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過去ログ:Xaneiro de 2006 -- Febreiro de 2006


23 de febreiro de 2006:
 Ultreia - "Muiñeira e Valse"
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 ---- (en "Andando camiño" / Cumio, 1998) ----
なんだかワルツが心地よい今日この頃…。ガイタの名手にしてガリシアの伝承音楽研究者としても有名なパブロ・カルピンテロ(Pablo Carpintero)率いるウルトレイア(Ultreia)は、丹念にガリシア各地をフィールドワークし、古くからの音楽の採譜と再現に精力を傾けているオブラドイロ。今回はリアス・バイシャス(Rías Baixas)の港町ノイア(Noia)出身の楽団オス・ベイロス・デ・ポンテナフォンソ(Os Beiros de Pontenafonso)のレパートリーから、1956年のプライベート・レコーディングにもとづき忠実に再演したというムイニェイラ~バルセ(ワルツ)のメドレー後半部分を。ガイタ、フラウタ・トラベセイラ、アコルデオンのフロント・ラインが小気味よい。

18 de febreiro de 2006:
 Xistra de Coruxo - "Vals do Tarú"
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 ---- (en "Xistralia - República independente" / Zouma, 2000) ----
ひきつづきワルツをもう一曲。ガリシア=ポルトガル国境の町トゥイ(Tui)の近郊サン・サルバドル・デ・ブディニョ(San Salvador de Budiño)を拠点に活躍していた往年の地元楽団テイシュゴス・ド・セルキド(Teixugos do Cerquido)のレパートリーをひさびさのミーニョ軍団、シストラ・デ・コルショ(Xistra de Coruxo)のカバーで。アコルデオンとガイタにクラリネタが加わったアンサンブルがいかにもガリシア南部の雰囲気を醸し出す佳曲。

14 de febreiro de 2006:
 Quempallou - "Valseai"
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 ---- (en "Estremonías" / Zouma, 2004) ----
ここのところ硬派なネタが続いたので、気分転換に癒し系のワルツを。以前(2004/09/03)にもいちど紹介した摩訶不思議な擦弦楽器サンフォナ(zanfona)の響きが魅惑的。

09 de febreiro de 2006:
 Luar na Lubre - "El derecho de vivir en paz"
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 ---- (en "Espiral" / Warner, 2002) ----
近年ようやく本邦でも名前が知られるようになったルアル・ナ・ルブレ(Luar na Lubre)は1986年にア・コルニャ(A Coruña)で結成され、ガリシア音楽シーンではもはや大御所的な存在。とかく「ケルトの~」というコピーが冠されることが多いが、実際はガリシアの伝統音楽をベースとして、いわゆる「ケルト・ミュージック」的な要素もパーツのひとつとして取り入れながら独自の音楽世界を追求しているというスタンスであることは再認識しておきたい。2002年にリリースされた前々作『螺旋(Espiral)』から、1973年にチリの軍事クーデターで非業の死を遂げたヌエバ・カンシオンの旗手、ビクトル・ハラ(Víctor Jara)の作品「平和に生きる権利(El derecho de vivir en paz)」のカバー・バージョンを。ベトナムの革命家ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)に捧げられたこのウタは、ベトナム戦争終結後30年を越えてもなお(より一層?)、世界へ向けての鮮烈なメッセージであり続けている。これが色褪せてノスタルジーとなる日は来るのだろうか。
El derecho de vivir
poeta Ho Chi Minh,
que golpea de Vietnam
a toda la humanidad.
Ningún cañon borrará
el surco de tu arrozal.
El derecho de vivir en paz.
平和に生きる権利
それはベトナムから
全人類に向けた
詩人ホー・チ・ミンの叫び
いかなる砲弾も
水田の畝を消し去ることはない
平和に生きる権利
Indochina es el lugar
más allá del ancho mar,
donde revientan la flor
con genocidio y napalm ;
la luna es una explosión
que funde todo el clamor.
El derecho de vivir en paz.
インドシナは
広い海の彼方
虐殺とナパーム弾が
花を蹴散らすところ
叫びが凝縮して
月が爆発するところ
平和に生きる権利を
Tio Ho, nuestra canción
es fuego de puro amor,
es palomo palomar
olivo de olivar
es el canto universal
cadena que hará triunfar,
el derecho de vivir en paz.
ホー翁よ、われらの歌は
純粋な愛の炎
鳩舎に休む鳩
たわわに実るオリーブ
それは全人民の歌
勝利にむけた連帯
平和に生きる権利を

