お嫁においで
春だ。
今年の桜は、いつもよりちょっと早いなんて言われていたのに、急に寒くなったせいで結局、開花まで10日ぐらいずれこんでしまった。
おかげで、あたしの誕生日は、細川さんちのお堂を使わせてもらうただの宴会になってしまった。
別につまんないとかそんなことはないけど、ただちょっと残念だなあ、と思った。
だって、明日にはお母さんもお父さんも帰っちゃう。満開の桜は今年は見れないんだよ。
ため息をつくと、洗い物の手を止めて、三哉兄ちゃんが頭を撫でてくれた。
なんだかちょっと嬉しい。
前はこども扱いして! って思ってたけど、今はそんなことない。三兄がそんなつもりじゃないってこと判ってるからかな。
思って食器を拭くのを続けていると、
「三哉、コーヒーちょうだい」
ひょっこり、お母さんが台所に顔を出した。はいはい、と三兄が軽く返事をして、ケトルをとった。あたしがそれを受けてマグカップを四つ出す。三兄と、あたしと、お母さんと、早坂のおじさんの分。
「あ、こーへーにも」
荷物片付け終わってこっち来てるから、って言い置いて、お母さんがリビングに戻っていった。じゃあ五つだなー、ともうひとつ食器棚からマグを取っていると、三哉兄ちゃんがケトルを火にかけながら、
「ああ、航平さんもいるなら丁度いいか」
ってつぶやいたのが聞こえた。
「丁度いい? 何が?」
聞き返したけど、笑って、また頭を撫でられただけだった。
*
コーヒーを入れたマグカップを五つ、リビングのローテーブルに並べる。長年、早坂家のリビングを守ってきた冬はこたつに変身するちゃぶ台は、お正月にご臨終された。麻奈ちゃんの強いローキックで足が折れちゃったのだ。幼稚園児の足は強い。というか、容赦がない。
ソファにお父さんとお母さん、テレビの前に早坂のおじさん、その向かい、ローテーブルを挟んであたしと三哉兄ちゃんが座ってる。
「今更とは思うんだけど」
カフェオレにした自分のマグを引き寄せて、三兄を見る。ちら、と三兄もあたしを見た。なに? 首を傾げて聞いたつもりだったんだけど、答えず、三兄は視線をお母さんたちに戻して、
「ゆめと、結婚前提に付き合ってます」
「えええええ?!」
真っ先に叫んだのは、あたしだ!
「ええ? ってなんだよ」
三兄はこぼしそうなほど傾けてしまっていたマグをあたしの手から取って、テーブルに置いた。
あたしはそれどころじゃない。
結婚前提なんて聞いてない! 結婚けっこんケッコンって……結婚?!
頭がくらくらする。
「前に言っただろ。オレはそんなに待てないよ、って」
言った。言われた。
我ながらよく覚えてるなって思うけど、一年前の雛祭りの日だ。お雛さまを片付けるのがもったいない、ってうじうじしてたあたしに、三兄は言った。
――多分、オレそんなに待てないよ。
「ちょっとー、せめて二人の間でちゃんと話詰めておきなさいよー」
お母さんがうんざりとぼやいた。早坂のおじさんはただ苦笑している。お父さんは三兄を凝視したその体勢のまま、ぴくりとも動かない。ほらこーへーいつまで固まってんのよ、とお母さんがお父さんを肘で小突く。
「い」
ようやく口だけが動いて、音を発した。
「い?」
三哉兄ちゃんが問い返す。
「今?」
「はい?」
声に出したのは三哉兄ちゃんだけだけど、あたしも、多分お母さんも心の中でその声にハモッた。だって同時にお父さんを見たもん。
お父さんは周りが見えてないようで、
「今、するのか……?」
三兄は苦笑して、
「いや、さすがに今すぐじゃあ」
「じゃあ、いつ?!」
お父さんの、稀に見ない必死の形相に、あたしもお母さんも呆気に取られてる。三兄だけ飄々と笑って、あたしを見た。
「ゆめ、いつがいい?」
「え?!」
こっちに話振るの?!
「何歳までには結婚したい、とか」
そんな急に言われても判んないよ!
