オトナ達の翌朝
三哉とゆめちゃんの『こんにちはー』という声が聞こえて、僕は布団から頭を出した。隣りを見ると、のぞみも起きたようだ。億劫そうにうつ伏せのままずり上がり、掛け布団から頭を出した。
「……頭イタイ」
「そうだろうね」
のぞみよりも酒量は少ないとはいえ、僕自身の許容量限界までは呑んだ気がする。どうやってここまで運ばれたか覚えていないのが、いい証拠だ。齢50も超えて情けないが、まあ、これも一年に一度だ。天国の曜子さんは怒ったり心配したりしているだろうが、大目に見てもらおう。
「水欲しい……」
「自分で取りに行ったら?」
無理を承知で答えた。
ここは拓司くんのお寺の本堂。毎年のごとく、前庭から直接入れるここに放り込まれたらしい。横を見上げると大きな仏像がこちらを見下ろしてる。すみません、こんなところで酔い倒れて。
のぞみが自分の両腕を枕にして、そこに沈没した。
僕もうつ伏せに体勢を変えて、拓司くんあたりが枕元にまとめておいてくれた荷物の中から腕時計で時間を確認した。
「お昼だね」
ぴくり、とのぞみが動いた。
「……昼?」
のぞみの言わんとするところが判って、僕はわざと強調するように、
「そう、午後12時過ぎ」
言った。
僕とのぞみが酒の呑みすぎで潰れるのは毎年のこと。
翌日三哉がゆめちゃんを連れて、片付けと僕らを回収しに来るのも毎年のこと。
「来る時間が遅すぎるわ」
そうだね、三哉はともかくあの寝起きのいいゆめちゃんが、お昼過ぎてから来るなんて変だからね。
「絶っっ対ヤったわね!」
変な怒気をこめて、引き戸を睨みながら、のぞみがうなった。二日酔い状態でなければ、叫んでいたに違いない。
「そりゃそうでしょう。そういうお膳立てなんだし」
まあ、色々イレギュラーはあったようだけれど。一臣は、どうにもまだ子供だからなあ。
「ああムカツクわ〜」
のぞみが子供のように布団の中で足をバタバタさせる。いい加減君もいいお年でしょうに、大人気ないよ。
「何に」
訊くと、随分な間の後、腕にうずめていた顔を上げて、
「ゆめと三哉ふたりに!」
のぞみが言った。
僕は思わず笑ってしまった。その気持ちには同感できる部分が多いよ。
「こーへーはどうして平気なのかしら。自分の娘よ? 三哉に食べられちゃうなんて、殆どお嫁に行ったも同然じゃない。悔しいわ!」
航平も勿論、三哉とゆめちゃんに対するお膳立てを知っていて、それで多分今、その二人と片づけをしてくれている。
別に平気なわけではないんだろうけど、航平は顔に出すのが得意じゃないからなあ。
「のぞみ」
呼ぶと、噛み付きそうな勢いでのぞみがこちらを向いた。
「高校、大学とのぞみが航平にあてつけでやったあの当時のこと、覚えてないわけじゃないだろう」
言うと、のぞみはハッと眼を見開いてその後、嫌な奴、とつぶやいて顔をそむけた。
閉めた戸の向こうで、桜の花びらが風に吹かれてさざめいている音がする。今日もいい天気なのだろう。隙間から入ってくる風はまだ少し冷たいけれど、気分の悪いものじゃない。
「ムカツクわ」
のぞみが言った。
「三哉だって、あたしはすごく気に入ってたのよ」
「曜子さんみたいで?」
外見だけで言えば、三哉は僕にそっくりだけれど、僕と曜子さんをよく知っている人からすれば、彼は本当に曜子さんに似ているのだった。
まあ、あんまり面と向かって『三哉は曜子さんに似てる』と言う人もいないから、本人に自覚があるとは思えないけれど。
曜子さんは10年も前に死んだ。そのとき三哉は10歳だった。記憶はあるだろうけど、似るほど鮮明だとも思えない。
「一緒に過ごさなくても親子ってのは似るもんだね」
「そーたにだってそっくりよ」
「顔が?」
いつも他人から三哉との相似性を指摘されるぐらいだからねえ。
「顔も」
憮然とのぞみが言った。
「あたしのスキなヒトは、みんなそーたのことスキなのよ」
そういうところ、そっくり。
口唇を尖らせてのぞみが言った。言っていることは、恨まれても僕の所為ではないことなんだけれど、今日のところは聞き流しておこう。娘をとられた母親というのは、実は父親以上に複雑なのかもしれない。
ぱたぱたと軽い足音がして、襖が開いた。ひょっこりとゆめちゃんが顔を出す。
「あ、おはよー。三哉兄ちゃん、お母さんもおじさんも起きてるよ」
ゆめちゃんの手招きで、我が息子の三哉もやってきた。盆に水の入ったコップを持っている。
「明け方まで呑んでたんだって? ふたりとも、いい加減自分の酒量コントロールしろよ」
呆れた顔で傍までやってきて、枕元にお盆を置いた。起き上がって、ありがたく水をいただく。ふと見ると、のぞみがふくれっ面で三哉と傍まで来たゆめちゃんを睨んでいる。
ゆめちゃんが不思議そうに、どうしたの、と訊いているが、のぞみは不貞腐れたように掛け布団にもぐってしまった。お母さんどうしたの、って僕に訊かれても、ちょっと答えようがないなあ。まあ、言っちゃってもいいんだけど、今のぞみに喚かれると頭に響くから避けたいところなんだ。
「なんか食べれるんなら、雑炊用意してあるから」
そう言って、三哉が立ち上がる。ゆめちゃんも、のぞみの行動に首を傾げながら立ち上がった。
適当に返事をして、去っていくふたりの後姿を眼で追う。
と、戸口のところでゆめちゃんが足をすべらせた。僕が声をあげる前に、三哉がゆめちゃんの腰を抱えるようにして支えた。
それで、ああやっぱりそうなんだ、と思った。
気をつけろと言う三哉の顔も、ありがとうというゆめちゃんの顔も、昨日までとはどこか違う。あんなにお互い気を遣いあって、それはそれで微笑ましかったのだけど、恋人というよりはまだ幼馴染みといった感が抜けないように見えていた。
「……ムカツク」
隣りで二人の様子を見ていたのだろうのぞみが、掛け布団の中からうめいた。
「どっちに」
問うと、両方、と答えが返ってきて、苦笑する。
ご飯を頂いてきますかね、と僕が起き上がると、でも、とのぞみが布団の中からようやく顔を出した。そして、ぽつり一言。
「でも、ゆめの恋が叶って良かった」
僕は笑って、
「そうだね」
心から同意した。
end