わせる風景写真に近況を告げるメッセージ一言だけが添えられてある。表に差出人の名はないが、吉見にはそれがどこの誰から送られてきたものか、聞かずともすぐに分かった。

「これ・・・」

「気がついたら部屋のポストの中に入っていた。あいつら、元気でやっているようだな。どうやら今は南国の楽園で仲良くバカンス中のようだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 見慣れたその文字は吉見の幼馴染でもある『ジョーカー』のものに間違いない。

 日本最大の暴力団組織であった宮川会をほぼ解体にまで追い込んだ『ジョーカー』に、もちろん日本での居場所はない。

 表立った発表こそないが、あれが当時裏社会で暗躍していた『ジョーカー』の仕業であることは、その道に属する人間ならみんな知っている。

 今も彼に復讐をするため、組の残党が血眼になって彼を探している。

 それ故自分一人だけ社会からこっそりと姿を消そうとしたが、そんな彼に中川が自らの意思で付いて行ってしまったのである。

「・・・全く人の気も知らないで、いい気なものだな」

「昔からあいつはいつだってそうさ。周囲の心配なんてなんのその、常に己の本能だけで生きている。やりたい時にやりたいことをやり、決して後悔はしない。実に動物的で単純明快な人生だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 全てを投げ出して、自分もそんな風に生きていけたらと、吉見も時々そう思う。弁護士の肩書もこれまで築き上げてきた社会的地位も、その全てを投げ出して、ただの一人の人間に戻る。

 その時、自分には一体何が残っているのか、全く想像がつかない。

「そう云うあんただって、これまでえらく自由に生きてきたじゃないか。組織に縛られることをあんなに嫌っていたあんたにしては随分とよくがんばっているな。あんたのことだから、大学の研究室なんてすぐに飛び出すと思っていたよ」

「まあ、俺も学習したんでね」

 その昔、ドクはとある大学で准教授まで上り詰めた男だと、吉見はそう聞いている。何がきっかけかは知らないが、そんな男が大学を飛び出して場末のモグリ医まで身を落とした。

 己の苦い過去を思い出してか、もう二度と同じ過ちはしないとドクは静かにほほ笑む。

「それはそうと、今日のこれからの予定は?本当にさっきのあいつと行く気なのか?」

「まさか」

「だったら、今夜こそ最後まで俺に付き合えよ」

「!?」

「・・・そろそろお互いの関係をはっきりとさせようじゃないか」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ストレートなその誘いが一体何を意味しているのか、それが分からぬほど吉見は子供ではない。

 あまりにも突然な誘いにしばし目を見開いて、吉見は相手の顔を見つめる。

 いつもなら冗談であるとここでドクが茶々を入れてくるところだが、今日ばかりはいつもと勝手が違うようだ。

 手元の酒をあおるように飲みながら、ドクが言葉を発する。

「もう十分じゃないのか」

「十分って何が?」

「もうそろそろ俺の誠意を汲み取ってくれてもいいんじゃないかってこと」

「誠意だなんて――」

 これまで己の欲望を満たすため、いちいち金を出して相手を買っていたドクに一番似つかわしくないセリフである。

「あいにく俺はそんなに安っぽい男ではないんでね」

「知っているよ。別に俺もあんたを金で買おうなんて思っていない。金なら俺よりもあんたの方がたんまりと持っているだろうし」

 払いたくても吉見に似合うだけの金をドクは持っていない。だったら、いっそその身を担保に自分に都合の良いよう一生こき使ってやるのもいいかもしれない。

「・・・つくづく物好きな男だな、あんたも」

「あ?」

「研究のしすぎでとうとう頭がおかしくなっちまったか」

「まあ、ある意味そうかもな。研究に没頭している間は、少なくともあんたのことを忘れられる。これまでそうして自分を誤魔化してきたが、俺もそんなに気が長い方じゃないんでね」

「あんたも俺同様に短気ってことか」

「そう云うこと」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 中川にふられた者同士、傷の舐めあいだけは吉見は絶対にしたくなかった。

 ドクに惹かれ始めている自分自身の気持ちも一応自覚しているが、こんな時一体どういう反応を返したらいいのか自分でもよく分かっていない。

 どう云えば、自分の気持ちをうまくドクに伝えることができるのか、本当は素直にうんと頷きたいのに、口をついて出てくるのは醜い嫌味だけである。

 ここ最近の親密な付き合いで、そんな吉見の性格はすっかりとドクに見抜かれてしまっていた。

「ホント、あんたって素直じゃないよな」

「は?」

「まあ、俺からしてみれば、たまらなくそこにそそられるんだけど」

「な――」

「いいから、騙されたと思って、一度真剣に俺と付き合ってみろよ」

「!?」

「絶対に後悔はさせないから。まあ、今は駄目でもいつか必ずプライドの高いあんたに見合う立派な男になってやる。おおよそ、その目途がついたから、今日ここにあんたを呼んだんだ」

「じゃあ・・・」

「出るぜ、新薬――あいつの親父が叶えられなかった夢がとうとう現実になる」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 シャンパンをとカウンターに向かってそう云ったドクの注文を吉見が慌てて取り消させる。

 そのことを一番に吉見に伝えたかったドクの気持ちもわからぬではないが、いささかシャンパンは気が早すぎる。

「待てよ」

「何で止めるんだよっ」

「乾杯は実際に薬が出てからにしよう。新薬の承認には少なくとも2年はかかる。そこから実用化されるまで実に長い道のりだ」

 ちぇっと舌打ちして年甲斐もなく頬を膨らませて拗ねるドクの耳に吉見はそっと囁きかけてやる。

 そのセリフは自分でもおよそ信じられないものだった。

「行くぞ」

「は?」

「だから、今日は朝まであんたに付き合って欲しいんだろう?一緒に行ってやるから、早く俺にふさわしいホテルを探せ。先に云っておくが、俺はあんたが普段利用しているような安っぽいホテルには絶対に泊まらない主義だから」

「相変わらずすかした野郎だぜ」

「何か云ったか?」

「別に」

 どうせなら一生思い出に残る素晴らしい場所で朝を迎えたい。知らぬ間にそんな甘いことを考えてしまっている自分に吉見は驚きを禁じ得ない。

 虫けらのように蔑んでいた男に自分を捧げることになるなんて、一体誰が想像できようか。

「俺を失望させるなよ」

「そのセリフ、そっくりあんたに返しておくよ。この俺が自分の人生をかける、それだけの見返りは俺もあんたからたっぷりと受け取るつもりでいるから」

 ふと気を抜けば互いに寝首をかかれかねない、そんな相手の方が吉見には似合っているのかもしれない。

 安寧もいいが、きっとそれだけでは満足出来ない。社会に向け目に見えない拳を振るっている自分は、不当な権力と常に戦い続ける永遠のファイターであり続けたい。

「いつのまにか雨があがっていますよ」

 勘定を済ませた折、店のマスターが吉見にそう教えてくれた。マスターに礼を云い、ドクと並んで二人で外に出る。

 雨上がりの夜空にぼんやりと浮かび上がる月が、二人の行く末を静かに見守っていた。




Fin



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