最初の告白・続
「……は?」
自分の耳を疑った。疑うほかなかった。
今、なんて言った?
ゆめは、なんて言った?
これは夢?
けれど、思わず引っ込めた手には、撫でたゆめの髪の柔らかさや温かさが残っている。
夢じゃない。でも――ゆめはなんて言った?
スキ。
そう聞こえた。その言葉だけが聞こえた。オレは前後の文を聞き落としたんだろうか。
ゆめは涙が止められないようで、うー、とうなりながらぼろぼろと泣き続けている。
それに気付いて慌てて上体を起こして、そこで初めて肩に毛布が掛かっていることに気付く。ゆめが掛けてくれたんだろう。一体いつからここにいるんだ。
ゆめは今日、親父か帰ってくるまで待ってから一緒に夕飯を食べて、その後風呂に入って、それから、今日は家に帰る、と言って帰っていった。確かそれが20時ぐらい。
今は、何時だ。
はめたままの左手の腕時計を確認すると、日付が変わったところだった。
一体どうしたんだ。
ともかくも、目の前でゆめが泣いているのは夢ではない。
オレは椅子からおりて膝をついて、ぺたんと床に座り込んで泣いているゆめの頭を撫でてやる。机の心許ない灯りでも、ゆめが随分盛大に泣いているのが判る。
「どうした? なんで泣いてるんだ」
ゆめはぐいぐいと手で自分の頬をぬぐいながら、つっかえつっかえ言った。
「三哉兄ちゃん、あたしが言ったの、聞こえなかった?」
いや、ええと、
「ちゃんと聞き取れなかった」
と、思う。
多分。
自信がない。
聞こえた言葉に、自信がない。だって、ゆめが言うはずのない言葉だ。一体オレはどんな願望を持って、幻聴として聞いたというのか。
ゆめが、涙で辛くなった息を、何度か深呼吸して整える。何故か、ぎくり、とした。ゆめの頭から手をおろして、ゆめを見た。ゆめもオレの顔を真っ直ぐに見て、言った。
「スキ」
幻聴だ。
「……は?」
反射で思って、聞き返してしまった。
だから、とゆめの顔がみるみる赤くなっていく。
「スキって言ったの。三兄がスキなの!」
「誰が」
「あたしが!」
「……は?」
意味がうまく理解できない。
固まっていると、ゆめに勢いよく抱きつかれて、うわ、と背中から床に倒れこむ。なんとか頭をうつことだけは回避したけれど、肘があたって椅子が盛大な音を立てて倒れた。夜中だっていうのに、近所迷惑な。
オレの腰の上に馬乗りになったゆめが、上からオレを睨む。肩を上から押さえるようにつかまれて、顔をそらすなと言外に言われる。止まらない涙がぱたぱたとオレの頬に落ちる。
「あたしは、三哉兄ちゃんがスキなの!」
部屋の中は暗い。灯りは、机のスタンドだけ。
それでも、ゆめの目は見えた。
真っ直ぐに、嘘偽りなく、切実な願いを込めたその目が――幻聴だ、夢だ、とオレが逃げようとするのを防ぐ。
「何やってんの」
親父の声に、我に返った。
扉の傍のスイッチで、部屋の中の灯りがつく。闇に慣れた目に、蛍光灯はチカチカと痛い。
親父を見ると、今まで寝てました、という顔で、あくび混じりに、
「ヤるならヤるで、静かにやってよ。あと避妊もしっか」
言い終わる前に、ベッドから枕を取って投げつけてやった。顔面にクリーンヒット。そば殻入りの枕はさぞかし痛かろう。
「なんなんだ二人して、オレをからかってるのか?!」
混乱も極まって、半ばキレながら言うと、
「違うよ!」
ゆめが叫んだ。
「違うよ、本当に本気なの!」
オレの上に乗っかって、そんなすがるような目で見て、それで意味を取り違えろと言う方が無理だと思った。
「三哉兄ちゃんが、スキなの」
本当だよ、と苦しそうに目をぎゅっと閉じて、涙を零しながら言う。
嘘だ。
何かの間違いだ。
だって、お前今日――いやもう昨日か、オレにはなかっただろう?
