メヌエットシリーズ番外編


夏休み

後編

※このお話は菜津視点で書かれたお話です



「あゆ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「お前、その顔――」
「だから、笑わないでって」

 いや、別に笑ったりはしないが、しかし、その顔・・・茹蛸のように真っ赤に染まったその顔を見て、俺は別の意味で心配してしまった。こいつ、もしかして、熱でもあるんじゃ・・・

「あゆ?」
「!?」

 さり気なく頬に触れようとした手を、冷たく振り払われる。何?今の態度、俺、それほどあゆに嫌われる事をしたっけ。

 だが、さすがに今の態度は自分でも悪いと思ったのか、あゆは泣きそうな顔となって、すぐさま俺に謝ってきた。

「ご、ごめん、僕・・・別にそんなつもりじゃ・・・」
「別にいいけどさ、俺、何かあゆにした?」
「!?」
「あゆ、日本に帰ってきてから、今もずっと俺の事を避けているだろう?俺さあ、馬鹿だから、自分がどうしてこんなにもあゆに嫌われているのか、全然分からない。帰国の事も、俺にだけは教えてくれなかったし、あゆ、もしかして、俺の事嫌いになった?」
「違うっ」

 そう云って、あゆは俺の言葉を強く否定してきたが、肝心の事になると途端に黙り込んでしまう。

「あゆ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、黙っていたら、何にも分からないって」

 前は、あうんの呼吸で分かっていたあゆの気持ちが、今は全く見えてこない。前は、こいつの表情を見れば、考えている事はほぼお見通しだったが、離れて暮らしていたこの一年半の間に、俺達の距離はそれほど離れてしまったようだ。

 何が原因かは知らないが、どうやら、俺は相当あゆに嫌われてしまっているらしい。それが証拠に、こうして二人向かい合って話していても、あゆはほとんどまともに俺の顔を見てこなかった。

 赤い顔をして、ずっと下を向いているだけで

「・・・俺、やっぱり、今日は帰る」
「!?」
「こんな状態のあゆと居たって、自分がつらいだけだし――」

 そう云って、その場から立ち上がった俺の足に、あゆが必死になって縋ってきた。

「待って、違うんだ、ナツっ」
「!?」

 違うって、一体何が・・・?

「だから、その、僕は別にナツを嫌っている訳じゃなくて、その――」

 久しぶりにあゆに触れられて、自分の心臓が口から飛び出してきそうなほど、ドキドキした。昔はこんな事、スキンシップでしょっちゅうしていたのに・・・暫く見ない間に、少し大人っぽくなったあゆからは、ほんのりと甘い香りがする。

 背後から俺の背中にぎゅっと抱きついてきたあゆは、小さく震えていた。これまで10年以上、こいつと一緒にいたが、こんなあゆを、俺は今初めて見た。

「・・・あゆ?」
「・・・ごめん」

 だから、何がごめん?

「その・・・僕・・・本当は帰国の事、ナツに一番に知らせたかったんだけど、いざ、ナツに会うってなると、なかなかその度胸がなくって・・・」

 はい?

「メールとかはさ、別にいいんだけど、実物のナツに久しぶりに会えるって思っただけで、途端に自分の胸が苦しくなった。僕さ、日本でいつも一緒にいた時は、ナツの事を全然何とも思っていないって云ったけど、こうして離れてみて、初めて分かった。ナツは、僕にとって、かけがえのない人だって事」
「え・・・」

 つまり・・・それは、その・・・

「・・・ナツ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 あゆのその言葉に、自分の心臓を鷲掴みにされたような気がした。これは、夢じゃないよな?これは、あゆからの愛の告白?面と向かって、はっきり好きだと云われた訳じゃないが、これは、まさしく愛の告白に違いあるまい。

「あゆ――」
「見ないでっ」
「!?」
「だから・・・僕の顔を見ないで」

 俺の背中に、自分の顔をぎゅっと押し付けたまま、あゆは言葉を続ける。

「ナツの事、僕はこれまでずっと自分の親友だと思っていたけど、本当はそうじゃなかった。その事に気付いてしまったら、ナツの顔がまともに見られなくなった。おかしいだろ?僕、こんなの・・・自分でも、まともじゃないって、ちゃんと分かっている」
「あゆ・・・」

