だいめいわく! 3
ただいま、と言った声は、台所にいた三哉には届かなかったらしい。
台所の戸口に寄りかかって腕を組み、僕はぼんやりと、夕飯を作っている三哉の背中を眺めている。僕の気配にはちっとも気付く様子がなく、三哉はもくもくと手を動かしている。匂いから、今日は豆ご飯らしい。それで、季節の白和えと、あれは菜の花かな。春だねえ。
春だ。
毎年恒例の花見宴会は先月終わって、航平とゆめちゃんにとっては多分爆弾発言だった、三哉の『結婚前提お付き合い』宣言があって、
そう、それだよ。
思わず、らしくなくため息をついた。
と、三哉がびくっと肩を揺らして振り向いた。
言葉もなく、といった感じで僕を見ている三哉に、二回目のただいまを言う。おかえり、と律儀に返してくれながら、もっと早く声かけろよびっくりした、と三哉はぶつぶつ文句を言いながら、作業に戻る。
「ゆめちゃんは?」
「部活」
「そう」
今日は定時であがってきたから、ゆめちゃんよりも早く家に着けたようだ。良かった良かった。最近は気を利かせて遅く帰ってみたり出張を増やしてみたりしていたから、こんなに早い時間に家にいるのは新鮮だ。
「三哉」
背中に呼びかけると、なに、と適当な返事がかえる。
「結婚の話、ゆめちゃんと決着つけてないの?」
三哉が嫌そうに振り向いた。
「いやだから、別にすぐ結婚するわけじゃないって」
「その割には、随分ゆめちゃんは悩んでるみたいだよ。僕のとこまで話が聞こえてくるぐらいに」
三哉がぎょっとした顔をする。じっと睨みつけると、
「あー、オレの所為か」
バツが悪そうに頭を掻いた。
まったく、それ以外に何があるの。
ああ柄じゃない。本当はこういうの口出ししたくないんだよね。結婚資金を貸せ、っていうならまた話は別だけど、結婚するかどうかなんて、当人同士だけの問題でいいと思ってる。親や親戚が口を出してあーだこーだ言うのって、相当馬鹿らしい。継ぐモノもないのに、『家』とか『苗字』とかさ。
そもそも相手のことを知らないならともかく、三哉とゆめちゃん、どう僕が反対できる理由を捏造できるんだっていう二人の話だ。精々言えて、高校卒業後の方が面倒ないんじゃない? ぐらいか。そんなこと、僕に言われなくても三哉なら判ってる。
ああもう、本当放っておきたい。
決まったことを教えてくれるので充分。
でも、さすがにみゃーこちゃんを泣かせたと訊いたら、苦言を呈さないわけにもいかない。成人しているとはいえ、三哉は僕の息子だし、航平ものぞみも日本にいない間は、ゆめちゃんの保護者は僕になっている。監督責任っていうのがあるだろう。いつもは放棄気味だけど。
もう一度、ため息をつく。
まさかわざわざ一臣から電話がくるとは思わなかった。みゃーこちゃんを泣かした、ってゆめちゃんは一体何を言ったんだろう。興味はあったけど、声の硬い一臣に訊くのはさすがにはばかられた。
「判った。話しとく」
三哉が神妙な顔でうなずいて、みゃーこさん? と訊いてくる。一臣、と返すと、げっ、という顔をした。それでも謝っておきなさい。君にとってはうっとおしい兄貴でも、その奥さんに迷惑をかけたのは本当なんだから。
ああ、ため息ばっかり出そうになるよ。
出そうになったため息を飲み込んで三哉を見ると、僕の顔に何か書いてあったのか、ごめん、と謝られてしまった。
まあ、いい機会かな。
「三哉はさ」
長そうな話になることに気付いてか、三哉が鍋の火を止める。それを見て、肩を竦めた。頭の悪い子じゃないんだ。それは知ってる。陽子さんの子だし、当然だと思うけど、だから、
「なんで急に結婚とか言い出したの」
かなり唐突だったよね、言い出されてああそうと納得はしたけど、驚いたのは驚いた。
二人の問題だし、決定事項だけ後で教えてもらえればそれで何の文句はないんだけど、この際だ。理由を教えてよ。
