迷い姫
首を右に左に巡らせて、不安そうに眉を寄せる。一歩踏み出して、振り返って、歩みだした足を止める。手に握り締めた紙を開いて見る。顔を上げて、電柱の住所を確かめる。ゆるく編んだふたつの三つ編みが、幼い女の子の不安を示すように肩で揺れた。
「やーらかそうな髪だなあ」
つぶやいて、くすくす笑ってしまった。テーブルに突っ伏して、窓の外の女の子の動作を目で追う。
可愛い子だ。
柔らかそうな髪、ゆるくカーブした顔のライン、丸っこい肩、不安げに揺れる大きな瞳。おいしくなる頃合はあと6、7年後ってところ?
ここは専門学校近くのカフェ。カフェオレが好みの甘さで、ガトーショコラが格別においしくて、マスターと気が合う。そして、何時間ぼんやりしていても迷惑な顔をされない。最近発見した、私のお気に入りの場所だ。学校から徒歩5分という好条件なのに、他の学生たちがあまり来ないのはこの店の外観のせいだろう。一見してここが『店』だと判る人はあまりいない。カフェの外見でもなければ、看板もない。民家の中に埋もれて、素通りしてしまうのだ。
窓の外の女の子がため息を吐いた。息が白い。何せ11月の夕方で、もう夜だ。年はいくつだろう。小学生かな? 幼稚園の年長さん? どちらにしても、あんな小さな女の子が出歩く時間じゃない。
もうかれこれ、5分は経つだろうか。
女の子のほっぺたが赤い。
「かわいー……」
そろそろ声を掛けるべきかなあ。でももう少しこのまま見ていたい気もする。
そんな意地の悪いことを思っていたときだった。
道の角から、息を切らして、まさに全速力で走ってきました、ってカンジの子が現れた。
「うわ」
思わずテーブルから体を起こして、窓にへばりついてしまう。
美人だ。
すごい美人。キレイな子。
長い睫がここからでも判る。あれは化粧栄えするだろうなあ。いや、あのままでも充分キレイだけど。
女の子かな? いや、男の子だ。だって、学生服が男物、ズボンだ。中学生なのかな。
あんなキレイな男の子もいるもんなんだなあ。
男の子だと気づいた途端、現金なもので、私の関心は一気に薄れた。私の興味の対象は、あくまで女の子なのだ。
まあ、でも良かった。
私は浮かしかけていた腰を下ろした。
これで、あの可愛い迷子の女の子も無事保護されて、ちゃんと家に帰るか目的地に着けるってものよね。
と、安堵したとき、
「一臣!」
その美人が飛び込んできた。
いらっしゃいませ、とカウンターの中のマスターが、のんびりと言っている。マスターに気づいた美人クンが、慌てて頭を下げて挨拶している。礼儀正しい子だ。右手には、しっかりと女の子の手を握り締めている。
女の子と目が合って、思わず私は手を振った。
と、あらら。美人クンの後ろに隠れられてしまった。人見知りなのかしら。
美人クンと女の子は、どうやらマスターと知り合いらしい。
「一臣! 出て来い!」
美人クンが叫ぶ。
マスターが、私の方へやってきて、
「みゃーこちゃん、ここいい?」
と、向かいの席に座った。
「ちょっとうるさくするけど、ごめんね」
今、このカフェにいるお客は私ひとり。私はにっこり笑って、首を横に振った。
「興味しんしんです」
熊のようなお髭のマスターが、そう言うと思った、と笑った。
奥のキッチンから、背の高い男の人が出てきた。
へ? あれ?
私は思わず何度も瞬きしてしまった。
奥から出てきたのは、男に疎い私でも知ってる、あの早坂一臣だったのだ。こんなところでバイトしてたのか。盲点だった。
「ゆめ! どうしたんだ?」
早坂クンは、女の子を見た途端、顔いっぱいをほころばせた。女の子を抱き上げて、すっごく嬉しそう。
うわ、あの早坂クンが?
