目を合わせる
うちのお姫さんの機嫌はころころ変わる。
雨が降ってはため息を吐き、花が咲いては喜んで叫び、ドラマを観ては涙を流し、忙しいったらない。いい加減15年も付き合っていると、その表情で、おおよその見当がつくというものだ。
「それで、一体なにを言われたんだ?」
学校から帰ってきて制服から着替えもせずに、ずっとソファの背の後ろで、ゆめは膝を抱えている。眉を寄せて眼を三角にして口を一文字に閉じて、むくれているのだ。
これは、なにか気に入らないことをされたか、言われたかのどちらかだ。
"嫌なこと"ではないところがミソだ。
納得いかないのに言い返せなかったことであったり、図星をつかれて悔しかったことであったり――そう、昔、オレによく見せていた顔だ。
ゆめにベタベタに甘い兄貴らと違って、オレはとかく厳しく接していた自覚はある。まあ、兄貴らが甘かったから、尚更ではあったのだけども。
ゆめをちらりと見、その態度に変わりがないのを確認して、オレは諦めた。
そろそろ夕飯の支度をするか。
ソファから体を起こしながら、オレは手元のリモコンで夕方のニュース番組を映すテレビを消した。
と、テーブルの上の携帯電話が、メールの着信を知らせた。
携帯電話を開いて、メールを確認する。
思わず振り向いた。
ソファの背から身を乗り出して、コラ、とゆめの頭を小突く。ゆめはうつむいたまま、ソファの背にそってオレから少し離れる。一体なんなんだ。
ゆめが、ぷちぷちと手元の携帯電話をいじる。そして再び、オレの携帯電話にメールの着信。
『目も合わせちゃダメ』
ため息をついて、オレはソファに座りなおした。
話をしても駄目、目を合わせても駄目。一体なんのゲームだというんだ。
仕方なし、オレもメールで返す。
『なんで』
背中で、ゆめの携帯電話の着信音がしたと同時に途切れる。即座に返事が返ってくる。
『なんででも!』
付き合わされる方の身にもなれ。
ゆめは、無意味にこういったゲームを始める方じゃない。そういう手段で誰かの気持ちを試すようなことはしない。理由があるハズだ。そうすると、やっぱり誰かになにかを言われたからなんじゃないか、と思う。顔がそう言ってる。"納得いかない"って。
何なんだろうなあ。
ソファにずるずると背をあずけて、オレは考える。
納得いかないってことは、このメールのやりとりが、その解決策なんだ。なにかを証明する手立てなのかもしれない。
押し問答のようなメールが続く。だって、理由が判らなきゃ、オレには解決の手助けをしてやることもできない。
携帯電話を操作しながら、このまどろっこしさに、ふと既視感を覚えた。
ああ、そうだ。
オレが高校の修学旅行に行っているときだ。
ゆめが、ことあるごとにメールを送ってきたんだった。
意味があるようでないようなメールの内容に、イラついた記憶がある。
背中合わせでこんなに近くにいるのに、お互いの伝達手段は携帯電話のメール。まるで遠距離恋愛みたいだな、と思って、思わず笑った。
すぐにメールの着信音がして、
『なに笑ってるのよ』
と、ゆめが怒った。
修学旅行のとき、言葉を連ねて連ねて、結局ゆめは何と送ってきたのだったか。
オレは少し考えて、メールを送った。
反応を見ようとオレがソファの背もたれから体を乗り出すのと、ゆめが勢いよく振り向くのが同時だった。
「やっとこっち見たな」
オレが笑うと、ゆめは顔を真っ赤に染めて、再びうつむいた。オレは身を乗り出して、ゆめが操作しようとしていた携帯電話を取り上げる。あっ、と小さな声を上げて、再びゆめの目がこちらを向いた。ゆめの携帯電話を、ゆめの手の届かないテーブルの上に避難させてから、もう一度ゆめを見る。その目がオレをにらみつけていた。
オレは笑って、その頬に手をやった。
「ゆめ」
うながされて、ゆめが体を起こす。抱えていた膝を立てて丸めていた背中を伸ばして、ようやく同じ位置で目を合わせる。ゆめの両頬を手のひらで包んで、じっとその目を覗いていると、険のある目つきをしていたゆめのまなじりが下がっていく。強張っていた頬から力が抜けて、横一文字にひき結ばれていた口唇が息を吐き出した。
「ほらな」
オレが得意げに笑うと、ゆめはうなって、
「ずるい」
と言った。
『目を見て話がしたい』
ゆめが言ったんだろう?
修学旅行中、夜中まで続いたゆめからのメールを見て、オレはトイレにこもって思わず電話をかけた。
『……さみしい』
心細そうに、電話の向こうのゆめは言った。
もう明日の夜には家に帰るのだというのに、さっきまでうっとおしいと感じていたメールだったというのに、途端に胸が苦しくなって、オレはうまく言葉を返せなかった。
あのときは認めたくなかったけれど、今なら言える。
「オレも寂しいよ」
ゆめがタックルするように抱きついてきて、オレはゆめを抱えたままソファに倒れこんだ。
*
「あたしだけスキなんじゃないもん」
夕飯の後、台所で食器を拭きながらゆめがもそもそと言った。再びあのむくれ顔だ。
オレは食器を洗う手を止めて、手を拭いてから、ゆめの頭をガシガシと乱暴になでた。
「そうだよ。ちゃんと言い返しとけよ」
びっくりしたように顔を上げたゆめに、オレは口の片端をあげて笑ってみせた。
さっきのゆめの言葉で、おおよそ何があったのか察しがつく。大方、オレと付き合っていることを疑われたのだろう。高校生でこれだけ年の離れた大学生の恋人を持ってるなんて、確かに珍しいだろうからな。
ゆめの目を見る。
別に、なんでもお見通しなわけじゃないけど、それでも、これぐらいは。
「オレの『彼女』はゆめだよ」
ゆめが、恥ずかしそうに、それでも目をそらさず嬉しそうに笑った。
end