諦めの恋
付き合い始めたら諦めがつくもんだと思っていた。
私のときはそうだったから、みんなそんなもんだと当然のように思い込んでいた。
「あきらめ?」
ゆめちゃんが意味を汲み取れなかったような発音で聞き返してきた。
『諦め』って言葉が悪いのかな。じゃあ、他の言葉に言い換えよう。何かないかな。
何かを探すように視線を部屋の中にめぐらせてみる。いや、言葉なんてその辺に転がっているわけじゃないんだけど、じっと考えているよりはいいものが出てくるかな、と。
もそもそとこたつの布団をたぐりよせる。一応まだこたつを出しているけど、電気はもう入っていない。だって3月だし。でもまだ寒いし。
今日は美容室の定休日で、私も一臣クンも家にいる。麻奈はまだ幼稚園でいないし、結奈はこたつ挟んで目の前の一臣クンの膝の上で眠っている。ゆめちゃんはテスト前だとかで学校が早く終わって、帰りにうちに寄った。
いいなー、かわいいよね、制服。
制服姿の女の子は格別だ。時期が限定されているからだろうか、すごく特別に感じる。こげ茶色のブレザーに、チェックのプリーツスカート、膝までの紺のハイソックス、ぺたんこの茶色のローファー。
これを着たかわいいゆめちゃんが、かわいくないわけがない。
まあ、今はそれは置いておいて、諦め、諦め、と言いかえを探す。あきらめ……
「腹をくくる、とか、観念する、とか」
ああこれじゃ一緒だ。
違うのよ、気持ちの言いかえを探していただけで、諦めるという言葉の言いかえを探していたわけじゃないんだよ。
「美矢子、お前な」
一臣クンが呆れたような、少し怒ったような口調で言いかけたので、ストップ、と両方の手のひらを向ける。
「だって私はそうだったんだもの。諦めたんだよ、本当に」
私の場合は、本当に逃げに逃げに逃げ回っていたから、『諦め』という言葉がぴったりだったんだよ。一臣クンと付き合うなんてどんな罰ゲームなんだと思っていたし、別に後悔しているわけじゃないけど、じゃあもっ回あのときに戻ったらどうなっただろうと想像してみて――いや、多分、一臣クンの押しに負けていただろう、やっぱり。
「ともかくさ、彼氏彼女とかいう関係になっちゃうと、相手からの好意に諦めがつかない?」
この人は私のことが好きなんだから、仕方がない。私だってこの人のことが好きなんだから、仕方がない。
もうどうにもならない、それは実際に本当の本当な事実だ。
違うと言い張ったって、本当にそうなんだからもう仕方がない。諦めよう――
「ああ、そう、認めようって思わない?」
その事実を認めよう。
うん、まだこの言葉の方が適当かな。
ゆめちゃんは眉を八の字に下げて、
「あたしは、三哉兄ちゃんのことがスキだし、三哉兄ちゃんも多分そう思ってくれていると思うけど」
なんだその消極的な言い方は。
だって、とゆめちゃんが手持ちのマグカップを手の中に抱え込むようにして、体を竦める。
「三哉兄ちゃんは、言葉に出す方じゃないし」
「はあ? もしかして三哉は好きだとも言ってないのか?!」
「一臣クン、ちょっと黙ってて」
これは女の子同士の会話なんだから。そもそもなんで一緒にこたつに入ってゆめちゃんの話聞いてんのよ。
睨み付けると、何か言いたげな顔をして、一臣クンは黙った。
どうぞ、とゆめちゃんに続きを促すジェスチャーをする。
ゆめちゃんが困ったように一臣クンを見て、私を見て、ええと、と言った。
「キラわれるのが怖いんじゃなくて」
三哉クンがゆめちゃんを嫌う。
ちょっと想像してみる。
あれよね、嫌うっていうのは、だから好きじゃないって態度をとるっていうことで、ああそうだ、三哉クンが一臣クンに対するような態度をゆめちゃんにとるってことか。
あれ、想像できないな。
無理だ。無理無理。
そっけなくしようが、冷たい態度とろうが、それって結局前と、ゆめちゃんと付き合う前と同じじゃん。たいがいあれは、この子可哀相に、と涙をそそられた。
だって、あんまりにも三哉クンがゆめちゃんのことを好きだから。