 遠く離れた場所にいるからこそ、見えてくる気持ちもある。これまで長く一緒にいすぎたせいか、あゆは俺の事を空気のように思っているところがあった。

 俺はあゆにとって、絶対的に必要な人間であったかもしれないが、空気は恋愛の対象にはなりえない。

 でも、離れてみて、あゆは、俺を恋愛対象である一人の男として見てくれるようになった。

 だからこそ、あゆは、こんなにも激しく照れてしまって

「なあ、あゆ、頼むから、もう一度、俺に顔を見せてくれよ」
「いやっ」
「嫌って云われても、俺、このままじゃ、眠るに眠れないし」
「!?」

 その瞬間、無理矢理掴んだ腕を引っ張って、俺は強引にあゆを自分の方に向かせた。俺の腕の中で、手足をばたつかせて暴れるあゆの体を、俺は強く抱いた。

 この愛おしい存在が、自分の事を想ってくれている事に、俺はいたく感動していた。その感動が一筋の涙となって、俺の頬を伝っていく。

「ナツ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「もしかして、泣いているの?ナツ」

 腕の中にいるあゆに、目敏くその涙に気付かれてしまったが、俺はあえてそれを否定しなかった。

「だって、嬉しいんだもの」
「嬉しい?」

 こうしてあゆと気持ちを通じ合えた事が、俺は堪らなく嬉しい。

「ねえ、ナツ、泣かないで。ナツに泣かれると僕――」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 幼き頃、こうしてあゆを慰めてやるのは、いつも俺の役目だった。小さい頃、母親が居ない事で、よく苛めの対象となっていたあゆを、俺はいつも庇い励ましていた。

『泣くな、あゆ、男だろ』
『ん・・・』
『あゆには、ママがいなくても、かけるちゃんがいるじゃん。それに俺だって、ずっとあゆの味方だぜ』
『それ、ホント、ナツ?』
『俺が、ずっと、ずっと、あゆと一緒にいてやるから』

 そんな約束をあゆと交わしたのは、一体、いつの頃だったろうか。その約束どおりの現実が、今、ここにある。

「ナツ、ねえ、ナツ」

 カーテンの隙間から、部屋に差し込んできた月の光が、あゆの顔を照らしていた。目を上げてそっと窺い見たあゆの顔も涙で濡れている。その顔に、俺は自分の唇を近付けていった。

「ナツ?」

 そのまま目を閉じて、目尻に溜まった涙を唇で吸ってやると、あゆはごくりと小さく喉を鳴らした。

「ナツ・・・」

 緊張した体を強張らせて、あゆは俺の次の行動を待つ。本当は、このままその場に押し倒してしまえばいいのだろうが、いつもにはないあゆの雰囲気につられて、俺の方までひどく緊張してきた。

 押し倒すところか、今度は俺の方が真っ赤になってしまっていて

「ナツ?」
「・・・やばい」
「?」
「駄目だよ、俺っ――いざとなると、やたらと緊張しちまって、まともにあゆの顔が見れない!!」

 思わず、声に出してそう叫んでしまった俺を見て、ナツが盛大に噴出す。それからは、もう、いつもの俺達のペースで

「ナツ、あれから、また背が伸びた?」
「伸びたって云っても、せいぜい2、3センチかな。俺、中学の時にほとんど成長終わっちゃったから。あゆの方こそ、随分伸びたんじゃないのか?」
「おかげさまで、でも、まだまだナツには追いつかないけどね」
「元気だったか?」
「うん、ナツも、元気そうで安心した」
「そうだ、明日、裏の神社で夏祭りがあるんだけど、あゆも一緒に行くか?」
「うん、行く、行く」
「久しぶりに、金魚すくいの勝負でもするか」

