ほんとうのスキ
「ただいまー、お邪魔します」
玄関を開けると同時に言う。
変な挨拶の仕方だけど、これがあたしの普通。ちっちゃい頃から早坂のおうちにお世話になって、自分の家に帰るよりこっちに帰る方が多いぐらいで、でも余所のおうちなんだから『お邪魔します』なのよと早坂のおばさんに躾けられた。
靴をきちんとそろえてから、台所へ向かう。脱ぎ散らかしてあると、叱られるからね。
返事がなかったから多分ここ、水を使ってると玄関やリビングの声は聞こえないんだ、って三哉兄ちゃんがいつもおじさんに怒ってるから、多分今もそうなんだろう。
とたとたとフローリングの床を歩いて、扉を開けて、もう一度ただいま、と言う。予想通り洗い物をしていた三哉兄ちゃんが、物凄くびっくりしたように振り返って、ああおかえり、とため息を吐きながら言った。
なあに、あたしなんか悪いことした?
むう、と口をへの字に曲げると、
「いや、全然気づかなかったから」
ちゃんと玄関でも言いました!
三兄、なんでかあたしのこと忍者だの隠密だの言うよね。別に気配なんか消してないのに。
隣りに立って、三兄を見上げる。相変わらずキレイな顔。
「三兄」
「んー?」
「三哉兄ちゃん、スキ」
はいはい、と気のないいつもの返事。
思わず、本当なのに、とつぶやいてしまった。
うわ。
慌てて口を自分の手でふさいだところで、言ってしまった言葉は取り消せない。聞こえてなかったらいいな、と思ったけど、そんな希望はあっさり消えて、
「どうした?」
三兄が洗い物の手を止めて、こちらを向いた。
視線を合わせられなくて、うつむく。
「ゆめ、オレは嘘だって思ってないし、疑ってないよ」
ごめん、適当な返事して悪かった、と三哉兄ちゃんが謝ってしまう。
違うの。
謝って欲しくて言ったんじゃないし、本当は口にだして言いたかったわけじゃなかった。
違うの。
「三哉兄ちゃん、あ――」
顔を上げて三兄の目を見て――心が竦む。
あたしのこと、スキ?
それとも、キライ?
キライ。
そんなわけない。そうじゃない。あたしは知ってる。三兄はあたしのことがスキだ。それは間違いなくそうだ。そんなことを思うのは、コドモみたいだ。ちっちゃい子がお母さんに言うみたいだ――おかーさんはあたしのことなんかキライなんでしょ。
だから、それは疑わない。
今までずっと信じてなかったんだから、疑わないの。三兄はあたしのことがキライなんだから、あたしだってダイキライ、そう勝手に思い込んでたんだから、もう疑わない。だって三兄は、本当にずうっとあたしのことがスキだったんだから。
でも、そのスキは、『何』?
あたしは三哉兄ちゃんにお母さんになって欲しいんじゃない。
そりゃ三兄はテレビに出てる女優やアイドルなんかよりもよっぽどキレイな人だけど、そうじゃなくて、親とか兄とか、そういう生まれたときから当たり前の関係のヒトになって欲しいんじゃない。
春に、キスをしてもらった。そうして、カノジョにしてもらった。
でもじゃあ、そうしたらもう、三兄のあたしに対する『スキ』は、『カノジョに対するスキ』になったのかな。
判んない。
だって、毎日一緒にいる。
朝起きて、一緒にご飯を食べて、お互い学校へ行って、帰ってきて一緒にご飯を食べて、そういう毎日の生活が変わらなくて、三哉兄ちゃんの態度だってそうだって判るほど変わらなくて、あたしの三兄に対するスキな気持ちだって変わらなくて、だから――本当なのに、って思った。
あたしが、三哉兄ちゃんのことをスキなのは本当なのに。
あたしが思ってる『スキ』は、お母さんやお父さんや、一兄や二葉兄に対する『スキ』とは絶対的に違って、三兄だけが特別なのに。
そのあたしの気持ちが本当の本当には伝わっていないから、だから、三兄の本当の気持ちも判んないんじゃないか、って、思ってしまう。
疑ってるのは、三兄の気持ちじゃないよ。
あたしの気持ちがちゃんと伝わってるかどうか、だよ。
だから、それを確かめたくて、あたしのことスキ? なんて訊きたくなる。その『スキ』があたしの欲しい『スキ』なのか確認したくてたまらなくなる。
イヤな子だ、あたし。
うっとおしいよ、って自分でも思う。
押し付けてばっかりいる。ずっと、昔から、今も。
だから、
「あたし」
ぎゅう、と握った手に力を込めて、
「三哉兄ちゃんがスキ」
三兄が、ほっとしたように、うん、と笑った。頭も撫でてくれて、だからあたしも笑った。
うん、って言ってくれる。あたしの気持ちが嬉しいみたいに笑ってくれる。
だから、これでいいの。
気持ちを疑うような言葉は言わないの。きっといつか、勝手にそんな気持ちは消えてくれるよ。
本当の本当に消えるわけなんかない。
くすぶって閉じ込めた気持ちは、だからどんどん言い出せなくなるんだ。
end