■ 理学療法士 番外編 ■


    OVER  TIME             ACT.1





 はっきり云って、第一印象は最悪だった。


『ちょ・・・駄目だって、こんな所じゃ、誰かに見つかっちゃう』
『別に見つかったって構いやしないさ。どうせ、みんなうすうす気付いているんだから』
『――って・・・ちょ、やめっ・・・』


 忘れもしない。

 あれは、俺が、自分の身内である叔父が社長を務めるこの水島工業に、一社員として世話になる随分前の事だったように思う。

 当時、まだ学生で、アメフトなるスポーツを熱心にやっていたこの俺は、社会人リーグでそれなりの成績を収めていた当クラブチームに、叔父の伝手でたまたま見学に来ていた。

 迫力ある練習を間近で見学して、そう遠くない将来、自分も必ずこのチームでプレイしようと固く自分の心に誓って、クラブハウスの廊下を歩いていた時に、偶然その現場を目撃してしまったのだ。


『あ・・・』
『潤(じゅん)、ここ感じるんだ』


 更衣室として、先程まで沢山の選手が着替えていたその場所で、まさか、そんな事が行われているなんて、俺も思いもよらなかった。

 薄く開いたドアの隙間から、暗い廊下に光が漏れていて、それで、俺はその行為に気付いてしまったのだが、光に釣られて部屋の中を覗き込んだ瞬間、そんな自分の行動を激しく後悔した。

(!?)


『ちょ、先輩、これ以上はマジ駄目だってっ』
『駄目じゃないだろう?潤だって、もう待ちきれないくせして』
『ああっ』


 その現場で、俺は生まれて初めて、男同士の本番なるモノを見た。

 いや・・・男に限らず、人間が動物のように相手と体を直接繋ぎ合わせる場面を初めて見てしまった。


『ああっ・・・先輩、先輩っ――』
『そんな泣くほどいいのか?』


 壁に手を突いた姿勢で尻を突き出し、その尻を背後から犯されて、男はよがっていた。

 甘い媚を含んだその咽びは、相手を誘っているようにも聞こえる。

 女性のように繊細な顔立ちをしたその男は、男の俺から見てもかなりの美形で、その美しい顔が、相手に体を揺さぶられる度、淫らに歪んだ。


『潤、潤っ』
『ああ、そこ、もっと激しくしてっ』


 男同士の濡れ場を、どうしてこの俺が凝視しなくてはならないのか――自分にその趣味は全くないはずなのに、何故だか、俺はそこから動けずにいた。

 この現場に対して、吐き気を催すほどの不快感を抱いているはずなのに、そこから目が離せない。

 中の二人を食い入るように見つめてしまう。

 とりわけ、俺が見つめていたのは、その行為の受身となっていた美貌の男の方で


『や・・・先輩、も、出るっ』
『いいぜ、潤、俺と一緒にイこう』
『あああ、ああ・・・』


 その瞬間、よりいっそう甲高い声をあげて、男はそのまま果てた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」


『は・・・』


 男は首を傾けて、相手のキスを強請っている。

 その男がこちらを振り返った瞬間、ドアの隙間から中の様子を盗み見していたこの俺と、ばっちり目が合ってしまったように思えたのは、俺の気のせいだろうか?


『潤・・・』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・』
『今夜、俺の部屋に来いよ』
『いや――』


