その問い
『みつにいなんか、だいっキライ!』
幼いゆめが叫んで、オレは目が覚めた。
部屋は暗く、カーテンの隙間から差し込む外の街灯の明かりで、ぼんやりと天井が見える。
枕もとの携帯電話で時間を確認すると、明け方の4時。
がりがりと頭をかいて体を起こし、カーテンをひくと、窓の外は今日も雨だ。今年の梅雨は長すぎる。気分まで鬱々としてくる。いい加減晴れやがれ。
『だいっキライ!』
頭の中で、夢の中のゆめが叫んだ声が、リフレインしている。そのせいなのか、軽く頭痛までしている。
決定。今日は厄日だ。
*
合鍵を持っているものの、一応呼び鈴を鳴らす。返事を待たずに入るんなら、意味はないと感じながらも。
月に一度、決まってゆめが時間通りに起きてこない日がある。正確に言うなら、起きられない日だ。
オレにはなくて、ゆめにはあるもの。
男にはなくて、女性には決まってあるもの。
月に一度のお客さまというやつだ。
前日から調子悪そうな顔をして、それでも絶対自分の部屋へと帰る、そういう日だ。
普段なら、テレビを見ながらうたた寝、そのまま泊まり、ということもざらなのに、だ。
ゆめの家は、玄関を入ってすぐ左が洗面台と風呂場、その隣りがトイレ、右側、風呂場の向かいがゆめの部屋だ。その隣りに寝室があって突き当りがリビング。マンションの典型的な2LDKの作りだ。
暗い玄関を通って、フローリングの廊下を歩く。コン、と軽くドアを叩いて、ゆめの部屋のドアを開けた。
カーテンの向こうからうっすら照らしてくる朝日の中に、ベッドの中でミノムシよろしく掛け布団に丸まっているゆめを見つけた。
オレは傍まで行って、ベッドに腰かける。
「ゆめ」
そっと呼びかけると、もぞりと掛け布団が動いた。ぽんぽん、と丸まった掛け布団を叩くと、掛け布団に頭が生える。
「……みつにい」
ぼんやりとゆめが、寝起き特有の舌っ足らずさでオレの名前を呼んだ。
夢の中のゆめの幼い声と、現実のゆめの声がダブる。
「……どうしたの?」
知らずオレは顔をしかめてしまっていたらしい。
いや、とオレは言い置いて、
「今日も雨だからな」
とごまかした。ゆめが、やっぱり、とうなる。偏頭痛持ちのゆめにとっては、生理痛頭痛とダブルパンチでさぞかし辛いことだろう。
「起きられるか?」
オレの言葉に、ゆめはたよりなくうなずく。
「みつにい」
もぞもぞとゆめがオレの体を頼りに起き上がる。オレの太ももに手をかけて、腰、腕、肩、と順にたぐっていくとともに、自分の体も起こす。だが、ぺたん、と抱きつくようにオレの肩に顔をつけたところで、ゆめは力尽きた。
基本的にゆめは寝起きがいい。オレの方がよっぽど寝汚い。
だから、こんな風に寝起きにベタベタに甘えるゆめは、月に一度かと思うと、貴重で贅沢だな、と思う。悪くない。これが平日の朝じゃなけりゃ、もっと甘やかしてやるんだけどな。
「ゆめ、朝飯食べられるか?」
ゆめがオレの肩で、やっぱりたよりなくうんとうなずく。
食べないと薬も飲めないからなあ。
「食べる時間なくなるぞ。ほら、起きろ」
オレの肩に顔をうずめたまま、そのまま再び寝そうになったゆめの肩を軽く揺らすと、ゆめがうなった。
「三兄の意地悪〜。キライ〜」
『だいっキライ!』
頭がガンガンする。
急に頭の痛みが増した気がして、オレはこめかみをおさえた。
「三兄、頭痛いの?」
ゆめが心配そうにオレを見上げた。自分の方がよっぽどしんどいだろうに。
でも、自分のことよりもオレのことを心配してくれてるゆめの、その顔をオレは見ることができない。
あれは夢だ。
幼いゆめの声を、オレは頭の中から追い払おうとする。
あの声は、今のゆめじゃない。
でも、昔、言われたんだ。覚えている。
でっかい目にいっぱい涙をためて、オレを精一杯にらみつけて、ゆめがオレに言った。
『だいっキライ!』
オレがゆめを嫌ったことは一度もない。
ゆめがオレを嫌っていたのは知ってる。
なんてことはない。
甘やかしてくれてなんでも言うことを聞いてくれる兄貴どもと、口やかましくてなんでも駄目というオレに対する差だ。
誰だって、自分を許してくれる相手に好意を寄せるだろう?
のぞみさん命名ゆめの『スキスキ攻撃』にあっている一臣と二葉兄を眺めながら、面白くない気分を味わったことは、一度や二度じゃない。本当は、片思いだったのはオレの方なんじゃないのか、といまさらながら思う。
「三哉兄ちゃん」
気づかないうちに、オレは目を閉じていたらしい。多分、眉間にしわを寄せたりもしていたんだろう。
目を開けると、ゆめが不安そうにオレを見ていた。
体を起こして、ぺたんとベッドの上に座っているゆめを見て、頭の痛みはいや増す。
その姿が、幼いゆめの姿と重なる。
オレを嫌いだと言った、小学生の頃のゆめと。
「なあ、ゆめ」
ゆめがなあにと答えた。
オレは、すっと体を離す。
「オレが嫌いか?」
ゆめが息を呑んだ。
「キライなわけないよ。違うよ。言ってみただけだよ」
ゆめが首を横に振って言う。
判っている。
さっきゆめが言った言葉は、本気じゃない。ゆめの言う通り言ってみただけ、つい口をついて出ただけ、冗談を言っただけ、そうなんだってことは判っている。
でも昔、確かにゆめはオレのことが嫌いだった。
だから――どうしてゆめは、オレのことを好きになったんだろう。