「まさか本当に所有欲じゃないでしょ。君の性格からすると」
――対外的に。三哉とゆめのふたりの間の決め事じゃなくて、外から見ても間違いなくそうだって――オレのもんだー! ってしときたいってことでしょ。
そうのぞみは言って、三哉は否定しなかったけど、本当にそうだとは僕は思ってないんだよね。
と、オレの性格? と三哉が苦笑した。あげくあっけらかんと、
「のぞみさんが言った通りだよ。間違いなく所有欲」
すがすがしく笑いながら言う。
これは本当に三哉か、ってぐらい、爽やかに笑ったので、呆気にとられる。
「ゆめはオレのもんだ、って、そう言いたいだけ」
僕が何も言えないのをどう勘違いしたのか、理由として足りない? と三哉が肩を竦める。そうだな、と少し考えて、
「結婚したら、勝手に離れるのが社会的に罪になる。それだけゆめをオレに縛り付けておき易いから、……とか」
ぎょっとした。
多分、さっき三哉がぎょっとした以上に、ぎょっとしたよ、僕は。
うげー。
思わずしゃがみこんで頭を抱える。
親父? と暢気に声をかけてくる三哉に腹立たしくなる。
これって何の罰ゲーム?
熱くなるほど顔を赤くすることなんて、もう十年以上ない。なんでこんな年になってまで、こんなバツが悪い思いをさせられなきゃならないんだ。
顔をあげる。傍へ来て僕を覗き込んでいる三哉の顔を見返す。不思議そうな顔して、腹が立つったらない。
「……君、実は顔だけじゃないんだね、僕に似てるの」
一瞬理解できない、って顔をした後、まさか、と三哉がつぶやいた。
「そのまさかだよ!」
思わず叫ぶ。
まるで自分の若い頃を見せられているみたいだ。
何をしたって陽子さんが離れていかないか試して試して、それでいざとなったら絶対に離したくなくて、無理矢理繋ぎとめた、それを思い出さされる。下手したら年齢も同じぐらいじゃないか?
三哉の性格は陽子さんに似てるそっくり、と思い込んでいた。拓司くんもそう言っていたし。だからてっきり三哉がゆめちゃんと結婚なんて言い出したのは、責任感あたりだと思っていた。家族ぐるみで付き合いのあるゆめちゃんという彼女と、もし別れるなんてことになったら、気まずいのは本人達だけじゃない。そんなことにはならないですよ、っていうパフォーマンス。
いやそりゃあ、ゆめちゃんのこと本当に好きだろうとは思うよ。それでも、陽子さんなら、自分の感情や欲よりも先に周囲へ配慮しちゃうからさ、そういう人だったからさ、もうてっきり――
今日一番の盛大なため息が出た。
「やってらんない」
言ってすっくと立ち上がる。
「もう好きにやって」
三哉がきょとんとする。何その間抜け面。腹が立つ。自分と同じ顔だっていうのも腹が立つ。だからって中身まで似なくていいじゃないか!
「親父何怒ってんの」
怒ってる? ああ怒ってるよ! 何が楽しくて恥ずかしい記憶を目の前に突きつけられなきゃなんないのか! しかもそんなこと自分の子に説明できるか!
「着替えてくる」
低い声で言うと、はあどうぞ、と怖気づいた声で三哉に応じられた。
台所から廊下へ出る。と、
「ただいま、おじゃまします」
玄関からゆめちゃんの声がした。おかえり、と台所から三哉の声が返る。思わず足早に玄関まで出て、
「ゆめちゃん」
靴を脱いで立ち上がったところだったゆめちゃんの肩を掴んで、
「三哉は僕に似てすごく最低な男だよ。考え直すなら今のうちだからね!」
ゆめちゃんが、驚いて目を丸くする。親父! と三哉の怒声が飛ぶが、知ったことか。
言いたいことは言った。後のことはおかまいなしに、僕は踵を返して自分の部屋へと引っ込んだ。
精々慌てるといい。
どうせきっと三哉ならうまくやる。
今だけじゃなくて、これからも、きっとゆめちゃんと結婚しても。
その予想できる事実にさえ腹が立つんだ。
end