息を吐いて、一度目を閉じて、
「――とにかく、降りろ」
冷静に聞こえるように、なんとか声を出した。
ゆめが、ごめんなさい、と小声で謝りながら、ようやくオレの上からどく。オレが体を起こすのを待って、親父が、んじゃおやすみ、と部屋から出て行く。
「ゆめ、明日も学校だろ。布団敷いてやるから」
オレも学校だ。もういい。はかどらない勉強はとりあえず止めて、オレも寝ることにする。
まったく散々な一日だ。
「それと、こんな夜中にひとりで出歩くな。隣りだからって、何があるか判らないだろ」
いつもの通り小言を言うと、珍しくゆめが、うん、と素直にうなずいた。
*
ふたりを追い出して、ひとりになって、ようやく机の上の紙袋に気付く。オレのじゃない。多分、ゆめが持ってきたものだ。
見覚えのある紙袋。
今日――もう昨日か、バレンタインに親父に、二葉兄に渡していたのと同じだ。ああ、今年はオレの分はないんだ、まあ嫌われてるから仕方ないよな、と思った。
チョコひとつ貰えないぐらいで、オレは判り易いぐらいへこんで、自分が情けなかった。
ゆめのことは好きだ。それはそうだ。もちろんそうだ。
ゆめが生まれたときから傍にいて、嫌われているのが判っていても、それでも世話を焼かずにはいられなくて、ガキのような態度をとったこともある。
それぐらいは、ゆめのことが好きだ。
でも、
――三哉兄ちゃんが、スキなの。
それに答えるような気持ちじゃない。多分妹に対するような気持ちなんだと、そう思う。妹がいないから、本当に合っているのか判らないけれど。
そもそも、ゆめの『スキ』だって、本当に恋愛感情なのか判ったもんじゃない。親父や兄貴たちに対する『スキ』と何が違うんだ。
何が、違う。
思考が止まる。
紙袋の中身を取り出して、オレはひとりでうろたえた。
違う。
親父と二葉兄に渡していたものと、違う。チョコはチョコのようだし、買ったメーカーも同じだけれど、違う。
いやいやいやいや!
二人と違うもの、っていうだけで、どうってことはないだろう! 数が揃わなかっただけかもしれないだろう!
往生際悪くそんなことを思いながら、ふと、紙袋の底にまだ何か入っていたことに気付いた。
メッセージカードだ。
開くのを、躊躇う。
心底、これを開いてはいけない、と思う。どうしてだかそんな気がする。
それでも、気になって仕方がない。ゆめがどんなことをオレに伝えたいと思って書いたのか。
そろり、と開いた。
『三哉兄ちゃんが、スキです』
見間違えようがない、ゆめの字で、少し震えた跡のある『スキ』の文字。
バカみたいに、じっと見入ってしまった。どれぐらいそのメッセージを見続けていたんだろう。
リビングの、レトロな壁時計がボーンボーンと二回時刻を鳴らした音で、我に返った。
すっかり指先が冷たくなっている。
ため息をついて、チョコもカードも一緒に紙袋に突っ込んで、机の上に元通り置く。
触れた持ち手がちょっと毛羽立っているのは、悩んだから、告白する勇気が出ずに躊躇ったからのように見える。そんな想像をした自分の思考のおめでたさに、心底情けなくなる。
だって、嫌いだっただろう? オレのことが、ゆめは嫌いだったんだろう?
ベッドに仰向けに寝転がって、手で目を覆う。
「わっかんねー……」
頭の中で甘く響く、ゆめに『スキ』と囁かれた言葉に、オレは一晩中、頭を悩ませた。
そうしてオレは、それから毎日繰り広げられる、ゆめのスキスキ攻撃に閉口することになるのだった。
end