手を繋いで
一緒にお祭りに行きたい、と思った。
だから、誘った。
「何で?」
それでどうしてこういう答えが返ってくるのか判らない。
箸をくわえたまま、ムッとして向かいの席の三哉兄ちゃんを睨むと、コラ、と怒られた。三兄は、お行儀にうるさい。
「友達と行けばいいだろ」
おかわりのご飯をお茶碗に盛りながら、三兄が言う。
そういうことじゃない。一緒に行く相手が誰でもいいわけじゃない。
三哉兄ちゃんと一緒に行きたい、って言ってるのに。
「オレと行くより、その方が楽しいだろ」
三兄の顔をじっと見る。今日も相変わらずキレイな顔。キレイで、キレイなのに――心を見せてくれない顔。
悲しくなってうつむくと、そこに天からの言葉が。
「いいじゃない、一緒に行ってあげるぐらい。三哉も、何をそんなに意固地に嫌がってるんだい?」
結局、この早坂のおじさんの言葉が一番効いたらしい。翌日のお祭りの縁日に、三兄が一緒に行ってくれることになった。
*
訳もなく心がはしゃいで、のぼせていたんだと思う。
金魚の入った袋を片手に提げて、あたしは泣きたい気持ちを堪えていた。
盆踊りのやぐらの傍、ちょっとだけ人混みの薄い場所にあたしは立っていた。
三哉兄ちゃんとはぐれたのだ。
……違うな。わざと、離れたのだ。
三哉兄ちゃんは、きっと探してくれているだろう。それは判ってる。困らせてることも、ちゃんと判ってる。
それでもあの時は、ちょっとした好奇心だけで簡単に手を離してしまったのだ。
スキ、って気持ちは難しい。
どんなにあたしがそう思っても、三兄に伝わらなかったら、なんにもないのと一緒だ。
手を、見る。
ちっぽけな手。
甘やかしてくれるヒトとばかり繋いでいた手。あたしが繋いだ手の先にいるヒトは、必ず手を握り返してくれるのだと、思い込んでいた。
三哉兄ちゃんは、あたしのことがスキだ。
それに気づいたのは去年のことで、そして、あたしはまだ『あたしのスキ』を三哉兄ちゃんに伝えられていない。
判っているつもり。
三兄のあたしに対する『スキ』はきっと、妹みたいな家族みたいな、そういう『スキ』で、『あたしのスキ』とは違う。
違うからなのかな。だから伝わらないのかな。信じてもらえないのかな。
三哉兄ちゃんのせいじゃない。
判ってる。
三兄が信じてくれないのは当たり前だ。
あたしがずっと、三兄からの好意を信じられなかったように、三兄だって信じられないんだ。
判ってる。
これはあたしが今までに疎かにしてきたことに対するツケだ。
でも
「ねえ、一人?」
ハッと顔を上げた。知らない男のヒトがふたり、目の前に立っていた。
「違います」
ちゃんと声が出たのか判らない。声がかすれて、震えた。
傍に近づかれて、ツン、と臭いが漂って気づいた。このヒトたち、お酒を呑んでる。
「キミ、可愛いよね。高校生?」
「一人だとつまんないでしょ」
あたしはただ体を強張らせることしかできない。怖い。
「ねえ」
すっと手がのびて、手を掴まれた。
「一緒に行こうよ」
「……やっ」
イヤだ。違う。
繋ぎたいのは、この手じゃない。
今更気づいたって遅い。
引っ張られて、あたしはたたらを踏む。イヤなのに、その手を振りほどけない。怖くてうまく動けない、うまく声が出せない。
あたしが離したから。
三哉兄ちゃんの手を離したから、だから――
「触るな」
急に、あたりの喧騒が静かになった気がした。
息を切らして、すごく不機嫌そうな顔をして、そこに立ってあたしを睨んでいるキレイなヒトがいる。そのヒトをあたしはよく知っている。
三兄、とあたしは呆然とつぶやいた。
「え? あ、この子のお姉さん?」
「うわ、すごい美人だねー」
「姉じゃねえよ」
不機嫌そうに言い捨てて、三兄があたしの手を掴んでいる男のヒトを睨みあげる。
「離せ、って言ってるの、聞こえないのか」
