煙草のハナシ
レポートがまとまらなくてイライラしていると、口さみしくなってきて、普段は吸わないのについつい手を伸ばしてしまう。
それが煙草。
「体に悪いんだよ」
ひょいっ、と目の前にゆめの横になった顔が現れる。ゆるく三つ編みにした髪が、机の上のノートパソコンのキーボードを撫でていった。
オレは、煙草のフィルターを噛み潰しながら、心の中で舌打ちをする。
にっこりと笑ったゆめを見て、オレが煙草を捨てるまで、目の前からどく気はまったくないらしいことを了解する。
渋々、煙草を灰皿に押し付ける。
「これでいいですか? お姫さま」
何やら口の中でもごもごつぶやいて、ようやくゆめの顔が目の前からどく。音もなく入ってくることだけは、やたら上手くなりやがって。
ゆめがくるりと踵を返す。そして、そのまま出て行くのかと思ったら、オレの本棚を勝手にあさって、オレのベッドでマンガを読み始めた。壁を背もたれにして足を伸ばして座って、すっかりくつろぎモードだ。
高校入る前の春休みってのは、こんなに暇なもんだったかね。こっちはレポートでヒイヒイ言ってるってのに、呑気なもんだ。
*
うーん、と腕を上にあげてオレは大きく伸びをした。ついでに首を回す。時計を見ると、もう夕方の17時。レポートをやり始めてから2時間も経っていた。
ようやくレポートをやっつけて、肩の荷がおりた。いいかげん、あの教授の意地の悪いレポート提出も飽きてきたなあ。だいたい本当に読んでるのか?
プリンターから吐き出された何枚かの紙をまとめて、ホッチキスで留める。
ふと、ゆめがやたら静かだったことに気づいて、オレはベッドへ視線を向けた。そうして、うんざりとため息をつく。
「そんなこったろうと思ってたよ……」
視線の先のベッドの上では、お姫さまがマンガ本を枕元に積んで眠りこけていた。布団もかぶらず寝やがって。風邪ひくぞ。
もう一度ため息を吐いて、立ち上がってベッドの傍まで行く。
こいつは変わんねえなあ。
ベッドに腰掛けて、ゆめの髪をすくようになでる。三つ編みはすっかりほどけてしまっていた。
警戒心の欠片もない、あどけないゆめの寝顔。
ゆめの誕生日のできごとを、オレは忘れていない。忘れるほど記憶力に不自由してないし、ゆめのことをどうでもいいなんて思っていない。
オレはあの日、ゆめの世話焼きの兄貴を辞めたハズだった。
「ゆめにとっては、そうじゃないのかもな……」
ゆめの『好き』は、本当にオレを『男』だと思っての『好き』だろうか? やっぱり家族に対する『好き』と同じなんじゃないだろうか?
傍に家族もいない、うちの兄貴たちもいない。だから、残ったオレに対する気持ちを、恋愛の『好き』と勘違いしてるんじゃないだろうか?
ゆめは変わらない。
あの誕生日よりも前も、その後も。
自分勝手にやって来て、オレの邪魔して、ベタベタくっついて来て、オレの前で無防備にして。
ゆめは変わらない。オレの気持ちは、ゆめへの気持ちを認めたことで変わったのに。
だとしたら――
「……三哉兄ちゃん?」
びくっ、と、オレはゆめの髪から手を離した。ゆめがうっすらと目を開けて、オレを見上げている。
「あたし寝てた?」
ごめんね、とゆめは目をこすりながら体を起こした。
「ゆめはさ」
言いかけて、オレはすんでのところで言葉を飲み込む。
オレのこと、本当に好きか?
なんて、どんだけ女々しいんだよ、オレ。
オレはよっぽど変な顔をしていたんだろう。オレがさっき寝てたゆめにしたように、今度はゆめがオレの頭をなでる。
「レポート終わんなかったの?」
「終わったよ」
んー、とゆめが首を傾げる。そして、何を思ったか、オレの頭を胸に引き寄せて、抱きしめた。
とくん、とくん、と規則正しいゆめの心臓の音が聞こえる。
バカみたいに力が抜けて、オレはそのままゆめにもたれかかった。目を閉じたら、このまま寝れそうな気分。
「機嫌直った?」
頭の上でゆめが言った。
は? 機嫌?
「悪かったか? オレ」
思わず顔をあげようとするオレを、何故かゆめはヒッシと胸に抱きとめる。なんなんだ。
機嫌悪い、ってほど悪くなかったハズだ。
「ウソ」
むー、とゆめがうなるのが、ゆめの体越しに伝わってくる。
「だって、三哉兄ちゃん、タバコ臭い」
「あ、悪ぃ」
ゆめが来るまで結構な本数を吸っていたから、服に染み付いていたんだろう。それでも、ゆめはオレを離そうとはしない。オレも、ゆめの好きにさせておいた。
ぽつり、とゆめが言った。
「本当はキライなくせに」
オレが顔をあげると、鼻先にゆめの顔があった。ゆめの柔らかい髪が、オレの頬に落ちてすべっていく。
「だから、タバコ吸うくせに」
オレは言葉を失う。
ゆめが再び、まるで母親が子供に言い含めるように言った。
「キライなもの、吸わなくてもいいの」
オレが機嫌を悪くすると、親父も兄貴たちも学校の友達も、みんな近寄ろうとしなかった。
オレが泣いても、怒っても、悲しんでも――寂しがっても、みんな近づかなかった。
それはオレがそう仕向けたからだ。
オレはオレがみっともない姿をしているところを、誰かに見られたくない。弱味を誰にも絶対に見せたくない。
だから、自分をコントロールする手段を身に付けた。煙草はその最たるもの、判りやすい道具だった。
でも、ゆめだけは。
どんなに追い払っても、八つ当たりしても、嫌だと言っても、取り繕っても、しがみついてきた。
十年前のあの日も、ゆめだけは、ずっと傍にいた。
「……なんで?」
オレの質問に主語はなかった。
なんでお前はオレの傍にいるんだ? 隠しても判るんだ?
「三哉兄ちゃんのことスキだもん」
さも当然のようにオレの目をまっすぐに見て、ゆめが言った。
言った。
多分オレは、今までゆめの気持ちを随分と見くびっていたんだろう。
そのことをこのとき、オレはようやく理解した。
オレはゆめにとっては傍迷惑でしかなく、誰が見ても女々しいことを、この日決意した。
end