 やるだけやってそれで満足したのか、男はその誘いを断つと、自分から相手の身を離した。


『悪いけど、今日はパス』
『なんで? 先約でもあるのかよ』
『まあね』


 その返答に相手は鼻白んでいたが、やがて


『潤』
『ん?』
『そろそろ俺の事、本気で考えてくれたっていいんじゃないのか?』
『だから、俺、そういう堅苦しいのパス』
『潤っ!!』
『!?』


 そう叫んだ相手が興奮して肩をつかんできたが、その手を男は冷たく振り払った。


『お互い割り切った付き合いが出来ないっていうのなら、俺、もう先輩とはシない』
『潤っ』
『先輩とはただのセフレで、その関係で俺は満足している』


 愛くるしい顔に似合わず、男はかなりきつい事を云う。

 どうやら、この二人の関係において、実質的な主導権を握っているのは、受身の男の方らしい。

 男にそこまで云われてしまっては、相手も引き下がるしかない。


『・・・シャワーを浴びてくる』


 相手はそれだけ云うと、がっくりと肩を落として、部屋の奥の方に消えていった。その後姿に対して、男は小声でお疲れと云った。

 暫くして、部屋の奥にあるシャワールームから盛大な水音が聞こえてくる。

 その音を確認してから、男は、部屋の入り口にいる俺の方を振り返った。

「おい、いつまで、そんなところでデバガメしているつもりだよ?」

(え・・・?)

「こういうの、お宅の趣味?いつまでもそんな所に隠れていないで、いい加減出てきたら?」
「!?」

 別に俺だって、こんなの、自分が見ていたくって見ていた訳じゃない。

 なのに、男は、最初からそんな決め付けた云い方をする。

「ふ、ふざけんなよっ」
「!?」
「野郎同士の濡れ場なんて、誰が好き好んで覗くかよっ」

 男の物云いにカッとなってしまった俺は、ドアを開け、思わずその場に飛び込んでしまっていた。

 俺の姿を見て、男はまぶしそうに目を細める。

「あれ?君は確か・・・」

 会社の重役である叔父に連れられて、先程、俺がこのクラブの練習を見学していたのを男も知っていたのだろう。

 男は、その事に気付くなり、今度は親しげな笑みを浮かべてきた。

「ねえ、君、さっき俺達の練習を熱心に見ていた子だよね?名前は確か、水島慎(みずしま しん)くんだっけ?」
「変態のくせして、気安く人の名前を呼ぶなっ」
「変態?」

 俺がそう云えば、心外とばかりに男の形良い眉が弓なりに吊り上る。それから、男は、この俺に向かって

「ちょっと、変態って、もしかして、この俺の事?」
「そうだよっ」
「この俺のどこが変態だって云うんだよ?」
「変態だろうっ、男のくせして、同じ男にケツ掘られてよがっているんだから、立派な変態じゃないかっ」
「立派な変態ね・・・」

 変態に立派もクソもないが、男が男を抱くなんて、俺にしてみれば不快極まりない事でしかない。

 その瞬間、こいつがどんなに色っぽい表情をしようとも、やっぱりこいつは男でしかなくて、こいつの体は、本来、男を受け入れるようには出来ていない。その体の仕組みを捻じ曲げてまで、わざわざこんな行為を行う男達の気が、俺には全く知れなかった。

 尤も、俺の場合は、目下のところ、男どころか女とも、自分の体を繋げるつもりはないが。

「まあ、世間一般にいる大多数の男がそうであるように、その道に全く興味のない君が、俺を毛嫌いする気持ちも分かるが、それにしたって、よくもまあ変態とは」
「何だよっ、変態に変態と云って何が悪いっ」

 こんな汚らわしい男と同じ空間に立って、同じ空気を吸っているとそう思うだけで、虫唾が走る。

 もし、俺が神であるならば、こんな不快な性癖を持つ男達は、この世から一人残らず抹殺してやるのに

「君さあ、俺が変態なら、今日君をここに連れてきた君の叔父さんも、立派な変態だって分かっている?」
「な・・・」
「ここじゃ有名な話だよ。このクラブの特別顧問を務めている水島専務だって、俺達と同じ穴の狢だって事」

