宴もたけなわ
月も中空を過ぎ、西へと向かっている頃。
枝垂桜の見事な寺の前庭で、その美しい桜の姿とはあんまりにも対照的な、『花より酒』の酔っ払いどもが、何がおかしいのか、ケタケタ笑ってる。
「んん、めでたい! ゆめちゃん卒業めでたい!」
真っ赤な顔で一升瓶を脇に抱えてコップを掲げているのは、よくオレの姉貴に間違われる、まごうことなきオレの親父だ。酒に強くないくせに、呑みたがるっていうのはどういうことだ。翌日、二日酔いで倒れている姿が、今から目に浮かぶよ。
「つい昨日までこーんなちっこかったのに、一人で大きくなったような顔してー!」
腹の中にいたときの大きさか? ってぐらいの小さなCの形を人差し指と親指で作って、ゆめの頭をガシガシ撫でているのは、ゆめの母親のぞみさんだ。ゆめにそっくり(のぞみさんが産んだんだから逆だが)な、顔の作りも仕草も小動物を思わせるほわほわした風体のくせに、この人もやたら呑む。強いわけではないが、弱いわけでもない。酔っ払うのが好きなんだろうな。
「15歳! 酒も呑めるってもんだ!」
呑めねえよ。
思わず心の中でオレが突っ込みを入れた相手は、ゆめが『一兄』と呼ぶ我が家の長兄一臣(かずおみ)、27歳二児の父だ。幼稚園とよちよち歩きの二人の我が子とゆめを一緒くたに抱えて、ご満悦だ。いつもバカみたいに陽気でバカみたいにやかましい兄貴だが、酒を飲むとそれがさらにパワーアップする。酒が入った一臣には近寄らない方がいい。寝た赤子をつつくのと一緒だ。
この場にいるのは、総勢十二人という大所帯だ。
子供以外は基本的に全員酒が入っている。夜中の一時を回ろうとしているが、誰も帰ろうとしない。一臣のとこの子供二人が、眠そうに舟をこいでいるぐらいだ。
まあ、毎年のことだけれども。
オレはため息をつく。
端で勝手に酒を飲みながら、オレは、用意してきたつまみのブルーチーズやらクラッカーやらを皿に出して、酔っ払いどもに出す。
一応、ゆめに注意は払っておいてはいる。
この酔っ払いどもは、バカみたいにゆめが好きだから、ゆめの嫌がることはしないだろうとは思いつつも、何をしでかすか判らない雰囲気もあって、目を離すことができない。
って、おい!
オレは慌てて立ち上がった。一臣がゆめに紙コップを持たせて、ビールを目いっぱい注ぎやがった。
未成年に酒つぐなよ!
止めに入ろうとしたオレを見たゆめは、さっと視線を外してぐいーっ、と一気に飲み干しやがった。うわ。知らねえぞ。
そのいい飲みっぷりに、周りの大人たちが囃し立てて、また酒をつぐ。
のぞみさん、あんたゆめの親でしょうが。
ため息をついて、
「ほどほどにしとけよ」
と、ゆめに言うが、やっぱりゆめは顔を背けて、視線を合わせてこない。
仕方なし、再びオレは端の方へ戻って、靴を履いてござから出た。日本酒の入ったコップ片手にあたりを見渡すと、細川(ほそかわ)さんが、枝垂桜の下の木造りのベンチに腰掛けて、のんびり酒を呑んでいた。
細川さんは、齢49になるこの寺の住職だ。話を聞くに、親父の後輩だとか。袈裟を脱いだ姿は、およそ住職には思えないおっとりとした風体で、その印象そのままの性格の話しやすい人だ。
細川さんの隣りに断って座る。ござ上の喧騒と、この場所はどこか無縁だった。
細川さんが、オレの手のコップを見て、くすりと笑った。
「三哉くんは、ザルだねえ」
オレは眉を寄せて、
「酔ってないわけじゃないですよ」
そう言って、ちびりとコップから酒を呑む。酒は、喉を熱くさせた。
「一臣くんが、『三哉はワクだ』って言ってたけど」
……一体どういう意味ですか。
「ザルの網の目にひっかかる酒もない。全部素通り。だから枠だって」
オレはうんざりとため息を吐く。
失礼な。
誰のせいで、泥酔できないと思ってるんだ。
最中も後も翌日も考えずに呑み続ける家族に恵まれたせいだっつーの。そんな恵みはいらない。
細川さんに酒瓶を傾けられたので、オレはありがたくその酒をコップにいただく。こくり、と酒を呑むと、隣りで細川さんが笑った。
「そうしてると、曜子(ようこ)さんを思い出すよ」
唐突に死んだ母親の名前を出されて、オレはとっさ吹き出すのをこらえた。
口元を手の甲でぬぐって、細川さんを見る。
「……そんなこと言うの、細川さんだけですよ」
オレたち家族を見て、他人が第一声に言うことは、親父とオレの相似性だ。姉かと間違われるぐらいには、オレと親父は似ている。オレの幼い頃に他界した母親は、女顔の親父とは対照的に、男かと見まごうほどの宝塚的な女性だった。一臣と次兄の二葉(ふたば)が、この母親にそっくりだ。
でも、細川さんだけは、オレと母親を繋げて『似ている』と言う。
「曜子さんも三哉くんみたいなこと言ってたよ」
細川さんが笑う。
「颯太(そうた)先輩は後先考えずに呑むから、自分は呑まれるわけにはいかないんだ、って」
颯太――親父は、今も昔も、酔っ払って潰れる迷惑な奴だったのか。
オレが苦笑いとしていると、細川さんがおっとりと笑って、
「そういうところ、好きな相手にはものすごく甘いところ、曜子さんにそっくり」
「みーつーにー!」
背後から突然のしかかられ、オレはびっくりして顔を振り向かせる。
ゆめがビールの500mlの缶を片手に、オレにへばりついていた。
なんだなんだ。さっきまで、オレと目を合わせるのも嫌がってたくせに。
「あたしもーコドモじゃないよー! おしゃけだってのめるもーん!」
呂律の回らない感じで、ゆめが主張する。
酒に呑まれてる時点でまだ子供だろう、と思うが、酒に呑まれっぱなし、むしろそれを良しとしている大人たちの前で言っても、説得力がない。
と、考えをめぐらしていたら、ことん、とゆめの頭がオレの肩に落ちた。
「ゆめちゃん寝ちゃった?」
細川さんが、そっとゆめの手からビールの缶をとる。
耳元に感じる息の様子からしても、どうやら細川さんの言う通りらしい。酔っ払って寝潰れるなんて、迷惑この上ない。
どうせこんなこったろうと思ってたよ。
やれやれと思いながら、ゆめをちゃんと背負って、オレは立ち上がった。細川さんへ振り返る。
「細川さん、明日の朝、片付けに来るから」
微笑みながら、ひらひらと細川さんが手を振った。
その目が、意味深な光を湛えていたのは、オレの気のせいだろうか?
もしかして、もう細川さんにはバレてしまったんだろうか。オレとゆめがその……いわゆる恋人関係になったことを。
ゆっくりと境内からの階段を下りながら、自分の顔が、酒のせいではない熱さを帯びるのを感じた。
それはなんだか、ひどくバツが悪いような、恥ずかしいような気がした。
end