「ほら、女の子ってアレだろ、何歳に結婚、何歳に子供を産んで――って人生設計組んでるもんなんだろ?」
「な、ないよ!」
そんなの中学生ぐらいで卒業するもんだよ! 多分! しかも、組んだこと、
「あたしは……ない」
困ってうつむいてしまったあたしに、三哉兄ちゃんは
「じゃあ、一年後に籍入れるのと、五年後に籍入れるんだったら、どっちがいい?」
あ、でも院行くとしたら七年後か、とか言ってる。まだあたし大学行くとも行かないとも決めてないし、
「なんでそんな具体的?!」
うつむいてられなくて、顔を上げると、
「いい加減、親の前であてつけるの止めてよー」
お母さんが嫌そうに、コーヒーを飲みながら、やりとりを遮ってきた。
「のぞみは反対じゃないのか?!」
「反対したってしょーがないじゃない」
お父さんはお母さんに必死に取りすがろうとするけど、しっしっ、と手を振って追いやられてしまう。
「アレでしょ、三哉はとりあえずゆめを自分のものにしちゃいたいんでしょ」
自分の、もの。
その言葉はなんだかすごく恥ずかしい。こそばゆい。
そういう意味?
三哉兄ちゃんの顔を見ると、特に異論はないようだった。
だから、自分から言うのはなんだか恥ずかしいけど、
「あ、あたし、三兄の、だよ?」
「うん、そう思ってくれてんのは知ってるけど」
三兄があたしの頭を撫でる。
「それだけじゃなくて」
「対外的に。三哉とゆめのふたりの間の決め事じゃなくて、外から見ても間違いなくそうだって――オレのもんだー! ってしときたいってことでしょ」
この独占欲ってそーたの血? とお母さんが早坂のおじさんを睨む。おじさんはただ肩を竦めた。
「反対なんかできるわけないじゃない。早かろうが遅かろうが、どうせそうなるんだし。結婚してても大学なんか行けるしね。仕事したけりゃ働ける。子供作りたきゃ作れば。あ、これはちゃんと自分らで金稼ぐようになってからね」
一気にまくし立てるように言うだけ言ってお母さんは満足したのか、ソファに背を預けて、コーヒーを飲んだ。もう言うことはない、って感じ。
呆気に取られて見ていると、
「ゆめちゃん」
おじさんに呼ばれた。
「は、はいっ」
びっくりしてどもってしまった。おじさんはいつもの柔和な笑顔で、
「難しく考えなくていいよ。はい、か、いいえ、どっちかだから」
だから難しいんじゃないですか!
いいえ、なんて絶対ない。絶対にないけど、じゃあ、はい、かって言うと今すぐうなずけるほど納得もできていなくて、
あ、そうか。
隣りの三兄の肘辺りの服を、ちょっとひっぱる。
「あの、三兄、ちょっと」
あたしが立ち上がると、三兄も立ち上がってくれた。察してくれたみたいで、ちょっと席外す、とおじさんに言った。
リビングを出るあたしの背に、結果判ったら教えてー、なんてお母さんはあくまでマイペースだ。
*
三哉兄ちゃんの部屋に入って、
「三兄、ちょっと座って」
あたしがフローリングにじかに座ると、三兄は椅子の上のクッションを引っ張り下ろして、あたしに渡してくれる。なのに、自分はそのままあぐらをかいて座っちゃうんだ。うう、こういうとこ相変わらずずるい。
あたしが眉間に力を入れていたからか、
「ゆめ、怒ってるのか?」
そう訊ねられた。
慌てて首を横に振る。
怒ってるとか怒ってないとかそういうことじゃなくて、混乱してる。
ええと、だから、その、
「……本気?」
「何が」
「……結婚」
うん、と三兄は軽くうなずいて、
「普通に本気」
答えた。
ええと、
「……何で?」
「何が?」
「……結婚」
ああ、同じやりとりを繰り返してるよ。もう全然頭が動かない。
んー、と三兄は首へ手をやって、かしげた。
「結婚したら家に入って欲しいとか、働いて欲しいとか、親と同居して欲しいとか、早く子供が欲しいとか、そういうの、オレ全然ないから」
というかそういうことでもなくて、と三兄も、珍しく言いあぐねているようで、視線が少し泳ぐ。