 男は俺の顔を見据えたまま、勝ち誇ったようにそう云った。

 たとえ、それが事実だったとしても(恥ずかしながら、事実である事は俺も知っているが)、彼の血縁者である俺に対して、聞かせるべき話ではないと思う。

 それを、この男は、俺に何の配慮もなく、軽々しく口にしてきた。

「そんなの、お前には関係ないっ」
「関係あるさ、俺だって、彼に誘われて、彼と寝たうちの一人だから」
「え・・・」
「今もね、たまに誘われるんだ。俺、こんなんだから、彼も誘いやすいらしくって。あ、今の話、彼には内緒ね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 そこまで云ってから、舌をペロッと出して可愛らしく笑う男の姿に、俺は激しい眩暈を覚えた。

(――ったく、あのスケベ親父が・・・)

 面食いの叔父のお手つきだというこの男には、貞操観念というものが全くないのか・・・不特定多数を相手に今のような行為をのべつなくしているというこの男に、俺は多大な不快感を覚えた。

「良かったら、君にも教えてあげようか?」
「は?」
「男同士って、案外、気持ちが良いものなんだよ」
「結構だよっ」

 他人の手が自分に触れてくるだけでも、吐き気を催すほどの嫌悪を感じてしまう今の俺にとって、性行為はただ気持ちの悪いものでしかない。

 その行為に誰とでも気軽に及べる自分の目の前の男を、俺は心底軽蔑した。

「ねえ、もしかして、君、まだ童貞だとか?」
「!?」
「男とも、女ともまだ一度もした事がないとか?」
「だったら、何だって云うんだよっ」
「嘘っ、君、そのルックスで今まで一度も女の子から誘われた事ないの?」
「そうじゃなくってっ」

 俺の場合、過酷な幼児体験がトラウマとなって、自然とそうなってしまった。別にここで変に云い訳するつもりはないが、俺だって、決して女にもてない事はないのだ。

「君みたいないい男が一人でいるなんてもったいない」
「は?」
「良かったら、今から俺と飯でも食いに行かない?」
「――って、おい」

 シャワールームにいる男の誘いをたった今断った男は、その舌の根も乾かぬうちに、今度はこの俺を食事に誘おうとする。

 男なら相手は誰でもいいのか、なんにせよ、こいつは最低の男だと思った。

「断るっ」
「即答だね。じゃ、いいよ、また今度って事で」
「は?」
「数年後、君が大人になって、今よりずっといい男になってからね」
「な・・・」

 別にその約束を守ったわけではないが、数年後、俺達は再び同じ場所で会いまみえる事になる。

「君さあ、アメフトやっているんだろう?」
「え?ああ・・・」
「だったら、将来は是非ウチのチームにおいでよ。それまで、俺、現役でがんばっているからさ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 現役で何をがんばるというのか、この男が云うと、それもまた別の意味に聞こえてしまう。

 だが、そう云って俺に笑いかけてきた男の顔は、紛れもなく一アメフト選手としてのアスリートの顔で、その力強い笑顔に、俺はつい引き込まれてしまっていた。

 たとえ、女の扱いで男に抱かれようとも、ひとたびグランドに立てば、こいつも立派なチームの一員なのだ。

 他の選手に比べると明らかに小柄なこの体で、自分の倍ほどもある大きな相手に全身でぶつかっていくこいつの姿を、俺は先程の練習で現に何回も目撃していた。

 突き飛ばされても、倒されても、決して怯む事のない不屈の闘志が、こんな小さな体のどこに隠されているのか。

 その姿が印象的だった為、尚更この事実がショックでならなかった。

「いい? これは、君と俺との約束だよ」

 そんな約束を俺はした覚えがないが、自分の人生の流れに逆らわないで生きてきた結果、俺もそのチームでプレイする事となった。

 しかし、その時には、奴は体を壊し、現役選手としては既にチームを引退していた。

 次に俺が奴に会ったのは、無事大学を卒業した俺が、社会人としてのたいした目標もなく、ただアメフトをしたいが為、叔父貴のコネで入社した水島工業の社長室での事だ。

 重役から一躍出世して代表取締役となった叔父貴の側にスーツ姿でかしこまって立っているその男が、あの時の男であると、俺もすぐには気付かなかった。



            TOP      NEXT