前 煙草のハナシ
「こんにちはー」
玄関を開けると、あたしの声を聞いた早坂のおじさんがリビングから顔を出した。珍しい。いつもは『はいはい』とか『どうぞー』って、声だけの対応なのに。しかも、なんか手招きしてる。どうしたんだろ。
「ゆめちゃん、ゆめちゃん」
いつ見てもキレイなお顔。おじさんは、ハッキリ今テレビに出てるどの女優よりも美人だ。
リビングまで行って、ソファの背の後ろにぺたんと座っておじさんに顔を寄せると、あたしの耳にこっそりとおじさんが言った。
「三哉がヘン」
うわ、とあたしは声に出してうめいた。
多分それって、三哉兄ちゃんの機嫌が超悪いってことだ。
三兄、自分で自分の感情のコントロールができないときって、他人を近寄らせないんだよね。しかも、イライラをうまく発散されることができないからって、キライなくせにタバコ吸うの。どうせそれで機嫌が直るわけじゃないのにさ。それならまだ、当り散らしてくれればいいのにね。
無言で不機嫌な美人ほど扱いづらいものはない、とあたしは思う。
三哉兄ちゃんは正にそれ。
三兄はおじさんにそっくりの女顔で、これまた美人。あたしが横に並んで歩くと、まるで姉妹みたいだって。
彼氏だとは一回も間違われたことがない。なんかムカツク。
「今日の晩御飯、食いっぱぐれちゃうよ〜」
おじさんが情けない声を出して、ソファの背もたれに顔をうずめた。
確かに。三哉兄ちゃんがご飯を作ってくれなかったら、あたしとおじさんは餓死決定だ。
「あの顔がまた怖いんだよねえ」
とほほ、といった感じで、おじさんが嘆く。
もー、仕方ないなあ。自分と同じような顔でしょうが。
「三哉の方が美人だよ。怒った顔は、凄みがあって、僕はちょっと近づきたくないなあ」
それには、ちょっと同感してしまう。
でも、それじゃどうしようもないじゃない。
おじさんがため息を吐き吐き、あたしを見て言った。
「うちのバカ息子どもだって、三哉が機嫌悪くしてるときは近づかなかったのに、ゆめちゃんはよく平気だよねえ」
別に平気じゃないよ。
ただ、知ってるだけ。
それに、
「三哉兄ちゃんのことがスキだもん」
キッパリハッキリ、あたしは言う。
うんうん、とおじさんが頷いて、将来お嫁に来てよね、といつものセリフを言う。言われなくったってそのつもりだもん。
おじさんのその態度、本気で言ってるのか冗談なのか、イマイチ掴めないのよね。言っとくけど、あたしはどこまでも本気なんだからね! 三兄も判ってないみたいだけどさ!
すっくとあたしは立ち上がる。おじさんが、よろしく〜、と無責任に言った。
もう、仕方ないなあ。
リビングの入り口から、階段の上へ視線を向ける。多分、正に機嫌絶不調であろう三哉兄ちゃん、その人がいるところへ。
さて、それでは寂しがりやで不機嫌な美人をなだめに行こうかな。
end