ちょっとの間のあと、あたしを真っ直ぐに見て、
「結婚って、ゆめは何でするんだと思う?」
あたしは働かない頭を一生懸命動かして、
「……一緒にいたいから?」
ものすごく一般的な回答を口にした。三兄は、得たりというようにうなずく。
「そう。恋人同士よりも、一緒にいよう、っていう結びつきが強くなるだろ」
だって、そりゃ結婚だし。
自分たちだけで決めたことじゃなくて、紙に書いてお役所に出して、親にもちゃんと伝えて、友達にも親戚にも皆に伝えて。
そういうことだって、と三兄があたしの手を取る。
「自分へも、世界へも、宣言するんだ」
目を、見る。
「親よりも、きょうだいよりも、友達よりも、好きな人がいる、一番の味方になりたい人がいる」
そらせるはずなんてない。キレイな、ダイスキな三哉兄ちゃんが、あたしを見てる。その口唇が、
「オレの一番はゆめだって」
そういうことがしたい、と三哉兄ちゃんが言った。
言葉が出ない、ってこういうこと言うんだ。三兄に取られた手を、あたしはぎゅうっと握り締める。その上から、三兄が守るように包んでくれる。
「結婚式とか家とかは、オレがちゃんと就職して金貯めてからになるし、じゃあ籍入れるのもそれから、ってゆめが言うなら待つけど」
そもそも今日は親に一応言っておこうかな、と思っただけだったし、
「ごめんな」
いつの間にかうつむかせていたあたしの頭に、ぽん、と三兄が手を載せた。
ごめんなんて、違う。謝られるようなこと、されてない。そりゃあびっくりしたけど、イヤなことなんか一個もない。三兄にされてイヤなことなんか、ひとつだってないんだよ。
だから、これだけは間違いないから、言わなきゃ。
思って顔をあげると、当たり前だけど三哉兄ちゃんと目が合った。
無理!
なんでそんな目で見てるの!
すごく優しい、見るだけであたしのことスキだって、そういう目で見られて、心が苦しい。死ぬほど嬉しくて、すごく苦しい。
だから、反射みたいな速度でもう一度顔を下げた。
じゃあせめて言葉だけでも、そう思って、どきどき言う心臓のせいで詰まりそうな喉から必死に声を出して、
「あ、あたしの一番も、三兄だよ」
顔を見てなんて絶対言えなくて、結局ごまかすように三兄の腕に抱きついて顔を埋めてしまった。
三兄が苦笑してる。あたしの頭を抱えるようにして抱き締めてくれた。
「うん、知ってる。ありがとう」
優しくそう答えてくれて、ようやくあたしの体から力が抜ける。ぎゅう、と三兄の腕にちゃんと抱きつく。
「あ、あのね、結婚とかは、まだよく判んない」
「うん」
「したくないとかじゃないの。そういうのもよく判んないの」
「うん」
「三哉兄ちゃんのカノジョにしてもらって、それが嬉しくて、それでいっぱいいっぱいだったの」
「うん」
そりゃあ結婚とか考えたことないわけじゃないけど、お雛さまのときに言われた後なんてそればっかり考えてたけど、全然現実味がなかった。
だってあたし、まだ高校二年生だし。来月から三年生。まだもう一年高校生なんだ。
だから、
そう、だから、
今度は逃げずに、恥ずかしくてもちゃんと三兄の目を見て、
「あのね、もうちょっと、ちゃんと判るようになったら、今度はあたしから言うから」
三兄もあたしの目を見てくれて、
「三哉兄ちゃんのお嫁さんにしてください、って」
伝えた。
嬉しそうに、幸せそうに三哉兄ちゃんが笑んで、
「うん。お嫁においで」
そう言って優しく抱き締めてくれた。
*
その後、三哉兄ちゃんが答えた、将来的には、というのが無難すぎてつまんない、とお母さんが暴れていたけれど、お父さんには抱きつかれた。三兄より一兄よりおっきなお父さんに抱きすくめられると苦しいんだけど、お母さんが、
「ゆめが本当に嫁にいくことになったら、もっとひどいわよー」
とけらけら笑うので、なんだかお父さんが可哀相になって頑張って耐えることにした。苦しかったけどね。
end