居心地の良い席
自分でも、私は『お堅い』のだろう、とは思っている。
おかげで、『友達』を作るのが苦手だった。
私の家は老舗の呉服屋で、躾は当然のように厳しかった。躾のなっていない人間がどれだけ恥ずかしいのかを叩き込まれた。その所為か、元々の気質かは判らないが、『今時の若い娘』にしては古風な性質なのだろう。
「そうそう、平井さんさあ」
などと、人差し指で顔を差されれば、
「人を指で差すな」
と、渋面で返し、
「あー、ハンカチ忘れた。ま、いっか」
などと、洗った手を振って水気を飛ばしていれば、
「みっともない」
と、言う。
指し箸をする者に注意し、脱いだ靴を揃えない者に注意をし、人前であくびをする者に注意をし――小うるさい女だと、自分でも思った。
皆が皆、同じ躾を受けてきているわけではない。同じ常識で生きているわけではない。けれど、無作法であることが気にならないわけもない。
だが、自分が気になるからといって、間違いだと指摘していては際限がない。相手も不快に思うだろう。
そう、口に出すからいけないのだ、と思い黙っていると、今度はどういったことなら口にしても良いのか判らなくなってしまった。
そして、仕草の、所作の悪い相手とは、長く一緒にいたいとは思えなかった。
自分が間違っているとは思わない。
けれど、それを逐一注意して直させる、など押し付けがましいことは、もうしたくない。
ならば、独りでいるしかないだろう。
頭の堅い人間だ、私は。
結局、長い間、間違いなくこの人は自分の友達なのだ、と自信を持って言える相手を、一人も作れなかったのだ。
*
中学校1年生の夏休み明けのことだった。
二学期が始まり、クラスの中で席替えをした。私の隣りの席になったのが、多賀野宏史だった。
「珠緒チャン、これ食べない?」
休み時間、宏史にのんびりとした口調で、話しかけられた。そして、突然保存パックを差し出された。中に入っているのは、手作りのクッキーのように見えた。
私は戸惑って、
「いや、いい」
と、なんとか言った。多分、声も表情も固まっていたと思う。
驚いていた。
宏史と話したのは、これが初めてだった。
顔と名前は知っていた。小学校が同じだったからだ。同じクラスになったことがなかったため、今日まで話すこともなかった。
なのに、突然『珠緒チャン』と呼びかけられた。そんな風に他人から呼ばれるのは初めてだった。
「ひとつだけでも、どう?」
そう宏史は言って、保存パックを更に差し出してきた。私はただ困惑して、
「いや、いい」
と、もう一度言った。
どうしてそういうことを言うのか判らなかった。
宏史は、首を傾げて、それから笑った。
「毒は入ってないよ。珠緒チャン、お菓子嫌い?」
いや、と短く答えると、宏史はうんうんと頷き、
「いいよね、お菓子。僕、すっごい好きなんだ」
ふわふわのシフォンケーキに、色とりどりのマカロンに、砕いたチョコクッキーをバニラアイスにかけたりして。
滔々と菓子について語り出した宏史を、私は呆然と見ていた。
「好きこそものの上手なれ、って言うでしょう? そう考えたら、自分で作ってみたくなって」
それの第一作が、この保存パックの中のクッキーなのだという。
机の上に置かれたその保存パックの蓋を開けてみる。
中は区切られていて、レーズンの入ったもの、ココアの入ったもの、プレーン、と三種類あるらしい。
「自分でも食べたから、味は大丈夫! そりゃあお店で売ってるのに比べたらまだまだだけど」
せっかく作ったのだから誰かに食べてもらいたいと思ったのだ、と宏史は言った。
私は悩んで、悩んで悩んで、
「悪いが、今は結構だ」
また、小うるさい奴だ、と敬遠されてしまうだろうと思いながら、
「学校で、昼食の時間でもないのにものを食べるのは、行儀が悪い」
すると宏史は目を丸くして、それから、ああ、と、
「それはそうだよね。判った。じゃあ、昼休みにね」
あっさり頷いた。
「食べたら、感想聞かせてね」
その言葉に、私も素直に頷く。
そういえば、家族以外の他人とちゃんと話したのは、本当に久しぶりだった。
*
それから、宏史は新作の菓子を作っては持ってきて、私に感想を求めた。
宏史は、決して強制せず、私が多少小うるさいことを言っても、協調性が無いだとかお堅いだとか言わなかった。
私が注意することに対して、言いなりになっていたわけではないと思う。尊重してくれていたのだろう。
一度、
「珠緒チャンは、きちんとした人だよね」
などと言われたが、特に揶揄した意味を含んではいなかったようだった。どういう意味か問うた私に、宏史はいつものおっとり口調で、
「所作が綺麗だもの。きちんと躾された娘さんなんだなって思うよ」
と言った。
ああ。
ようやく、胸のつかえが取れた。
私は大きく息を吸う。
多分私は、
「ただ、私はそれは『普通』だと思っている」
「だから、珠緒チャンは綺麗なんだろうね」
――認めて欲しかったのだろう。
お前は間違っていないよ、という意味でではない。
私という人間がこれまで培ってきたものを、『そういうもの』と肯定して欲しかったのだ。
「宏史」
宏史が、私を見る。私も、宏史を見る。
「私達は、友達だろうか」
宏史はきょとんとして、
「友達でしょう」
さも当然だというように、答えた。
独りでいることが好きなわけではない。独りでいた方が良い、と思っただけだ。
友達。
私の、友達。
「有難う」
礼を言ったら、宏史に、やっぱりきちんとしてる、と笑われた。
*
その後、腐れ縁とでも呼ぶべき宏史との友達関係は、未だに続いている。他に友達ができても、クラスが変わっても、高校に入学しても、それは変わらない。
多分、この先もこの関係は続いていくのだろう。
「珠緒チャン、お菓子食べない?」
そう言ってやって来る宏史に、
「昼休みにな」
と、返事し続ける限り。
end