 こうして話しているあゆは、前と少しも変わっていない。俺が好きになった、俺が知っているいつものあゆだ。

 その後、俺達は二人共通の友人の話題で、散々盛り上がって、東の空が白む頃、ようやく深い眠りについた。







 翌日の夕方、夏祭りの開催場所となっている近所の神社に向かうべく、あゆが店に俺を迎えに来た。

 そのあゆを、俺のお袋が強引に家の中へ引っ張り込んだ。

「まあまあ、あゆくん、久しぶり」
「おばさん!?」
「うん、その背丈なら、ちょうどいいぐらいだね」
「――って、おばさん、何を――ちょ・・・」

 ぎゃあ〜っと、天がひび割れるほどのあゆの絶叫が家中に響き渡って、それを聞きつけた俺が何事かと現場に駆けつけてみると、そこには可憐な浴衣姿となったあゆが立ち尽くしていた。

「どう?ナツ」
「!?」

 どうって・・・あゆ、無茶苦茶可愛い・・・と、そこにお袋が

「これさあ、あんたのお古なんだけど、あゆくんにちょうど良いかと思って」
「俺の?」
「そうそう、あんたには、また新しいのを仕立てておいたから」

 どうせなら、俺のお古ではなく、姉貴のお古の方が、あゆには良く似合っていたかもしれない。こいつ、元々が女顔だし、今だって、髪を伸ばしているせいか、かなり女の子っぽく見える。

 けど、それを自分の親に云うのは、さすがの俺も躊躇われた。

 久しぶりに日本に帰ってきたあゆに、ウチのお袋も、これで気を利かせたつもりなのだ。

「さあさあ、ナツ、あんたも早く着替えて、二人でお祭りに行っておいでよ」
「ナツ、早く、早く」

 俺のお古の浴衣を着てはしゃぐあゆは、まるで子供そのものだ。そのあゆにせかされて、急いで浴衣に着替えた俺は、家族に盛大に見送られながら、あゆと二人で家を出た。

「相変らず、いい人達だね、ナツの家族は」
「そうか〜?俺には、ただ鬱陶しいだけだが」

 そんな事を話しつつ、神社に辿り着いた俺達は、団扇片手に夜店を散策して、テキ屋遊びに興じた。

 途中、知り合いに出会う度、足を止め、お互いの近況の報告をしあう。あゆも、元々はこの街の出身だから、俺と同じだけこの街に知り合いがいる。

 周りの喧騒を避けて、本殿の裏手にある林に移動した俺達は、そこで暫し足を休める事にした。慣れない下駄履きで、年甲斐もなくずっとはしゃいでいたせいか、口数は自然と少なくなる。

 あばら家と化したお堂のかまちに腰掛けて、そのまま二人でぼうっとしていた。

「疲れたか?」
「少し」

 人気のない薄暗い場所で、あゆとこうして二人きりでいると、やたらと心臓がドキドキしてくる。だが、その反面、あゆに触れたいとも思う。

 そっと手を握って、それで満足出来ればいいが、どうやら、今の俺は、それぐらいで満足出来そうにない。

「あのさ、あの」
「?」
「喉渇かない?俺、なんか飲み物買ってくるよ」

 このままでは、あゆに対して、とんだ粗相をしかねない。そうなる前に自ら頭を冷やすべく、そう申し出た俺をあゆが引き止めた。

「待って、ナツ。せっかくだから、もう少しここにいて。このまま、もう少しだけ、ここに二人でいようよ」
「!?」

 そう云って、あゆは、自分から俺の腕にしがみついてくる。

「あゆ・・・」
「行かないで、ナツ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「このまま、ずっと僕の側にいて?」

 二人でこんな風に過ごせる時間は限られていて、暫くすれば、あゆはまたアメリカに戻ってしまう。今度はいつ日本に帰ってくるか、出来れば、俺はもう二度とあゆをアメリカに行かせたくない。

