『変』なオンナノコ
どうにも要領を得ないな、と思った。
「どんな人か、って訊いたつもりだったんだけど」
オレンジのパックジュースをすすりながら、私は繰り返した。
出席番号順の関係で後ろの席になった、日吉ゆめ、という女の子は、お弁当箱を片付けながら首を傾げる。
「キレイな人」
日吉はもう一度そう言った。
「カレシが『きれい』……ね」
私は、入学して間もない自分のクラスを見回した。クラスの人数の半分は男子だ。何人かは同じ学校から来た奴だから知っているが、ほとんどはつい一週間前に会ったばかりだ。その見慣れない面々を見回して、私は再び日吉の顔を見た。
やっぱり『男』を表す形容詞としては、『きれい』は変だろう。
「日吉はきれいというより、かわいいよね」
そう言うと、日吉はぱっと頬を赤くして、ありがとう、と微笑んだ。
これがいわゆる『かわいい女の子』というモノなのだろう。ちょっと私には縁遠い生き物で、くらくらする。
ふっくらした柔らかそうな頬、長い睫に大きな瞳、ふわふわの線の細い髪は二つに分けられてゆるく三つ編みに結われている。喋り方もちょっとゆっくりめで、話しかけるとにっこり笑って、かわいがられて育ったんだろうな、とは第一印象。今のところ、その印象は変わっていない。
あんまり拘ってこなかったタイプなだけに、新鮮ではある。いつも私が友達付き合いしているタイプといえば、運動部バリバリの女子か、こっちを女とも思っていない男子、あとはクラスのリーダー格の女の子ぐらいだ。日吉みたいに、誰かの影にいつも隠れていそうな子とは、本当に付き合ってこなかったのだ。
まあ、折角高校生になったことだし、なにか新しいことを始めてみましょう、ってことで、今日、ちゃんと話掛けてみた。
そのお弁当おいしそうだね、と。
「カレシにお弁当作ってもらう、とはね」
私はつぶやいて、パックジュースを飲み干した。
いやはや、本当に違う世界に生きている生き物なのだなあ、と思う。
「三哉兄ちゃんは、お料理上手だよ」
にっこりと日吉は笑う。
そう。それは良かったよ。
なんだかどっと疲れて、私は、席を立った。空のパックジュースを教室の後ろに設置されたゴミ箱に捨てる。
高校生活最初の新たな試みは、あっさり頓挫しようとしている。
自分のカレシをきれいだと言うかわいい女の子は、カレシお手製のお弁当を持参してきている。そして、どうにも会話がかみ合わない。
不思議ちゃん。
不思議ちゃんというやつなのかな。
なんて失礼にも思って振り返ると、日吉は席で文庫本を読んでいた。
マイペースな子だなあ。私が席を離れたことなど、気にもしていないのだ。
女の子という生き物は難儀なもので、トイレは行きたくもないのにみんな連れ立って行き、好きな人に告白をするのにも友達の付き添いと了承がいる。そんな女の子の反応としては、日吉はちょっと変わっている。
ふと、彼女の他の友達を見たことがない、と私は思った。
高校入学というのは、中学入学とは全く毛色の違うものだった。自分の小学校からは殆ど全員持ち上がりで、他の学区の小学校がいくつか混ざる程度の中学校と、県下全域から生徒が集まってくる高校では、心細さが違う。そう思っていたのは私だけではなく、やっぱりみんな不安のようで、同じ中学だった友達は最初の2、3日はクラスを訪ねてきたりしていた。クラスの中でも友達と呼べるものができた一週間後の今では、もうそんなこともあまりない。
日吉には、それがなかったような気がする。
私も、ずっとクラスにいたわけじゃないから、確かじゃないけれど、彼女を訪ねてきた友達を見たことも無ければ、彼女が友達を訪ねにクラスを出て行ったのを見たことも無い。
だいたいクラスの席に座って本を読んでいるか勉強をしているか、席をはずすときはトイレか。
友達が少ない、というタイプではないように思ったのだけれど。
なんだか妙な気がして、私は席に戻った。
「面白い?」
話しかけると、日吉は文庫本から視線を上げて、
「どうだろうね」
と、やっぱりにっこり笑って、すぐ視線が本へと戻った。日吉が持っているその本は、つい先日翻訳版が発売されたばかりの海外ベストセラーだ。開いている位置から、本が終盤近いことが判る。
「面白くないの?」
日吉がきょとんと目を丸くした。
「だって、そこまで読んだんでしょ」
本を指差して重ねて言うと、ああ、と日吉は納得したようにうなずいた。
「そうだね。あたしは面白くないな」
……変な言い方をする。
さっきひっかかった妙な気分が、さらに膨らむ。
「日吉のカレシって、年上?」
「そうだね」
「料理うまいんだ?」
「そうだね」
「男の人だよね」
「そうだね」
私は息を吸い込む。
「日吉のカレシって、どんな人?」
「キレイな人」
日吉の文庫本に落とされた視線が、微塵も揺れなかった。私は思わず日吉の机に身を乗り出している。
「……さっきと同じ質問だって、判ってる?」
日吉が顔を上げた。
5センチの距離で、視線がぶつかる。
「あたし、人見知りするの」
にっこりと笑ったその顔が、他人を拒否しているのだと、私はようやく理解した。
自分の体を席に戻して、私はため息を吐いた。
それは、人見知りとかそういうレベルじゃないんじゃないだろうか。日吉は他人と付き合うのが、
「面倒臭い?」
つい、口をついて出た。やばっ、と思って慌てて口を押さえたけれど、私のそんな行動をまったく気にした風もない日吉が、ぽつり、言った。
「あたしが大切にできる他人は、きっと多くないと思うから」
薄く、薄く日吉のその口唇に切ないような笑みが乗ったのを、見た気がした。
その口調が、彼女のふんわりしたかわいいイメージと、今までの単調で一見頭の悪そうな対応から、あんまりにもかけ離れていたものだから、私は唖然としてしまった。
それでも懲りずに口から言葉が滑り落ちたのは、その笑みの奥に、何かを見たからかもしれない。
「じゃあ、カレシのことは?」
大切にしてるの?
素朴な疑問だったと思う。日吉の言葉は『誰も大切にできない』とも取れてしまったのだ。
けれど、色づいていた固い蕾がほころんで周りの空気まで共に塗り替えてしまうように、
「ダイスキ」
日吉が笑った。
花が開いたように、とはこういうときに使う表現なのだと思わず納得してしまうぐらい、日吉がきれいに笑った。
今までの『にっこり笑い』とは、一線を画していた。うっかり見とれてしまうぐらいには、本当にきれいでかわいかった。
なるほど。一筋縄ではいかないオンナノコだ。友達を見たことがなかったのもうなずける気がした。彼女の中には『とても親しい他人』と『他人』しかいないのだろう。そして『とても親しい他人』を彼女は本当に大切にしているのだろう。
不器用で、ある意味潔いような気がする。
そして、そんな日吉から大切にされる『きれいなカレシのミツヤ兄ちゃん』がちょっと羨ましいような気がした。
私は日吉の机に肘をついて、ため息を吐いた。
「日吉は、結構ヒドイ奴だね?」
私の確認のような質問に、日吉は、また『にっこりと笑って』答えた。
人は外見では判らないものだ。
私は、ほとほと実感せざるを得なかった。
そして、彼女を面白いと思ったことも、事実だった。
そうして、日吉ゆめと私、水嶋啓子が『友達』になったのは、もう少し後のこと。
end