早坂クンはモテる。とてもとてもモテる。整った顔に高い背、面倒見の良さ、さらにうちの学年で一番の技術を持っているから、らしい。というのは、私が学科が違うせいで、噂でしか知らないからなんだけど。
早坂クンはモテるくせに、女の子をバッタバッタと振ってしまうことでも有名だ。
だからか、私の中での早坂クンの顔は、仏頂面のイメージ。だって、私の大好きな女の子たちをいじめる男にいい印象を持っているハズがないでしょ?
その早坂クンが笑っている。
「どうしたもこうしたもねえ! お前、ゆめに何言ったんだ!」
美人クンに詰め寄られて、エプロン姿の早坂クンが眉を寄せる。その様子に苛立ったように、美人クンがゆめちゃんの持っていた紙をひったくって、早坂クンに突きつけた。
「なんだこれは」
それを見て、早坂クンは合点がいったように、
「ああ、この間ゆめに書いてやった地図だ」
「どこの」
「この店の」
そこまで言って、早坂クンはようやく気づいたらしい。
「ゆめ、ひとりで来たのか?!」
腕の中のゆめちゃんを、早坂クンは驚いて見た。
「だって、ひとりで来れるようになったら、いつでもケーキ食べさせてくれるって、かずにい言ったよね?」
赤いほっぺをしたゆめちゃんが、満面の笑みで言った。とろけそうな笑みだった。
「無責任な約束するんじゃねえ!!」
今日一番の大声で、美人クンが怒鳴った。
「ねえ、マスター」
にやにやしながら事の顛末を眺めているマスターの肩を、私はこっそりとつついた。
「ゆめちゃんて、何者」
「一臣達の幼馴染、お隣りさんだって。連れられて何度か来てるけど、そういえば、みゃーこちゃんは会ったことなかったね」
ないです。あったらあんな好みな可愛い子、忘れるハズがない。
苦笑しながら、マスターは立ち上がる。
「一臣」
「あ、はい」
「給料天引き。ゆめちゃんと三哉君とみゃーこちゃんに、カフェオレとガトーショコラ」
あ、あの美人クンは、『みつや』クンと言うのか。
げっ、と早坂クンがうめいて、そうしてようやく、私の存在に気づいたようだった。
「上野(うえの)」
私はびっくりした。
なんで、私の名前知ってるの? だって、学科違うし接点ないじゃない。
私の心の声が聞こえたのか、
「女好きの変人ウエノだろ、知ってるよ」
と、早坂クンが意地悪く笑った。
そんなことを言ったくせに、早坂クンのいれたカフェオレは、やっぱり私好みの甘さで、とってもおいしかった。
*
帰るという三哉クンとゆめちゃんを見送って、早坂クンと一緒に道まで出た。
ゆめちゃんは、帰る頃にはすっかり私になついてくれて、本当、別れ難いったらない。二人して、きゃー、と言いながら頬ずりした。
「ね、早坂クン」
渋い顔して見ている早坂クンを、ちろり見上げて、私はにやにやと笑った。
「可愛い『お姫さま』よね」
『あの早坂一臣には、お姫さまがいるらしい』
入学した年の夏ぐらいには、まことしやかに囁かれていた噂。
とてもとても可愛い彼女がいるから、他の女の子に見向きもしないのだ、と。
振られた女の子たちが流した、眉唾もんの噂だと思っていたのだけれど、どうやら真実を言い当てていたらしい。
確かに、お姫さまはいた。『彼女』とは、どうもまた違うようだけれど。
三哉クンとゆめちゃんが、仲良く手をつないで帰っていく後姿を見ながら、早坂クンは、本当にほんとーに嫌そうな顔をして、
「誰にも言うなよ」
と、苦虫を噛み潰したかのように言った。
「どうして?」
理由は判っていたけれど、私は言った。早坂クンは、その表情のまま、
「あんなに可愛いんだ。他の奴らに見せたくないだろ」
と言って、店の中へ戻っていった。
私はその、あんまりに予想通りの言葉に笑いを堪えきれず、お腹を抱えて笑った。
その言葉には同感するよ、早坂クン。私も、好きで好きな可愛い子は誰にも見せたくないタイプなんだ。そして、多分、早坂クンと、女の子の好みが似ているかもしれないね。
私は、もしかしたら、早坂クンといい友達になれるかもしれないな、と思った。
end