そういえば昔、もう5年ぐらい前のことだけど、あのときにも思った。
なんでこの子達は、すれ違いっぱなしの両思いをしてんのかなー、って。確か、なんでかゆめちゃんと三哉クンと私と一臣クン、そんな変なメンツ四人で遊園地に行ったときだ。そのときのゆめちゃんはまだ小学生か。うわ、私年とったなあ。
一臣クンや私とばっかりいちゃいちゃしてるゆめちゃんを、諦めたように見ている三哉クンに訊いたんだ。
好きなら好きって言いなよなんで言わないの、ってからかい半分に。まあ、今とは『好き』の意味が違うけど。
可哀相だったなあ。
『ゆめはオレのことが嫌いだからです』
きっぱりはっきり、オレは嫌われていることはちっとも気にしてません、って顔を必死に作って、三哉クンは言った。高校生男子の顔をあんなに綺麗だと思ったことは、後にも先にもない。
すごい思い込みだと思った。
一臣クンが何で気付かないのか真剣に疑問に思ったなあ。お義父さんは、にやにや見てるだけだし、どうすんのこの子達、と他人事ながら心配していたものだ。
だから、三哉クンがゆめちゃんを嫌うのは無理だよ、無理。想像もつかない。
ゆめちゃんは、うー、とうなって、うまく言葉に表せないことに諦めたようだ。そして、
「あのね、三兄は、あたしのことがスキなの。それは本当に、絶対に」
なんだ、判ってたのね。じゃあいいじゃん、何が不安なの。
ゆめちゃんが、ガバッと私の方へ身を乗り出して、
「だって、あたしすごく態度悪かったよ! ずうっとキラわれてるんだと思い込んでたから、どうせあたしだってスキじゃない、って」
そうして泣きそうに眉尻を下げる。
「でも、ずうっと三哉兄ちゃんはあたしのことがスキだったの。あたしがどう思ってようと関係なくそうだったんだと思うの」
ノロケじゃなくてね! とゆめちゃんが強く付け足す。
「だから、キラわれないことが怖い、というか」
ええとええと、とまだゆめちゃんが言葉を探す。
いや、うん、大体判った。
「今でもその好意が恋愛感情じゃないかも、ってこと?」
絶対になくなりはしない好意は、『恋愛感情』ではないように見える。親や兄弟からの愛情って、そんなものだし。
と、ゆめちゃんが、何故か頬を真っ赤にした。
違うの、とつぶやいて、
「本当に三兄は恋愛感情であたしのことスキなんじゃないか、って思えてきたの、最近……」
唖然と私は口を開けた。目の前の一臣クンも似たような顔をしてる。
なんだノロケなんじゃん。
同じ方向に向いていて、普通もっと前に自然とお互い気付くものが、端から見ていたらもどかしいほどの遠回りを経て、ようやくようやく両思いになったのか。
良かった良かった。
胸を撫で下ろして、なんだもう解決してたんじゃん、と思ったそのとき、
「でもそんなのあたしの勘違いなんじゃないかなあ」
またゆめちゃんが混ぜっ返した。
「どうしてそう思う?」
そこに性懲りもなく一臣クンが口を挟んでくる。
でも、それは私も思った疑問だったから、まあ良しとしよう。
ゆめちゃんが体をひいて、マグカップにそえた伸ばした腕の間に顔を落としてうつむいた。
「……そう思う根拠がないから」
足りないものだらけだ。
言葉、態度、あとこれ多分一番重要な、自信ってやつ。
私はこの人に好かれている、っていう自信。
そういうモロモロのものが、ゆめちゃんと三哉クンには圧倒的に足りない。端から見ていると充分だろやりすぎだろって思うぐらい、二人とも表している気がするのに、お互いがお互いを理解していない。
いやもう、これ、きっと私何の役にも立てないわ。
『諦める』前の話だもん。
どうしてこんなに面倒くさくすれ違うことができるのか、逆に二人に訊きたいぐらいだわ。
お互い圧倒的な好意で思い合ってるのに、どうしてそこで出てくる感情が、『本当に私のこと好き?』なの。わけ判んない。
匙を投げて、仰向けにごろんと横になる。
私には本当無理です。
けど、話はまだ終わっていなかった。
「だから、今日は一兄に訊きにきたの」