「お前こそ、ロスに帰るなよ」
「!?」
「このまま、ずっと日本にいろよ」

 そうすれば、俺はこの手をずっと離さずに済む。だが、俺がそう云うと、あゆは悲しそうに笑って

「せっかくの嬉しい申し出だけど、それは出来ない。僕には、まだ向こうでしなければならない事が沢山あるから。それをやり遂げるまでは、日本に戻ってくる事は出来ない」

 一度自分でこうと決めた事は、途中で絶対に捻じ曲げない。どんなに時間がかかっても、最後までとことんやり遂げる、それが、あゆの信条だった。

 ひ弱なように見えて、その実、きちんとした筋が一本通っている。昔から、あゆは、異常なほど頑固者だった。

 それは、小学校教師などというお堅い職業に就いている、彼の父親譲りの性格なのかもしれない。

 だから、ここも当然、俺のその申し出を静かに断ってきた。

「そっか・・・」
「ごめんね、ナツ」
「ううん」

 云っても仕様のない事を先に云い出したのは俺の方なのだから、ここであゆを責めるのは、お門違いというものだ。

「俺さ、あゆの事、ずっと待っているから」
「ナツ・・・」
「この先もずっと、ここで待っているから――だから、いつかはきっと、俺の元に帰って来いよ?」

 本当は、旅立つ前にあゆにかけてやるべきだったその台詞を、今なら、素直に口にする事が出来る。

 旅立つ前、あゆと喧嘩をしていた俺は、その一言を、どうしてもあゆに直接伝えてやる事が出来なかった。

 あゆに裏切られたと、そればかり思っていた当時の俺は、結局、自分の意地を通した。あの時、こいつはどんなにか心寂しい気持ちで、一人アメリカに旅立って行ったのだろう。

 二人離れ離れとなっていたその時間があるからこそ、今がこんなにも愛おしく思える。

 離れて暮らしていたこの1年半の間に、あゆはあゆなりに考えて、俺に答えをくれた。それは、すなわち

「約束するよ」
「!?」
「僕は必ず、またナツ会いに来るから――だから、その時は」
「その時は?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 そこで、あゆは、急に真っ赤な顔となって、黙り込んでしまう。

「あゆ?」

 俺がその先に続く言葉を促すと、あゆは、いきなり立ち上がって、自分から俺に抱き付いてくると、そのまま俺の唇を奪った。

「!?」

 ほんの一瞬だけ重なり合った唇が、羽毛のように俺の口元を掠めていく。その行動のあまりの素早さに、自分の思考力がついて行けない。

 その瞬間、自分の身に何が起こったのか分からず、暫し呆然となっていた俺の横で、あゆは一人顔を赤くしていた。

 暫くして、やっと自分を取り戻した俺は、その事をあゆに直接問い質してみた。

「・・・あゆ、今のは・・・?」
「ご、ごめんっ」

 ――って、どうして、そこで謝るんだよ?ここで謝っちゃいけないだろう、普通は。つぅか、俺、今、ものすごく感激しているんだけど

「この続きは、また今度ね」
「!?」

 この続きって、あゆ・・・それってば、もしかして・・・所謂あれって事・・・?

「あの――」
「今はさ、まだその勇気が持てないんだ」
「?」
「だから、今日のところは、これで我慢しておいて」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「でも、次に会う時には、その覚悟を決めて、ここに戻ってくるから」

 その時が来たら、この俺に黙って抱かれてくれると、そうあゆは約束してくれた。

「かけが心配しているかもしれないから、そろそろ、帰ろうか」

 自分の云いたい事だけを一方的に俺に告げて、あゆはさっとその場から立ち上がった。そのあゆの体を、俺はギュッと自分の胸に抱き込んだ。

「ナツ?」
「約束だぞ?今度は絶対に俺から逃げないって。絶対に俺から離れていかないって」
「うん」

 俺の胸に顔を埋め、その言葉に頷くあゆを、俺は堪らなく愛おしく思った。正直、あと何年、あゆにお預けを食らうか分かったものではないが、それだっていい。

 どのみち、ここに来るまで、10年以上かかっているのだから、あと数年待つ事ぐらい何でもない事のように思えた。

 今はただ、ようやく俺の方を振り返ってくれた、あゆのこの気持ちを、一番大切にしたい。固く握り合ったこの手は、二人の約束の証――その手に、俺は二人の未来を誓った。



 あゆと共に過ごした2週間は、あっけないほどに早く過ぎて、瞬く間にあゆは旅立ちの日を迎えた。
 アメリカにいる母親の元へ帰っていったあゆが、再び日本の土を踏むのは、それから3年後の事になる。3年後に、あんなにも大人しかったあゆが、周囲も驚くほどの大変身を遂げて日本に帰ってくるのだが、当然の事ながら、この時の俺は、まだその事を何も知らずにいた。





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