05 de febreiro de 2006:
 D.L.R.J.B. - "Nosotros venceremos / We Shall Overcome"
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 ---- (en "Movimiento Music" / Flying Fish, 1992) ----
脱線ついでに…。米国の公民権運動のテーマ・ソングともいえる「勝利をわれらに(We Shall Overcome)」をソカ(zoca)に乗せて。この歌自体は1945年、米国サウス・カロライナ州チャールストンでのタバコ労働者のストライキ中にアフリカン・アメリカンの女性労働者たちの間で歌われていたゴスペル・ソング「I'll Overcome Someday」がルーツであるという。その後、テネシー州チャタヌーガにあったアフリカン・アメリカンを中心とした自立支援のためのフリースクールであるハイランダー・フォーク・スクール(Highlander Folk School)のジルフィア・ホートン(Zilphia Horton)により「I」が「We」に変えられ(この改変はストライキに参加したルシール・シモンズ[Lucille Simmons]という女性の手によるものとの説もある)、さらにこれを採譜したピート・シーガー(Pete Seeger)により「will」が「shall」に変えられて、現在の「We Shall Overcome」として全国的に普及することになる。あのマルティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)の愛唱歌でもあり、1963年のワシントン大行進の際にはデモ隊により歌われ、まさに公民権運動を代表するプロテスト・ソングとなった。なお、ロッキン・ハラペーニョ・バンドによるこのバージョンではチカノ運動のこれまた有名なプロテスト・ソング「No nos moverán」の歌詞が用いられている。ジョーン・バエズ(Joan Baez)の1974年のライブ・アルバム「Gracias a la vida」にも収録されている「No nos moverán」は、もともと世界産業労働者組合(IWW)で歌われていた「We Shall Not Be Moved」が翻案されたものらしい。ドクトル・ロコのアレンジはお見事。
No nos moverán / We shall not be moved / No nos moverán de aquí
Deep in my corazón / I do believe / No nos moverán de aquí

01 de febreiro de 2006:
 D.L.R.J.B. - "El Picket Sign"
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 ---- (en "Movimiento Music" / Flying Fish, 1992) ----
「プロテスト・ソング」というと、どうもある種の生真面目さというか、スクェアな曲調(マーチであれバラードであれ)を思い浮かべてしまうのだが、前回のチャマリタしかり「歌って踊れる系プロテスト」はやはりラテン系の証し? というわけで今回はクンビア(cumbia)。公民権運動の影響を受けて米国で繰り広げられたチカノ運動(Chicano Movement)のなかで歌い継がれてきた代表的なプロテスト・ソングをドクトル・ロコズ・ロッキン・ハラペーニョ・バンド(Dr. Loco's Rockin' Jalapeño Band)のバージョンで。ちなみにこのドクトル・ロコことホセ・クエジャル(José Cuéllar)はれっきとしたUCLAの人類学の教授で、チカノ研究の専門家でもある。かのセサル・チャベス(César Chávez)が率いたデラノ・ストライキの中でもこんなウタが流れていたんだろうか。
El picket sign, el picket sign
I'll carry it por todo el mundo
El picket sign, el picket sign
For land and liberty
ピケを張ろう、ピケを張ろう
世界中に広げるんだ
ピケを張ろう、ピケを張ろう
土地と自由のために
El picket sign, el picket sign
In support of struggling workers
El picket sign, el picket sign
Porque la unión es la fuerza
ピケを張ろう、ピケを張ろう
たたかう労働者のために
ピケを張ろう、ピケを張ろう
団結は力なんだ
…にしても、相変わらず脱線気味だなあ(汗;

27 de xaneiro de 2006:
 Quempallou - "Coplas de mercado"
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 ---- (en "Estremonías" / Zouma, 2004) ----
2002年11月の「プレステージ号」重油流出事故はガリシアの海岸に深刻な事態をもたらした。この被害に対して立ち上がり、漂着重油の除去や海鳥の救出などに当たるとともに、住民不在の態度を取り続けた政府に対する抗議活動を今なお続けている市民団体のプラットフォームが「NUNCA MÁIS」。チャマリタ(chamarrita)のリズムに乗せて歌われるケンパリョウ(Quempallou)のこのプロテスト・ソングにも織り込まれているように、「NUNCA MÁIS(もうごめんだ)」は現在のガリシアの人びとの間のキーワードといえるだろう。
Fuxan os que nos enganan,
Tódolos que nos dirixen,
Deixan podrecer Galiza
Toda chea de Prestixe
欺くものたちは去れ
われわれを統治し
プレステージ号で
ガリシアを汚したものたちは
Demonizan ós que loitan
Por unha Terra máis digna
Na que non haxa caciques,
Nin ladróns nin chupatintas
やつらは、暴君もなく
泥棒も悪徳役人もいない
誇りある世界をめざして
たたかうものたちを悪者呼ばわりする
Trapalleiros, mentireiros,
Que nunca nos han calar
Nós berramos máis ca nunca
Máis ca nunca NUNCA MÁIS!!
ペテン師たちも、嘘つきどもも
われわれを黙らせることはできない
今まで以上にわれわれは叫ぶ
「もうごめんだ!!(NUNCA MÁIS)」と
昨夏訪れたコスタ・ダ・モルテ(Costa da Morte)の岩礁には重油の跡がまだ残っていた。事故後すべて手作業でひとつひとつこそげ落としたにもかかわらず、である。人間の手では限界があるんだと現地の友人は嘆いていた。