男のヒトは、一瞬目を丸くして、そうしてにたにたと厭らしく笑った。馴れ馴れしく三兄の肩に手をかけて、
「女の子だけじゃつまんないでしょ。ねえ、俺らと一緒に――」
三兄の眉がひそめられた。途端男のヒトがひとり、うずくまった。思わず視線を下げると、うめきながら足の脛をおさえている。
三兄が相手の脛を蹴ったのだ。
「ゆめ!」
手を差し出される。
あたしが離してしまった手――繋ぎたいただひとつの手。
「おい、お前!」
もう一人のヒトが三兄の肩に触れようとしたから、あたしは咄嗟に金魚の袋を投げつけてしまう。
きっともう、あの金魚とは巡りあうことはできないだろう。
差し出された三哉兄ちゃんの手を握って、あたしたちは走り出した。
*
あたしが立ち止まるたび、面倒そうにするその姿さえ嬉しくて、あたしはすごくはしゃいでいた。
家族や友達とお祭りに行ったことはあった。一臣兄ちゃんと、二葉兄ちゃんと、三哉兄ちゃんと、そうやってみんなでお祭りにいったことは何度もあった。
でも、今はただお祭りに行きたかっただけじゃなかった。
ふたりでちょっと特別なことがしたかったの。
そう、まるでデートみたいに。
金魚なんて全然うまくすくえなくてムキになってたあたしに、屋台のおじさんがおまけして、一匹赤い金魚をくれた。
金魚が一匹入った袋を眺めてご満悦のあたしに、三兄がため息を吐きながら、
「落とすなよ」
うん、とうなずいて、三兄の手を繋ごうとしたその時、ふとあたしの心に悪戯心が芽生えた。
この手を離してしまったら?
手を繋ごうとするのは、いつもあたしから。
だって、三兄は握り返してもくれない。
この金魚を落としたら、もうきっと巡り合うことはない。金魚を握っているのはあたしで、金魚が握ってくれているわけじゃないもの。
じゃあ、三兄は?
あたしからしか繋がっていないのなら、この手を離したら、一体どうなるんだろう。
*
お祭りの縁日からずいぶん離れたところで、ようやくあたしたちは立ち止まった。街灯がぽつんぽつんと点いているだけの暗い道だ。お祭りの喧騒ももう遠い。そうっと後ろを振り返っても、誰も追いかけてこない。
ほっとして息を吐くと、途端、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「ゆめ」
涙の向こうで、まだ少し怒っている三哉兄ちゃんがあたしの名前を呼んだ。
「ごめ、ごめんなさい」
この手を離して、そうしてあたしは一体どうするつもりだったんだろう。
だって、他のヒトの手と繋ぐ気なんか全然ない。
だったら、離してはいけなかったのに。
――自分じゃないヒトにスキになってもらえることが、嬉しかった。
自分が自分のことをキライでも、スキでいてもらえることの凄さが、その幸せが、三哉兄ちゃんに与えられるといいな、なんて、そんな傲慢なことを考えた。それを三兄に与えることができるのが、あたしだということが、素晴らしく誇らしいことのように思えた。
伝わらない。
伝えられない。
それは、三哉兄ちゃんが、本当はあたしのことをキライだからじゃないの?
そんなことを思ったの。
だからって、相手を試すようなことをしてはいけなかった。
「三哉兄ちゃん」
ぎゅう、っと握ったその手に力をこめた。汗ばんで暑くて、それでもあたしはこの手を離せない。
「スキ」
あたしにできることは、ただ伝えることだけなんだ。
三哉兄ちゃんは目を丸くした。
そして、
「もう、手、離すなよ」
手に、力が込められた。
「勝手にどっか行くな」
一度は自分から離したその手を、一生懸命、もう二度と離さないようにあたしは繋いだ。三哉兄ちゃんも、少し痛いぐらい力を込めてあたしの手を握っている。
三兄からの『スキ』が、あたしにとって嬉しくて嬉しくて仕方がなかったように、どうかそんな幸せな気持ちが三兄にもあげられますように。
きっといつか、伝わりますように。
end