そういえば、ゆめちゃんからの電話を受けたのは一臣クンだった。今日はそもそもそういう話だったのか。ありゃ、じゃあ私の方が邪魔だったのか。
一臣クンが、なんだ? と答えている。私は肘をついて上体を起こして一臣クンの顔を見る。うわ、しまりのないにこにこ顔だなー。元は無駄にカッコイイ人だから、なおさら駄目な顔だ。
ゆめちゃんが、私と、ゆめちゃん自身へと、人差し指を向けた。
「あたしへの『スキ』と、みゃーこさんへの『スキ』って、何が違うの?」
「は?!」
みるみる一臣クンの顔が、首が真っ赤になった。
これは面白い見物だ。
体を起こして、にやにやと、こたつに肘をついて目の前の一臣クンを見る。
「一兄、あたしのことスキ?」
うわ、この質問をその不安げなかわいい瞳で言われたら、うん、以外は無理でしょ、一臣クン。
案の定、一臣クンは、うん、とうなずいた。
「じゃあみゃーこさんのことは?」
おお、こちらへ矛先が向いた。
ギギギ、と油を差してやりたくなるぐらい固まりながら、一臣クンの顔が私へと向く。
「スキ?」
ゆめちゃんの追い討ちに、一臣クンがまったく太刀打ちできない。動けないままの一臣クンへ、ゆめちゃんはさらにたたみかけるように、
「だってスキだから結婚したんだよね? それって、あたしへとは違うスキだからだよね? 麻奈ちゃんや結奈ちゃんへとも違うスキだよね?」
猛攻だなあ。
なんて答えるのかと、私はにやにやと一臣クンを見ていた。
唐突に、一臣クンは結奈を抱えて、立ち上がった。そして、そのまま部屋を出て行ってしまう。ほどなく、軽い鍵のかかる音がしたから、多分これは寝室だな。
逃げた。
逃げたなあ。まあ仕方ないか。
ゆめちゃんが困ったように一臣クンの去った方を見ている。自分も立ち上がって追いかけようかどうしようかと、腰を浮かしたので、さすがに追撃は可哀相だと同情心から、ゆめちゃん、と声を掛けて止めた。
あのさ、
「ゆめちゃん達、えっちはまだ?」
あんまりにも直接的な言い方に、自分でも他の言い回しはなかったのかと思うけど、まあ、言ってしまったものは仕方が無い。
今度はゆめちゃんが真っ赤になった。首まで真っ赤。ありゃ、これは何かあるな。
「したんだ?」
三哉クンも意外と手が早い、ってこともないな。付き合いだしたのって、去年の春ぐらいだったっけ? 一年経つもんねえ。
ゆめちゃんが視線をそらして、
「じゅ、15歳だから、まだ」
などと言った。
へ?
その変な言い方に、目を丸くしてしまったけど、ゆめちゃんから追加の説明はない。
15歳だから、まだ。
それは、16歳だったら良いってこと?
え? えええ?
嫌だ、今度はこっちが赤くなる番だ、と思った。頬が熱い。
三哉クンは、本当にゆめちゃんが好きなんだなあ。あてられてしまった。
女の子の16歳は特別だ。
結婚ができる年齢に達するのだ。それを特別と言わずなんと言おう。
この様子だと、約束でもしているのかもしれない。
ゆめちゃんの16歳の誕生日は再来週の話だ。
「ゆめちゃん、諦めなよ」
もう一度、私は言った。
「あきら、める?」
もぞもぞとこたつの中に入って、顎を天板の上に乗せる。首を傾けてゆめちゃんを見る。
ゆめちゃんが頬を赤くして、不思議そうに私を見ている。
かわいいかわいい女の子。
三哉クンが大切にしている、三哉クンが好きな女の子。なのに、三哉兄ちゃんはあたしのこと本当にスキかな、なんて不安がっている女の子。
そのうち罰があたるよ。
「きっと近いうち、嫌ってほど思い知らされるから、その前に諦めた方がゆめちゃんの為だよ」
まったく。
結局今日は回りくどいノロケ話を聞かされただけだったんだ、と妙に気が抜けた。
ゆめちゃんにどういう意味か何度も訊かれたけど、それは私の答えるところじゃないよ。
早く、自分の好きな人から与えられる圧倒的な好意を受け入れた方がいい。早ければ早いほどいい。人間なんでも諦めが肝心。そうじゃないと、身をもって思い知らされることになるよ。
私みたいにね。
end