23 de xaneiro de 2006:
 Café Tacuba - "Flores del color de la mentira"
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 ---- (en "Chiapas" / Interdisc, 1996) ----
くだんの1990年のポランコの野外ライブで、マノ・ネグラ(Mano Negra)の前座をつとめたのがまだデビュー直後だったカフェ・タクバ(Café Tacuba)。当時は唄も演奏も荒削りな印象だったが、その強烈な個性には驚かされた。ここでは1996年にリリースされたEZLN(サパティスタ民族解放軍)支援のためのコンピレーション・アルバムから、ルベン・アルバラン(Rubén Albarrán)のボーカルが何とも美しい「嘘色の花(Flores del color de la mentira)」をサビの部分から。
Quisiera cantar, quisiera florecer
con mis propias semillas.
Ya no quiero sembrar y sólo cosechar
flores del color de la mentira.
自分自身の種で
花を咲かせたいんだ
嘘色の花はもう蒔かない
刈り取るだけでいい
アルゼンチンで制作されたこのアルバム、地元からはレオン・ヒエコ(León Gieco)、フィト・パエス(Fito Paez)、チャーリー・ガルシア(Charly García)、メルセデス・ソーサ(Mercedez Sosa)、それにメキシコからはカフェ・タクバに加えてラ・マルディタ・ベシンダー(La Mardita Vecindad)といったそうそうたる顔ぶれが揃っており、なかでもEZLNのマルコス副司令官のラジオ演説をハビエル・カラマロ(Javier Calamaro)がリミックスした「叛乱者の誇り(La dignidad rebelde)」はかなりの聴きモノ。

…うーんなんだか脱線気味!?

20 de xaneiro de 2006:
 Mano Negra - "Guayaquil City"
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 ---- (en "Puta's Fever" / Virgin France, 1989) ----
マヌ・チャオ(Manu Chao)を初めて観たのはマノ・ネグラ(Mano Negra)時代の1990年、メキシコ市はポランコ(Polanco)の野音。当時からラテンアメリカでは絶大な支持を得ていたマノ・ネグラのライブとあって、会場のまわりはチケットを取れなかった群衆に取り囲まれ、そのうち警官隊も出動し一触即発の状況になっていた。その時に演ったのがこの「グァヤキル・シティ(Guayaquil City)」。外に向かってマヌが ¿Qué pasa por la calle?(街路では何が起こっているんだ?) の部分をシャウトするたび周辺のボルテージは上がる一方で、すわ暴動かと思った矢先、ついには主催者がゲートを開け放った。外に居た群集が一気になだれ込み、会場がまさに「解放区」のごとき恍惚感に包まれたことはいまだに鮮烈な記憶として残っている。

17 de xaneiro de 2006:
 Os diplomáticos de Monte Alto - "Deixa-me subir o alto"
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 ---- (en "Kömunikandø" / BOA, 2003) ----
1989年に結成されたオス・ディプロマティコスは「ロック・ブラブ(rock bravú)」の旗手として知られた存在。あのマヌ・チャオ(Manu Chao)との親交も深いらしく、かねてから注目していたが、ようやく去年7月のFestigalでライブを観ることができた…と思ったら9月には解散してしまった。残念。
最後のアルバムとなってしまった『コムニカンド(Kömunikandø)』から、スサナ・セイバネ(Susana Seivane)がガイタでゲスト参加しているノリのいいクリップを。
ちなみにマヌ・チャオの父親(ラモン・チャオ Ramón Chao)はビラルバ(Vilalba)生まれのれっきとしたガレゴで、マヌ自身もガリシアには特別な思い入れがあるようだ。

15 de xaneiro de 2006:
 Grupo de musica tradicional do IGAEM - "Alborada galega"
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 ---- (en "Alba de abril" / Punteiro, 2001) ----
結局、昨年(2005年)は数度の国外逃亡を繰り返すことになり、ほぼ1年ぶりの更新となってしまった。
IGAEM(Institugo Galego das Artes Escenicas e Musicais)はガリシア州政府により設立された文化・芸術機関のひとつで、音楽面ではガリシアの伝承音楽(いわゆる musica tradicional)のみならず、民衆音楽(いわゆる musica folc)をも含めたガリシアの伝統芸術としての音楽振興をめざしている。2枚目の録音となる本作は、前作(1993年)に引き続き Radio Galega とのコラボ。ここでは、パスクアル・ベイガ(Pascual Veiga)作曲のアルボラダ(alborada)をトラディシオナルなアレンジで。

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