かわいい女の子
振袖っていいなあ。
今、私の顔は、ものすごくだらしなくにやけている自信がある。
でも、それは仕方がない。
今日は成人式。
たくさんの女の子が思いっきり着飾る日。
いつもは、『私なんか』と伏せ目がちなあの子も、『どうせ』なんて言っちゃう開き直ってるあの子も、『当然でしょ』とばかりに着飾る日なのだ。
親も本人も張り切って朝から美容室を予約して、着付けして髪をセットしてもらって化粧もばっちりしてもらって。
いいな、いいな。
色とりどりの、着慣れない振袖姿で、動きにくい歩きにくいと言いながら、きゃっきゃとはしゃいでいる女の子たちが、この市民会館にはたくさんいる。
素敵な日だ。
見渡す限り振袖姿。
参加するほとんどの女の子が、そうだ。
そんな日は、他にない。一生に一度の眼福デー。
にやけないはずがない。
「上野、お前何やってんの」
聞き覚えのある声に呼ばれて、視線を向けた。そこに立っていたのは、赤のカラーシャツに黒のネクタイ、濃いグレーのスーツを着た早坂一臣クンだった。
学校外で会うのは、あのカフェ以外では初めてではないだろうか。
やあ、と手を上げてみる。次いで、松の内もとおに過ぎたけれど、あけましておめでとうなんて言ってみた。それからようやく、
「同じ区域だったんだね」
と、驚きを口にした。
早坂クンは、みたいだな、と肩を竦めた。
意外な偶然だ。
まあ、うちの市は存外広いから、そういうこともあるだろうけど。
早坂クンは、私の隣りにきて、私と同じように壁に背を預けてため息をついた。まあ、気持ちは判る。
ここは市民会館の大ホール。壇上では何か企画をやっているらしいけれど、誰も聞いていない。簡単なオードブルと飲み物が載ったテーブルを各々囲んで、思い出話や近況に花を咲かせている。
人が多い。密集している。
そういう場所はちょっと疲れるのだ。
かく言う私も、休憩しようと、人のあまりいない壁際にいたのだし。
「で、何やってんの、上野」
もう一度、早坂クンが言った。
思わず苦笑する。
答えなんて判ってるだろうに、何やってんの、とは愚問だね。
「女の子眺めてる」
えへへー、と頬を緩めて答えると、そうじゃなくて、と早坂クンが上から見下ろしてきて睨んだ。背が高いから威圧感があるんだよね。まあ、私がそこそこチビだっていうのもあるけど。
「何で成人式にパンツスーツだよ」
腕を組んで不満そうに言われ、思わず自分の胸元からつま先までをじっくり見てしまった。
「どこかおかしい?」
化粧もいつも通り、髪型もいつも通り、TPOはわきまえてるつもりでちゃんとスーツですが。
「おかしいだろ、成人式だぞ」
早坂クンはちょっとこちらに身を乗り出して、親指で自分の後ろの人の集まっているあたりを肩越しに指し、
「女は振袖だろう」
うん。女の子たちは振袖だね。大変かわいい。
「早坂クンだってスーツじゃない。羽織袴着たら良かったのに」
何人か羽織袴の男のがいる。大変目立っている。……色んな意味で。
「男はいいだろ」
早坂クンは、ちら、とそちらを見て眉を潜めた。
まあ、確かに早坂クンは背が高いし、羽織袴よりはスーツの方が似合うと思う。実際似合ってるしね。うん、かっこいいと思うよ。顔がいい人は、何着ても似合うけどさ。今度犬の着ぐるみでも着たらいいんじゃないかな。
言うと、物凄く不審気な顔をされた後、バカじゃねえの、と罵られた。
それにはただ笑って返す。
ただ、どうしてこう、成人式の男の子たちは、カラーシャツかなあ。悪くはないんだけど、不良っぽいと言うかヤンキーっぽいというか。うーん、どちらも死語だ。
そして、羽織袴はどう見ても組入りの鉄砲玉にしか見えない。極道映画の見すぎだろうか。
「上野だって女なんだから、振袖ぐらい着ろよ」
早坂クンが、半ば諦めたようなため息をついて、繰り返した。
うーん、話題をずらしたつもりだったんだけど。意外と早坂クンはしつこいし懲りないよねえ。
「だって、この方が動き易いんだもん」
本日の私の目的は、自分が成人式に出席することではないのだ。
はあ? と早坂クンが問い返したそのとき、
「みゃーこちゃーん」
呼ばれて、視線を向けた。
中学のときのクラスメイトだ。
可愛い緑地に大きな桃色の花の振袖を着ている。目を強調したお化粧も、うなじが見えるようにアップした髪のセットも、よく似合ってる。
うん。かわいいなあ。
思いながら、どうしたの、と訊くと、彼女は不安そうに両袖を上げて、
「着物何か変じゃない? 崩れちゃってる気がするの」
言われて、襟元から裾まで見る。
許容範囲だとは思うけど、着物着慣れてないと違和感て大きいよね。だから、安心させるために笑って言った。
「ちょっと直す? 準備室行こっか」
じゃあ、と早坂クンに手を振って、草履で足元の覚束ない彼女の手をひいて、大ホールを後にした。
*
準備室から出て、大ホールへ戻っていく彼女を見送って、一息。
かわいい彼女は、今日、好きな人が会場に来ているらしい。高校の同級生で、クラスは違ったんだけどお互い顔は知ってるはずだから、勇気を出して話しかけてみる、とのことだった。
かわいいなあ。いいなあ。
女の子はいい。とってもかわいい。
準備室は大ホール傍の、10畳ほどのたたみの部屋だ。振袖の女の子がたくさん来るから、市側が用意した女の子専用の更衣室みたいなもの。
準備室にも、着物を直してもらっている女の子が何人もいた。市が用意した着付けのできるおばさんたちが、女の子たちとおしゃべりしながら、慣れた手つきで直していっている。女の子たちは、どの子もちょっと恥ずかしそうにはにかみながらも、大人しくしていて、大変いい。
普段は活動的な子も、おしゃべりな子も、こういうときばかりは、大人しくなってしまうものだ。
いい。振袖いい。大好き。どうして成人式は一生に一度しかないのか、真剣に勿体無く思うぐらいは、とてもいい。
さあて、私もそろそろ戻るかな。
「おい」
準備室を出たところで呼び止められた。
誰かと思ったら、また早坂クンだ。
「今日はよく会うね」
「待ってたんだよ」
顔をしかめて言われて、思わずきょとんとする。
「私を? 何で?」
特に話すこともないでしょ。だって、学校行けば会えるよ。
早坂クンはますます不機嫌そうな顔をして、無理矢理私の手を掴んだ。見ると、さっきはつけてなかったどうにも見慣れた鞄が、腰についている。
「来い。そこ、座れ」
ぐいぐい引っ張られて、言われるがまま廊下に設置されてる平べったい椅子に座らされる。早坂クンが私の後ろで、椅子に膝をついて乗ってきた。
ふと、早坂クンが片手に持ってる花に気付いて、
「うわ、それ会場の備品じゃないの?」
「うるせえな。生花なんてどうせ今日一日しか保たねえよ」
花泥棒には罪がないんだろ、と適当なことを言った。
それ意味違うんじゃなかったっけ? と思ったけど、結局指摘せずに、おとなしくしてしまう。
だって、髪を触られたから。
何をされるのか、何で待っていたのかようやく判った。いや、気付いてはいたけど、だって早坂クンには関係ないでしょう。
私が成人式にスーツなのは、動き易くするため――女の子たちのお世話をするため。
せっかく、今日という晴れの日に、髪が崩れた着物が崩れた化粧が崩れた、と女の子が泣きべそをかくのなんて見てられない。にこにこ笑顔でいてくれるんなら、自分のことぐらいうっちゃって、女の子たちのお世話係をとりますよ、私は。
早坂クンには関係ないでしょう。私がどんな恰好で成人式に出ようが、関係ないことでしょう。
『上野だって女なんだから、振袖ぐらい着ろよ』
そんなこと言わなくてもいいじゃない。
ため息をつくと、
「怒ってんのか」
「別に」
そういうわけじゃないけど。
私だって別に、寝起きのぼさぼさ髪で来たわけじゃない。普段どおり、学校へ行くのと変わらないぐらいだ。
私の通っている学校は、美容師の専門学校だ。みんなおしゃれに気合を入れていて、先生もそれを推奨していて、もれなく私も自分の身なりは気にしている。
だから、ちゃんとセットはしてある。化粧だって、ナチュラル気味だけど、ばっちりだと思う。
なのに。
早坂クンが手早く私の髪型を変えていく。さすが、うちの学年で一番の技術を持っている、と噂されるだけあって、頭皮をひっぱられて痛いこともないし、手際もいい。
「少しは自分にも構え」
とん、と背中を押され、終わったことを知らされた。振り向くと、もう早坂クンはこちらを見ずに、道具類の入った鞄を腰から外しながら大ホールへ入っていくところで、私は声をかけれずに口唇を引き結んだ。
頭の中がぐるぐるする。動悸が激しい。顔がむーっとなっているのが判る。
これが一体どういう気持ちなのか判らない。
時間は多分十分もかかってない。
自分の髪型は一体どうなったんだろう。
でも、確かめるのもなんだか癪で、そのまま大ホールへと入る。自分の地元の子たちが集まっているところに戻ると、
「あれ? みゃーこちゃん、髪型違う?」
「あ、ほんとだ」
「お花挿してる。それ生花?」
「かわいいよー」
目ざとい彼女たちに口々に言われ、自分でやったの? と訊ねられて曖昧に笑った。
かわいいね、とかわいい彼女たちに言われて、嬉しいような悔しいような複雑な気分を味わう。
あれは魔法の手だ。
錯覚と言う魔法をかける手だ。
おそるおそる自分の髪に触れる。
かわいくなった自分、がやけに恥ずかしく感じた。
end